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東京都のJRのマンション アーカイブ

2007年07月17日

京葉線

京葉線(けいようせん)は、東京都千代田区の東京駅から千葉県千葉市中央区の蘇我駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

京葉線は東京から千葉(蘇我)まで総武線のバイパス的な役割を果たす路線であるとともに、東京都心と東京ディズニーリゾート (TDR)(舞浜駅) や幕張メッセ・千葉マリンスタジアムなどのある幕張副都心(海浜幕張駅)を結ぶアクセス路線でもあり、また沿線の船橋市、浦安市、千葉市などの生活路線でもある。蘇我駅で房総各線と繋がっており、房総方面へ向かう特急列車はすべて京葉線を経由する(「新宿さざなみ」号・「新宿わかしお」号は除く)。また普通列車も朝夕ラッシュ時に内房線・外房線・東金線との直通運転を行う。武蔵野線のほぼすべての列車(区間列車と平日10往復・土曜・休日5.5往復の西船橋駅折り返し列車を除く)が西船橋駅から東京駅あるいは海浜幕張駅まで乗り入れる(同線は京葉線と同様京葉車両センターに所属する車両を使用する)。このように、多彩な役割を持つ東京の主要路線の一つである。東京駅~千葉みなと駅間、西船橋駅~市川塩浜駅・南船橋駅間が電車特定区間に指定されている。


京葉線西船橋駅付近図京葉線は、東京駅~蘇我駅間の本線と、武蔵野線西船橋駅から南船橋駅・市川塩浜駅に延びる2つの支線からなる。支線は運転系統上武蔵野線直通に使われており、路線図や乗り換え案内では武蔵野線の一部とされているケースも見受けられる。判別のためのラインカラーは■赤(ワインレッド)。首都圏のJRでは京葉線のみが使用するカラーとなる。但し、鋼鉄製の201系や、2004年まで運用されていた103系の車体色は、ラインカラーの赤ではなく、京浜東北線と同じ■青(スカイブルー)である(青色の201系は関西では存在しているが、関東では京葉線が初めてである)。これは、同線に最初に投入された103系が京浜東北線からの転入車であったためである。

東京駅開業以前は緩行運転のみであったが、新木場駅暫定開業時に武蔵野線直通列車(6連→1991年12月より順次8連化・列車番号はE、蘇我方面行はY)については葛西臨海公園駅を通過するダイヤが組まれた。

1990年3月10日の東京駅延伸開業と全線開通により、臨海副都心や葛西臨海公園、東京ディズニーリゾート、幕張新都心など再開発地域・観光施設を沿線に抱えることから快速列車の本数が比較的多いダイヤを組み、平日と土曜・休日で停車駅をそれぞれ設定し、休日の快速は「マリンドリーム」、武蔵野線直通列車は「むさしのドリーム」という愛称を付けて運行していた。

ところが、2002年12月1日のダイヤ改正で平日と土曜・休日の停車駅が統一(土曜・休日の武蔵野線直通は葛西臨海公園停車)されたことから愛称が廃止され、現在は京葉快速と武蔵野線直通列車である武蔵野快速になっている。

京葉線 駅一覧

東京駅
八丁堀駅
越中島駅
潮見駅
新木場駅
葛西臨海公園駅
舞浜駅
新浦安駅
市川塩浜駅
西船橋駅
二俣新町駅
南船橋駅
新習志野駅
海浜幕張駅
検見川浜駅
稲毛海岸駅
新港信号場
千葉みなと駅
蘇我駅

総武本線(総武線)

総武本線(そうぶほんせん)は東京都千代田区の東京駅から千葉県銚子市の銚子駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

このほか、東京都墨田区の錦糸町駅で分岐して御茶ノ水駅に至る支線、並びに新小岩駅から分岐して金町駅および越中島貨物駅に至る貨物支線を持つ。

電車特定区間内においては緩行線が御茶ノ水駅から中央本線と、快速線が東京駅から横須賀線とそれぞれ直通運転を行っている。

成東出身の安井理民らによって設立された総武鉄道が、1894年(明治27年)7月に市川~佐倉間を開業したのが始まりである。上総国(かずさのくに)・下総国(しもうさのくに)と武蔵国を結ぶ事から名づけられた。同年12月には江戸川を越えて本所(現在の錦糸町)に達し、1904年(明治37年)に両国橋(現在の両国)まで延伸し、ここを都心側のターミナルとした。

一方、銚子側へは、1897年(明治30年)5月に成東、同年6月に銚子まで延伸され全通。1907年(明治40年)には、鉄道国有法により買収・国有化され、官設鉄道の総武本線となった。

1932年(昭和7年)には、御茶ノ水~両国間が延伸され、同区間で電車の運転を開始した。以降、1933年(昭和8年)3月に市川まで、同年9月には船橋まで電化区間が延長され、中央線中野まで緩行電車として直通運転を実施するようになった。1935年(昭和10年)には、千葉までの電化が完成した。

戦後は、1968年(昭和43年)に佐倉(成田)まで電化、1972年(昭和47年)に東京~錦糸町間の地下線が開業し、起点が東京に変更された。銚子までの電化が完成したのは、1974年(昭和49年)である。

総武本線は主に、3系統に分かれる。

東京駅から千葉駅へ快速運転を行う総武快速線。
御茶ノ水駅から千葉駅まで各駅停車の総武緩行線。
千葉駅から佐倉駅・成東駅・八日市場駅を経由して銚子駅までの区間。
中央線と中央本線の区別のように、総武快速線、総武緩行線は単に「総武線」とも呼ばれる。よって「総武本線」というと、上記3.の総武快速線・総武緩行線を除いた千葉以東の区間を指すこともある。現実には一般的に「総武線」が(三鷹~)御茶ノ水~千葉(東京方面は総武快速線が定着してるため対象外)、「総武本線」と呼ばれる場合は特急列車は全線、ローカル列車は千葉~成東・八日市場経由~銚子(行先表示は銚子あるいは千葉(八日市場回り))となるケースが多く、そのため千葉以遠のローカル列車では殆どの車掌が「総武線」ではなく「総武本線」と放送し、この区間の211系の前面表示も路線名は「総武本線」になっている(関東地区では原則として「○○本線」と呼ぶことはない。そのため同じ211系でも他線では「東北線」や「信越線」と表示されている)。なお、広義では総武線(総武緩行線)と呼ぶ場合、中央線への乗り入れ区間も含めた三鷹~新宿~御茶ノ水~船橋~千葉を指す場合がある。但し最近はきちんと「中央線各駅停車」と表示されつつある。

総武本線 駅一覧

東京駅
新日本橋駅
馬喰町駅
御茶ノ水駅
秋葉原駅
浅草橋駅
両国駅
錦糸町駅
亀戸駅
平井駅
新小岩駅
新小岩操駅
小岩駅
市川駅
本八幡駅
下総中山駅
西船橋駅
船橋駅
東船橋駅
津田沼駅
幕張本郷駅
幕張駅
新検見川駅
稲毛駅
黒砂信号場
西千葉駅
千葉駅
東千葉駅
都賀駅
四街道駅
物井駅
佐倉駅
南酒々井駅
榎戸駅
八街駅
日向駅
成東駅
松尾駅
横芝駅
飯倉駅
八日市場駅
干潟駅
旭駅
飯岡駅
倉橋駅
猿田駅
松岸駅
銚子駅

高崎線

高崎線(たかさきせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から群馬県高崎市の高崎駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

大宮駅以南は全列車が東北本線に乗り入れ、うち約7割の列車は上野駅を始発・終着駅とする。そのため、列車運行上の高崎線としては東北本線大宮以南を含めた上野駅~高崎駅間である。また、その他約3割は途中から分岐し山手線(池袋・新宿・渋谷)経由で東海道本線に乗り入れ、平塚駅・国府津駅・小田原駅を始発・終着駅とする。一般的に、前者を高崎線列車、後者を湘南新宿ライン(東海道線直通・高崎線直通)と称すが、後者の北行きは大宮以北で高崎線列車と称す。

さらに、この高崎線列車の2割程度は高崎から上越線へと乗り入れ、さらに両毛線や吾妻線へも直通するため、駅構内の案内板や時刻表等では高崎線・上越線と表記されることが多い。一方、E231系のLED案内では、上越線を経由して両毛線前橋駅まで直通する列車でも高崎・両毛線と表示する(上越線新前橋駅まで運転する列車は高崎線と表示される)。

路線名には群馬県高崎市や高崎駅の「高崎」を冠し、管轄もJR東日本高崎支社であるが、経路上の多くの都市(上尾・桶川・北本・鴻巣・熊谷・深谷・本庄)が埼玉県にあり、高崎線の南側ではむしろ埼玉県と東京間の地域輸送に機能が偏重している。

なお、「高崎」は1600年頃、井伊直政が高崎城築城記念に僧・白庵の助言を受け、当時「和田」と呼ばれたこの地をあらためて「高崎」と称したのに由来し、以来400年余にわたり用いられた地名である。

当路線は国道17号(中山道)とほぼ並走し、一部区間を除き同じ市町村を経由している。

日本初の私鉄である日本鉄道の第1期線として、1883年(明治16年)に上野~熊谷間で仮営業を開始したのが始まりである。翌1884年には高崎・前橋まで延長され、全通した。6月25日には、明治天皇臨席のもと上野駅で開業式典が行われている。現在も前橋に直通する列車が設定されているのもこの経緯に由来する。

なお、同社初の路線としてこの路線が開業した背景には、殖産興業の一環とされた養蚕業と製糸業の盛んな群馬県から貿易港の横浜まで製品を運ぶ手段が必要とされたことと、同線が当時東西両京を結ぶ主要鉄道と位置付けられた中山道鉄道(後に両京を結ぶ鉄道の岐阜以東は東海道経由へと変更された)の一部を形成することがあったといわれる。

第2期線である東北本線を分岐するため大宮駅が開設されたのは、さらにその翌1885年のことである。

1906年には、日本鉄道が鉄道国有法により買収・国有化され、本路線も官設鉄道に編入された。大宮~高崎間が高崎線として分離されたのは、3年後の1909年の国有鉄道線路名称設定時である。

なお、当初は上越線の開通後に上越線・高崎線を合わせて「上越本線」とする構想もあったが(そのため、上越線のキロポストは高崎線から連続している)、上越線全通前は先に開通していた長野経由で新潟県へと至る信越本線が高崎線と一体化した運行形態をとっていて、上越線全通後もそちらへ直通する列車が多く設定されていたことや、列車運行上・案内上は、一切意識されていないものの、前述の国有鉄道線路名称設定の名残で高崎線は「東北本線の支線」との定義のため、結局両線とも改称されずに現在に至っている。

高崎線 駅一覧

上野駅
尾久駅
赤羽駅
浦和駅
さいたま新都心駅
大宮駅
宮原駅
上尾駅
北上尾駅
桶川駅
北本駅
鴻巣駅
北鴻巣駅
吹上駅
行田駅
熊谷駅
(貨)熊谷貨物ターミナル駅
籠原駅
深谷駅
岡部駅
本庄駅
神保原駅
新町駅
倉賀野駅
高崎操車場
高崎駅

常磐線

常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

列車運行上の常磐線は、東北本線区間の上野~日暮里及び岩沼~仙台間を含めた、東京都台東区の上野駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅までである。

首都・東京の北の玄関口・上野駅。正確には日暮里駅が常磐線の起点であるが、上野駅が列車運用上の始発駅である。

上野駅を出発した後、隣の日暮里までは山手線など、多くの路線と併走し、日暮里から東北本線と分かれる。東北本線とは約330km北の岩沼駅で合流する。北千住駅付近まで下町の中を走り、荒川を渡り緩行線が並行する。各駅停車は北千住を出てからも綾瀬駅、亀有駅、金町駅といった東京の下町に停車駅がある。ここまでは住宅街の中を走るため、車窓からは常に多数の家屋が見える。荒川、中川、江戸川などの河川を連続して渡るため、北千住から江戸川を渡るまでは高架線である。

江戸川を渡り、東京都から千葉県松戸市へ入ると、緩行線と快速線が交差した後、線路は地上へ降りる。千葉県内は地上複々線だが踏切はなく、道路が線路の上を跨ぐ形で立体化されている。複々線化されているので、緩行線の電車が終日走る我孫子までの区間は、快速電車の場合は松戸駅、柏駅、我孫子駅といった市の代表駅しか止まらないが、快速通過駅の周辺も高度経済成長期以降人口が爆発的に増え、現在は東京のベッドタウンである。武蔵野線と交差する新松戸駅周辺までは平地だが、北小金駅周辺から柏市内は下総台地の中を走り、柏では東武鉄道野田線と連絡し、我孫子では成田線が分岐する。

利根川を渡り、電車特定区間の終点である茨城県の取手駅へ至る。上野から約40km、複々線もここで終わる。銀色青緑帯のE231系通勤形電車はここで折り返し、ここから先は交直流電車のみが走る。


常磐線415系1500番台
取手駅と藤代駅の間にはデッドセクションがあり、403系・415系ではしばらく車内の照明が消える。この辺りになると田畑も多く見られるが、ベッドタウンとして発展しているため家屋や高層アパートも多い。牛久駅を通り、新興住宅が多くなったところで土浦駅に到着する。土浦駅を過ぎ、神立駅から高浜駅にかけては畑の中心を走る。石岡駅の前後で住宅地や市街地の間を過ぎると友部駅に到着し水戸線が合流する。赤塚駅付近は水戸の郊外にあるために住宅地が目立ち始め、偕楽園の木々を臨み大小のビルが近くなると、水戸の中心駅・水戸駅に到着する。

水戸駅出発後数分で那珂川に差し架かる。那珂川を越えると勝田駅に到着する。ひたちなか市の中心駅である。東海駅を過ぎ、大甕駅、常陸多賀駅近くを走ると工場が近付く。工業都市・日立市である。大手電機メーカー日立グループの企業城下町とも呼ばれるこの街は、日立などの大工場を抱える茨城県北部の都市である。日立駅を過ぎ、小木津駅、十王駅を過ぎると、右側に太平洋をかすめ、高萩駅に到着する。この駅では多くの列車が水戸方面に折り返す。南中郷を経て磯原に来ると、東には五浦海岸の波涛が見え、1つ北上すると茨城県(関東地方)内最後の駅、大津港駅に到着。その後は勿来関を越えて福島県浜通り(東北地方)に入り、勿来駅に到着する。この駅は始点上野駅と終点仙台駅から約175kmと、丁度中間に位置する。

最初の開業区間は水戸線とひとつながりの区間であるが、実質的な常磐線としての建設は、常磐炭鉱から産出される石炭の輸送を目的としていた。このため、現在の山手線を経由して東海道本線に抜けられる様に田端駅が起点とされた。上野駅への乗り入れは後から行われたため、三河島駅から日暮里駅まで不自然な急カーブを描く線形となっている。

岩沼駅までの全通後は東北本線のバイパスとして機能した。関東平野の中でも海岸沿いを走るため線路が東北本線に比べて平坦であり(蒸気機関車牽引の列車にとって、これは最大のメリットであった)、平(現・いわき)駅までの複線化も早期に行われたこと、さらに、奥羽本線への直通列車設定も必要だった東北本線に比べ、ターゲットを上野と仙台以北との往来に絞れたことから、仙台駅以北に直通する旅客列車が常磐線を経由して走るようになり、1920年に経路特定区間制度が設定された時、日暮里~岩沼間が最初の設定区間の1つに指定されている。

東北本線の電化・複線化が進むにつれ、まず昼行の長距離優等列車から東北本線経由への整理統合が進んだが、東北本線が通勤時間帯に混雑することや奥羽本線への直通夜行列車が多数設定されたことから仙台駅以北に直通する夜行寝台列車はなお常磐線経由が主力であった。しかし、東北新幹線の開業以後は常磐線から仙台駅以北に直通する旅客列車が大幅に減り、東北本線のバイパスとしての存在意義が失われたことから、長らく設定されていた日暮里~岩沼間の経路特定区間制度は2001年に廃止された。

常磐線 駅一覧

取手駅
藤代駅
佐貫駅
牛久駅
ひたち野うしく駅
荒川沖駅
土浦駅
神立駅
高浜駅
石岡駅
羽鳥駅
岩間駅
友部駅
内原駅
赤塚駅
(臨)偕楽園駅
水戸駅
勝田駅
佐和駅
東海駅
大甕駅
常陸多賀駅
日立駅
小木津駅
十王駅
高萩駅
南中郷駅
磯原駅
大津港駅
勿来駅
植田駅
泉駅
湯本駅
内郷駅
いわき駅
草野駅
四ツ倉駅
久ノ浜駅
末続駅
広野駅
木戸駅
竜田駅
富岡駅
夜ノ森駅
大野駅
双葉駅
浪江駅
桃内駅
小高駅
磐城太田駅
原ノ町駅
鹿島駅
日立木駅
相馬駅
駒ヶ嶺駅
新地駅
坂元駅
山下駅
浜吉田駅
亘理駅
逢隈駅
岩沼駅
館腰駅
名取駅
南仙台駅
太子堂駅
長町駅
仙台駅

東北本線

東北本線(とうほくほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から岩手県盛岡市の盛岡駅までと、青森県八戸市の八戸駅から青森県青森市の青森駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

東北本線の線区上の起点は東京駅であり、同駅は1991年以来東北新幹線の始発ともなっているほか、電車線を走る各駅停車が京浜東北線として東海道本線東京~横浜間の電車区間と一体となって運行されている。一方、中・長距離列車は長年に亘り上野駅を始発として運行されている。

東北本線は1881年(明治14年)に創業した日本初の私鉄である「日本鉄道」が、養蚕業の中心地から横浜港へと製品を輸送するためと、当時東西両京を結ぶ交通路として位置づけられた中山道鉄道の一部を形成するために建設された上野駅~高崎駅~前橋駅間の路線(現、東北本線・高崎線・上越線・両毛線)に次いで、同社の重要な中核となる路線として建設が開始された。その背景には、明治政府により東北地方・北海道の開発が推し進められており、それに必要な資材を輸送するために鉄道が必要不可欠なものと位置づけられたことがあると言われる。

そして、上野~前橋間鉄道から分岐する形で建設される事になったが、当初その起点とする場所にはさまざまな案が出されたが代表的なものとして大宮・熊谷・浦和の3案が挙げられる。このうち特に熊谷案は、殖産興業の一環と位置づけられた製糸業の盛んな桐生・足利・佐野を通過するため、有力な候補とされた。一方、アメリカ人技師のクロフォードは宇都宮以遠への最短ルートとするため大宮を起点にすべきという意見を出した。こうした経緯から最終的に大宮・熊谷の2案が残り、鉄道局長の井上勝の決断によって現行ルートである大宮分岐案に決定した。なおそれまで、上野~前橋間鉄道において大宮には駅が設けられていなかったが、分岐点となったことで大宮駅の開設が決定した。

建設は急ピッチで進められ、1885年(明治18年)7月に大宮駅から宇都宮駅間が営業を開始したのを皮切りに、1887年(明治20年)12月には仙台を超えて塩釜までが開通し、1891年(明治24年)9月には全線が開通した。これは、東海道本線が開通した1889年(明治22年)7月からしても2年余りしか経っておらず、この路線の重要性が伺えるものであった。また全通当時総理大臣を務めていた松方正義は、これによって東北が凶作でも餓死者は出ないと考え安堵したといわれる。

1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第3集奥州・磐城編では、東北本線と常磐線の開通を以下のように祝って歌っている。

40番「勇む笛の音いそぐ人 汽車は着きけり青森に むかしは陸路廿日(はつか)道 今は鉄道一昼夜」
63番「むかしは鬼の住家とて 人のおそれし陸奥(みちのく)の はてまでゆきて時の間に かえる事こそめでたけれ」
64番「いわえ人々鉄道の ひらけし時に逢える身を 上野の山もひびくまで 鉄道唱歌の声立てて」
戦後になると電化・複線化が推し進められるようになり、1968年(昭和43年)10月に完成した。この時国鉄では、「ヨンサントオ」と通称される白紙ダイヤ改正を実施している。

東北本線 駅一覧

黒磯駅
高久駅
黒田原駅
豊原駅
白坂駅
新白河駅
白河駅
久田野駅
泉崎駅
矢吹駅
鏡石駅
須賀川駅
安積永盛駅
郡山駅
日和田駅
五百川駅
本宮駅
杉田駅
二本松駅
安達駅
松川駅
金谷川駅
南福島駅
福島駅
矢野目信号場
東福島駅
伊達駅
桑折駅
藤田駅
貝田駅
越河駅
白石駅
東白石駅
北白川駅
大河原駅
船岡駅
槻木駅
岩沼駅
館腰駅
名取駅
南仙台駅
太子堂駅
長町駅
仙台駅
東仙台駅
東仙台信号場
岩切駅
陸前山王駅
国府多賀城駅
塩釜駅
松島駅
愛宕駅
品井沼駅
鹿島台駅
松山町駅
小牛田駅
田尻駅
瀬峰駅
梅ヶ沢駅
新田駅
石越駅
油島駅
花泉駅
清水原駅
有壁駅
一ノ関駅
山ノ目駅
平泉駅
前沢駅
陸中折居駅
水沢駅
金ヶ崎駅
六原駅
北上駅
村崎野駅
花巻駅
花巻空港駅
石鳥谷駅
日詰駅
紫波中央駅
古館駅
矢幅駅
岩手飯岡駅
仙北町駅

八高線

八高線(はちこうせん)は、東京都八王子市の八王子駅から群馬県高崎市の倉賀野駅(列車運行上は高崎駅)までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。全線が東京近郊区間に含まれている。

八高線という線名は、八王子と高崎を連絡する鉄道路線であることから命名されたものであるが、運転系統は1996年(平成8年)3月16日以降埼玉県日高市の高麗川駅を境にして南北に完全に分断されている。そのため、高麗川以南の電化区間を八高南線、以北の非電化区間を八高北線と通称することがあるが、ともに旅客案内上では使用されていない。

川越~高麗川~八王子を走行する列車

山手線からの改造・転用車である205系3000番台(高麗川駅にて撮影)川越線川越~高麗川間と完全に一体の運行系統であり、一部に線内折り返し列車が見られるものの、大半は八王子~川越間を直通運転され、毎時2~3本程度運行されている。

列車番号末尾はすべてE(川越線内は、川越方面行きが{八高線内の番号-1}+H、八王子方面行きが{八高線内の番号+1}+Hとなっている)。

青梅線・中央快速線との直通
平日朝の上り2本と夕方下り1本が、拝島から青梅線経由で中央快速線との直通運転を行っている。分割対応編成(H編成)の4両側が直通、拝島で6両増結して東京まで直通する。

2005年9月5日から2007年3月16日まで、朝の上り列車で東京寄りの先頭に女性専用車が設定されていたが、H編成は2007年(平成19年)3月18日から東京寄りに6両編成が来るようになったため、八高線からは設定されなくなっている。

1996年3月16日の南線電化の際に青梅線立川駅まで乗り入れる列車が2往復設定された。いずれも半自動機能付きの103系3000番台と209系3000番台が乗り入れて、特に209系は青梅線初のVVVFインバータ制御車となった。その後1999年12月3日をもって八高線側からの直通は廃止になったが(中央線所属車を用いての直通は現在も存在する)、現在でも路線図に青梅線立川~拝島間の駅が残っていたり、乗り入れたことのない205系3000番台と209系3100番台にも「立川」の幕が入っている。

八高線 駅知覧

八王子駅
北八王子駅
小宮駅
拝島駅
東福生駅
箱根ヶ崎駅
金子駅
東飯能駅
高麗川駅
毛呂駅
越生駅
明覚駅
小川町駅
竹沢駅
折原駅
寄居駅
用土駅
松久駅
児玉駅
丹荘駅
群馬藤岡駅
北藤岡駅
倉賀野駅
高崎駅

五日市線

五日市線(いつかいちせん)は、東京都昭島市の拝島駅から東京都あきる野市の武蔵五日市駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

日中はすべて線内折り返しで、朝夕の一部列車は青梅線・中央線に直通する。

かつては、武蔵五日市駅からスイッチバックして、武蔵岩井に向かう岩井支線(正式には本線の末端区間)が分岐していたが、廃止され、現在は西東京バスの武蔵五日市駅~松尾・つるつる温泉間の路線バスで代替している。武蔵五日市駅が高架化・改築されたため、廃線跡は同駅手前に一部が残る程度である。

日中の線内折り返し列車は、先頭車の前面に『青梅・五日市線』と表記された豊田電車区所属の201系6両編成で運行される。

また、青梅線・中央快速線を経由して東京駅まで直通する列車があり、朝は2本(土曜・休日は1本)運転され拝島駅で八高線高麗川駅始発の4両編成を増結する。一方、下りも2本(土曜・休日も同数)運転されるが、1本目は拝島駅で6両編成を、2本目は八高線高麗川駅発着の4両編成を解放する。車両は中央快速線用の201系H編成が使用されてきたが、2007年3月18日のダイヤ改正からはE233系も運用を開始し、2007年6月までにこの運用をすべて置き換える予定である。さらに、これ以外の201系も2008年3月までにすべてE233系に置き換える予定である。

この他、土曜・休日には新宿駅発着で「ホリデー快速あきがわ号」が3往復運転されている。詳しくはおくたま (列車)を参照のこと。

2007年3月19日から、平日朝の武蔵五日市発東京行に女性専用車が導入された。

五日市線は私鉄の五日市鉄道が建設したものである。1930年に立川~拝島~武蔵五日市~武蔵岩井間が全通し、立川~拝島間では青梅電気鉄道(現在の青梅線)と完全に並行していた。1940年に南武鉄道に合併され、同社の五日市線となったが、1944年に南武鉄道が戦時買収により国有化され、本路線も国有鉄道五日市線となった。その際、青梅線と並行する立川~拝島間は不要不急線として休止され、戦後復活することはなかった。

ただし、立川~武蔵上ノ原と、旧・南武鉄道の武蔵上ノ原~西立川間は現在も南武線・中央本線下り線(立川駅南側)との連絡線として利用されている。

五日市線 駅一覧

拝島駅
熊川駅
東秋留駅
秋川駅
武蔵引田駅
武蔵増戸駅
武蔵五日市駅

青梅線

青梅線(おうめせん)は、東京都立川市の立川駅から東京都西多摩郡奥多摩町の奥多摩駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

2007年3月現在、青梅線は青梅駅を境に輸送量に大きな差があり、運行形態も青梅駅で分離されている。輸送力の高い東側の区間のうち、立川~東青梅間は複線だが、東青梅~青梅間は単線のままである。また、青梅駅も電留線を除くと1面2線と運転系統を分離している駅にしては貧弱である。このことが、ダイヤを引く上で大きな制約となっていて、これ以上の増発も困難となっている。

朝は中央快速線並みに最大2分間隔という過密ダイヤであるが、日中は毎時5本であり、しかも運転間隔が不均等なために最大16分開く時もある。また、上りの青梅特快の1本前の立川行きは、立川駅で中央特快と接続していないため、新宿・東京方面へは最大28分開くこともある。このため、後発の青梅特快は非常に混雑する結果となっている。中央線直通列車の増発という要望も多いが、中央線立川以西との兼ね合いもあり、これ以上の増発は困難とのことである[要出典]。ただ、中央線立川以西と青梅線の輸送比率が6:4であるという話や、E233系分割編成(H編成)が現行の青梅・五日市線用の201系と同じ4+6両編成であることから、「E233系に統一された時に直通列車が増発されるのではないか」との声もある。

また、時間調整による長時間停車にも不満の声が多い。特に拝島駅での停車時間が長く、青梅特快や通勤快速を中心に5分間停車する電車もある。これを解決するためには東青梅~青梅間の複線化か青梅駅の改良が必要であり、青梅市もJRに要望しているが、実現の目処は立っていない。これに対し青梅市は河辺駅の改良も要望に加えている。

立川~御嶽間は青梅電気鉄道が敷設した私鉄であったが、戦時買収により国有化された。また、御嶽~氷川(現・奥多摩)間は奥多摩電気鉄道が建設中の未成線であったが、同時に買収され、国有鉄道として開業した区間である。

青梅電気鉄道は国有化後に一旦解散を決議した(実際は解散しなかった)が、買収路線復帰運動の際に受け皿会社として活動再開した。しかしながら、路線は再び同社の手には戻らず、それでも清算会社として暫く存続したが1995年に解散した。なお、戦前兼営していた路線バス事業は子会社である奥多摩振興に移管された。同社は現在の西東京バスであり、川井~奥多摩間にあたる奥多摩町内では同社の路線が残っている。また、青梅市内の青梅~御嶽間では、ほぼ平行する形で東京都交通局(都営バス)が運行されている。

奥多摩電気鉄道は奥多摩工業と社名を変更し、石灰石の採掘、運送会社として現存している。

青梅線 駅一覧

立川駅
西立川駅
東中神駅
中神駅
昭島駅
拝島駅
牛浜駅
福生駅
羽村駅
小作駅
河辺駅
東青梅駅
青梅駅
宮ノ平駅
日向和田駅
石神前駅
二俣尾駅
軍畑駅
沢井駅
御嶽駅
川井駅
古里駅
鳩ノ巣駅
白丸駅
奥多摩駅

中央本線(中央線)

中央本線(ちゅうおうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から長野県塩尻市の塩尻駅を経由して愛知県名古屋市中村区の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)。このうち東京駅~塩尻駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)、塩尻駅~名古屋駅間は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄となっている。なお、塩尻駅はJR東日本の管轄である。

鉄道要覧上は、重複する東京駅~神田駅間は東北本線、代々木駅~新宿駅間は山手線となっている。

東京駅~神田駅間は国鉄民営化時に当時の運輸省に提出された事業基本計画及び国土交通省監修『鉄道要覧』では東北本線となっており、代々木駅~新宿駅は山手線となっているが、これは先行敷設路線との営業距離の重複計上を行わないためのものであり、線路は独立している。なお、金山駅に東海道本線のホームが設けられたことで同様に東海道本線と重複することになった金山駅~名古屋駅間(ただし同駅間にある尾頭橋駅に中央線ホームはない)は現在も重複計上されている。

岡谷駅から塩尻駅までの間は、山脈を避けて辰野駅を経由していたが、1983年7月に全長約6kmの塩嶺トンネルを抜けるみどり湖駅経由の短絡線が開通してこちらが本線となり、大幅なスピードアップが実現した。どちらの線区も中央本線に属し、旧来の区間(辰野駅経由)は支線となっている。この支線は「辰野支線」または「辰野線」、あるいはみどり湖駅・塩嶺トンネル経由を「新線」と呼ぶのに対して「旧線」などと呼ばれ、また、伊藤大八という代議士が誘致したと言う話から大八回りとも呼ばれることがある。なお現在、岡谷駅~塩尻駅間に運行される列車のほとんどが本線を経由するため、あまり使用されないが、本線は「みどり湖経由」、支線は「辰野経由」と表される。


塩尻駅南方にある中央本線の東西分岐。左が東京方面、右が名古屋方面運転形態や進行方向が塩尻駅を境に異なることから、

東京駅~塩尻駅:中央東線
塩尻駅~名古屋駅:中央西線
と呼び区別することがある。

中央本線 駅一覧

高尾駅
相模湖駅
藤野駅
上野原駅
四方津駅
梁川駅
鳥沢駅
猿橋駅
大月駅
初狩駅
笹子駅
甲斐大和駅
勝沼ぶどう郷駅
塩山駅
東山梨駅
山梨市駅
春日居町駅
石和温泉駅
酒折駅
甲府駅
竜王駅
塩崎駅
韮崎駅
新府駅
穴山駅
日野春駅
長坂駅
小淵沢駅
信濃境駅
富士見駅
すずらんの里駅
青柳駅
茅野駅
普門寺信号場
上諏訪駅
下諏訪駅
岡谷駅
みどり湖駅
塩尻駅

横浜線

横浜線(よこはません)は、神奈川県横浜市神奈川区の東神奈川駅と東京都八王子市の八王子駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

横浜線は、横浜市から町田市・相模原市を通り八王子市に至る全長42.6kmの路線である。起点の東神奈川駅で京浜東北線、終点の八王子駅で中央本線・八高線に連絡する。路線名は「横浜」を名乗っているが、東神奈川は横浜駅の一つの隣であり、横浜駅へ直通しない列車も多い。

本路線は横浜市北部から横浜市の中心部へのアクセス路線として機能するとともに、東京都心から郊外に延びる複数の放射状路線と交差し、いわゆる環状路線としての機能も有している。したがって郊外路線でありながら、割高な初乗り運賃の乗客も多いため、国鉄時代から数少ない黒字路線であった。

1908年に「横浜鉄道」という私鉄として開業したのが本路線の始まりであり、当時は八王子や信州で生産されていた生糸を横浜へと運搬することを目的としていた。その後、1917年に国有化され、標準軌化試験や電化試験が行われたこともある。その後1932年には横浜駅・桜木町駅への乗り入れが開始されたほか、1964年に東海道新幹線が開業し、当線との交差箇所に新横浜駅が開業した。これにともない、本路線は横浜市内と新幹線のフィーダー路線としても機能することとなる。さらに1960年代後半からは沿線開発の進行や大学の設置などにより乗客が増加したことから、1967年からに輸送力増強のため複線化工事が順次行われ、1980年代後半には全線複線となった。

それ以降も首都圏の通勤路線として利用者が増加し、1994年からは混雑対策のため、列車は片側6扉を有する車両を連結したうえで8両編成が組まれている。2007年現在、臨時列車を除き特急・急行列車は設定されておらず、列車種別は快速と各駅停車の2種のみである。いずれも線内の折り返し運転が基本であるが、一部の列車は根岸線に直通するほか、朝夕は相模線との直通列車も運転される。

列車種別は、各駅に停車する各駅停車および主要駅のみに停車する快速が設定されている。

本路線においては、起点の東神奈川駅から終点の八王子駅までを通しで運転する列車が基本である。このほか、起点寄りの輸送力を高めるため、東神奈川駅~橋本駅間や東神奈川駅~町田駅間などの区間列車も運転される。

横浜駅へは東神奈川行きの場合は、終点の東神奈川駅で京浜東北線に乗り換える形となるが、横浜市中心部へのアクセスを図るため、東神奈川駅から京浜東北線を経て根岸線へ乗り入れる列車も設定されている。朝夕は一部の列車が根岸線磯子駅や大船駅、日中は毎時6本(快速2本、各駅停車4本)が根岸線桜木町駅まで乗り入れる。土曜・休日には大船駅を越えて横須賀線逗子駅へ直通する快速列車も1本ある。横浜線を名乗っているものの横浜駅を通る列車は全体の3割程で、横浜駅を発着する各線との接続相性が悪い。このほか、朝夕のラッシュ時には、相模線の列車が橋本駅~八王子駅間に乗り入れを行っている。

横浜線 駅一覧

東神奈川駅
大口駅
菊名駅
新横浜駅
小机駅
鴨居駅
中山駅
十日市場駅
長津田駅
成瀬駅
町田駅
古淵駅
淵野辺駅
矢部駅
相模原駅
橋本駅
相原駅
八王子みなみ野駅
片倉駅
八王子駅

武蔵野線

武蔵野線(むさしのせん)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から千葉県船橋市の西船橋駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

但し定期的に旅客営業を行っているのは東京都府中市の府中本町駅から千葉県船橋市の西船橋駅までである。

区間列車と平日の10往復、土休日の5.5往復を除く全列車が京葉線へ直通運転しており、同線の一部として一体的な運行形態を採っている(詳細な運行形態については運行形態の項を参照)。全線で東日本旅客鉄道が第一種鉄道事業者、日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者である。なお、当線は全線にわたって電車特定区間に指定されている。

当路線は当初山手貨物線の代替のための貨物専用線として計画され(詳細は後述)、開業後暫くは貨物列車中心に運行されていた。しかし旅客営業を行う府中本町駅~西船橋駅間については、現在では旅客列車の方が多く運行されている。また、東北本線や常磐線から東京ディズニーリゾート最寄りの舞浜駅や東京駅へ向かう臨時列車や快速列車も両線を経由する。

なお現在でも鶴見駅(実質的には新鶴見信号場)~府中本町駅間(通称:武蔵野南線)は、大船・鎌倉方面へ向かう臨時列車などを除き原則として貨物専用である。武蔵野南線は、交差する各線の既設駅の近くを通過しているが、旅客化には至っていない。なお、川崎市内の並行するルートに川崎縦貫高速鉄道線(通称:川崎地下鉄)が計画されている。

都市部とは離れた所を走り、首都圏の外郭環状線としての役割を果たしている路線で、埼玉県内では数少ない県内を横断する路線でもある。沿線にはベッドタウンが多いため、武蔵野線単独での利用よりは、それらのベッドタウンと都内に向かう路線を組み合わせての利用が多い。特に中央線西国分寺駅~西武池袋線秋津駅(新秋津駅)~東武東上線朝霞台駅(北朝霞駅)~埼京線・武蔵浦和駅~京浜東北線南浦和駅~東武伊勢崎線新越谷駅(南越谷駅)~つくばエクスプレス南流山駅~常磐線新松戸駅~総武線西船橋駅の各駅間でこの傾向が顕著である。このため区間毎の乗客の変動が大きく、他線との乗り換え駅である西国分寺駅・新秋津駅・北朝霞駅・武蔵浦和駅・南浦和駅・新松戸駅・西船橋駅などでは、大半の乗客が入れ替わる。

武蔵野線は元々、山手貨物線の代替のための「東京外環貨物線」(貨物専用線)として計画され、1927年の鉄道敷設法に取り入れられていたが、第二次世界大戦等もあり一旦、計画は凍結された。戦後になり山手貨物線での貨物列車本数の増加等もあり1964年、日本鉄道建設公団(鉄建公団)によって工事が着工された。1967年に新宿駅で貨物列車(米軍燃料輸送列車)の転覆炎上事故が発生した際、新宿や渋谷など繁華街を在日アメリカ軍(米空軍)向けのジェット燃料を積んだタンク列車が大量に運行していることが知れ渡り、問題となった。このような危険な貨物列車が都心部を通過することは好ましくないことから、都心からかなり離れた場所に貨物線として東京外環状線を建設することとなった。計画当時はほぼ全線に渡って田園が広がるだけであったが、沿線の急速な開発に伴い、貨物列車の専用線では住民の理解を得られないことから、急遽旅客営業を行うように計画が変更された経緯も持っている。

この様な経緯から、当初は貨物列車の合間の住民への見返り運転という感じが色濃く、昼間は40分間隔、ラッシュ時でも15分間隔での運転であった。だが1970年代後半に移ると貨物列車は拠点間集中輸送に重点を置くようになり、また貨物列車自体の削減からダイヤに余裕が生まれたことや沿線人口の伸びが激しいことから、次第に旅客列車本数も増え旅客主体の路線へと生まれ変わっていった。

1988年12月の京葉線第2期区間(南船橋~新木場)間の開業から武蔵野線と京葉線の一部の列車の直通運転が始まった。

また開業時には合理化の一環として乗り換え駅を除く多くの駅で自動改札機が導入されたが、誤動作や故障が多発した。

武蔵野線 駅一覧

府中本町駅
北府中駅
西国分寺駅
新小平駅
新秋津駅
東所沢駅
新座駅
北朝霞駅
西浦和駅
武蔵浦和駅
南浦和駅
東浦和駅
東川口駅
南越谷駅
越谷レイクタウン駅
吉川駅
新三郷駅
三郷駅
南流山駅
新松戸駅
新八柱駅
東松戸駅
市川大野駅
船橋法典駅
西船橋駅

南武線

南武線(なんぶせん)は、神奈川県川崎市川崎区の川崎駅と東京都立川市の立川駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。そのほか以下の支線を持つ。

神奈川県の川崎駅と東京都の立川駅を結ぶ路線で、川崎市を南北に貫く動脈である。東京都心や山手線から郊外に延びる複数の放射状路線と交差する、いわゆる環状路線(フィーダー線)の一つとなっており、京葉線・武蔵野線と連続する東京の外環状線の一部を構成している。また、川崎駅の隣の尻手駅からは、鶴見線の浜川崎駅へと伸びる南武支線と、新鶴見信号場へと伸びる尻手短絡線が存在する。

なお、本線のうち唯一の横浜市内にある矢向駅のほか、川崎駅および尻手駅も運賃区分上は横浜市内の駅として扱っている。これは、両駅が川崎市内にあるものの、「横浜市内」の中心駅である横浜駅から矢向駅に行く途中にあるため、両駅も「横浜市内」に加える方が合理的だからである。「横浜市内」の詳細は特定都区市内を参照。

多摩川とは全線で並行し、右岸を走る南側では多摩丘陵東端に沿って多摩川の氾濫原を走る。多摩川を渡った北側では立川崖線を登り、武蔵野台地上を走る。多摩川の河川敷は現在は橋梁上でしか見られない(堤防は稲城市内の高架線や登戸駅付近で見える)。川崎市内では二ヶ領用水とも並行し、その本川および川崎堀とは中野島・宿河原・久地・武蔵小杉・平間の各駅付近で計5回交差する。

沿線には俗に「日本のシリコンバレー」と呼ばれることもある。特に川崎市中原区を中心とした一帯を擁し、NEC・富士通・東芝などの電機・情報技術関連企業やその子会社の多くの工場、ミツトヨの本社、後述のKSPが立地している。近年では、川崎市の公報を中心に南武線を“ハイテクライン”と呼ぶこともあるが、定着にはいたっていない。

南武線は、私鉄の南武鉄道により開業した路線である。

免許の出願は多摩川砂利鉄道として行われており、多摩川の川原で採取した砂利を運搬するのが目的であった。1920年1月29日に免許が交付された後、3月1日に会社を設立し、社名を南武鉄道に改称した。3月17日には終点を立川まで延長、府中町~国分寺町間の支線の敷設を追加で申請した。これらは単に砂利を運搬するだけでなく、多摩地域と川崎とを結ぶ交通路線となることも目指したものであった。

会社設立の際、資金集めに難航し、地元の発起人が次々と脱退した。そんな中、浅野セメント(現在の太平洋セメント)の浅野総一郎とその系列企業が名乗りを上げた。浅野総一郎は既に青梅鉄道(現在の青梅線)を傘下に収めており、セメントの原料である石灰石を青梅鉄道から中央本線・山手線・東海道本線経由で工場のある川崎まで運んでいた。川崎と立川を結ぶ南武鉄道を傘下にすればすべて自分の系列の路線で運搬することができ、輸送距離も大幅に短くなる。両者の利害が一致し、南武鉄道は浅野系列となった。

1927年3月9日に川崎駅~登戸駅間が開業した(同日、貨物線の矢向~川崎河岸間も開業したが、1970年5月25日廃止)。当初から全線電化路線であった。電車6両、蒸気機関車2両、貨車44両を保有していた。目黒にあった競馬場を沿線の府中に誘致し、稲田堤の桜や久地の梅園などへの花見客を誘致するなど、利用者増加のための努力が行われ、特に競馬開催時に電気機関車牽引の客車列車を運転するほどの利用客があった。1927年11月1日に登戸~大丸(現・南多摩)間、1928年12月11日に大丸~屋敷分(現・分倍河原)間を延伸、1929年12月11日に分倍河原~立川間を開業、全線が開通した。全通当時は川崎~立川間35.5kmを1時間10分で結んでいた。1930年3月25日に支線の尻手~浜川崎間も開業した。

南武線 駅一覧

川崎駅
尻手駅
矢向駅
鹿島田駅
平間駅
向河原駅
武蔵小杉駅
武蔵中原駅
武蔵新城駅
武蔵溝ノ口駅
津田山駅
久地駅
宿河原駅
登戸駅
中野島駅
稲田堤駅
矢野口駅
稲城長沼駅
南多摩駅
府中本町駅
分倍河原駅
谷保駅
矢川駅
西国立駅
立川駅

埼京線

埼京線(さいきょうせん)は、東京都品川区の大崎駅から埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の近距離列車の運転系統としての鉄道路線の名称である。

狭義の「埼京線」を構成する鉄道路線の正式名称は、大崎駅から池袋駅までが山手線(山手貨物線)、池袋駅から赤羽駅までが赤羽線、赤羽駅から大宮駅までが東北本線(通称「通勤新線」または「東北別線」で、東北新幹線上野~大宮間建設の見返りとして新幹線に併設された東北本線の別線)である。この通勤新線開業と同時に電化開業した川越線の大宮駅~川越駅間と一体的に運用されている。しかし、埼京線の名称自体が正式なものではなく旅客案内上の愛称であるため、駅の案内や車内放送でも、駅員や車掌によって埼京線と川越線を区別する場合としない場合があるなど統一はされておらず、車両のLED表示も全て「埼京線」となっているなど、その定義は曖昧である。この現象は京浜東北線又は横浜線と根岸線についても同様である。

現在では、赤羽線の名称が旅客案内などで使われることはないが、JR貨物も運賃計算上使用することから正式名称として残っている。なお、赤羽線の貨物列車は1999年に廃止している。

大崎駅では、2002年から東京臨海高速鉄道りんかい線と相互直通運転を実施しており、新木場駅まで埼京線の車両が乗り入れている。

日中は20分サイクルで新木場~川越間の全区間を走る快速が1本、新宿~大宮(または赤羽)間の各駅停車が2本(うち上り新宿発・下り大宮発の時点で快速の前を走る各駅停車1本は新宿~大宮間の運用で武蔵浦和で快速の待ち合わせを行う。もう1本は通過待ちは行わないが、40分に1本が赤羽折り返しとなる)のパターンダイヤとなっている。新宿~赤羽間では6~7分で等間隔となるようなダイヤになっている。

また、山手貨物線に乗り入れる大崎駅~池袋駅間では、線路を共用する湘南新宿ラインと共に、実質的に山手線の快速線として機能しており、同区間の輸送力増強に貢献している。

埼京線のラッシュ時は非常に混雑する。過去には200%をゆうに超えていた池袋~新宿の乗車率は、湘南新宿ラインの開業により、2004年11月時点で170%程度にまで下がっているが、依然として、大宮方の車両、特に6扉車の組み込まれていない編成の列車を中心に、かなり混雑している。

赤羽駅付近から北与野駅~大宮駅間までの区間では東北新幹線と並走しており、高架上を走る。北与野駅のホーム北側から高架を下り始め、そのまま大宮駅の地下ホームに滑り込む。

車窓の風景は変化に富み、都心のショッピング街、オフィス街、住宅地、広大な荒川土手、高架から遠くに望む山々、さらに乗り入れ先のりんかい線と川越線も含めると海や田圃を見ることもできる。

埼京線では各駅停車(普通)の他に快速と通勤快速が運行されている。快速運転区間(赤羽~大宮間)を過ぎると京浜東北線と同様に行先表示の快速表示を消している。以前は上り電車の場合赤羽以南の大崎・新宿駅まで快速・通勤快速の表示を行っていたが、2005年頃からこの表示を消すようになった。なお、大宮から先の川越線では路線が変わる上、川越線内は日中すべての列車が快速であり「日中は日進、指扇、南古谷には列車が1本も停車しないのではないか」と利用客が誤解するのを避けるため、下り快速、通勤快速の川越方面行は大宮駅到着前に各駅停車の表示に替えて入線している。しかし、通勤快速が武蔵浦和の出発直後に表示を替えてしまい、各駅停車表示の列車が中浦和や南与野などの駅を通過するというトラブルもあった。

使用されている車両(205系・東京臨海高速鉄道70-000系)のLED表示は路線名と行き先を交互に表示しているが、川越行きでは前述のとおり「川越線」と表示されず、りんかい線直通新木場行きの場合は「りんかい線直通」と表示されて「埼京線」とは表示されない。

首都圏の国鉄では初めて本格的に自動進路制御装置(PRC)が導入された路線であり、21世紀に入るまで長年「反転フラップ式発車標」(通称:パタパタ)を各駅で使い続けた路線である。この装置は大崎延長時にATOS対応のLED式発車標に置き換えられ、2005年7月31日にはPRCの装置自体もATOSに役目を譲って使用を終了した。

埼京線 駅一覧

大崎駅
恵比寿駅
渋谷駅
新宿駅
池袋駅
板橋駅
十条駅
赤羽駅
北赤羽駅
浮間舟渡駅
戸田公園駅
戸田駅
北戸田駅
武蔵浦和駅
中浦和駅
南与野駅
与野本町駅
北与野駅
大宮駅

横須賀線

横須賀線(よこすかせん)は、神奈川県鎌倉市の大船駅から神奈川県横須賀市の久里浜駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)。

各駅に停車する普通列車を中心に運行し、東京駅では多くの列車が総武快速線と直通する。また、湘南新宿ラインが横須賀線の線路を走行する。全線を通じて線形はあまりよくないが、湘南新宿ラインと共用する西大井駅~大船駅の最高速度は120km/h となっている。

ホームの長さは、20m級の車両にして逗子駅以北は15両、以南では11両分となっている。しかし前後をトンネルに挟まれた田浦駅は10両分に満たないホーム長しか確保できず、E217系投入時には逗子駅の留置線の収容能力(最大12両)と田浦駅のホーム問題という相反する問題点に悩まされ、最終的に11両+4両の編成となった。なお、田浦駅では、11両編成の場合、ドアカットを用いている。

東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線では付属編成がいずれも北方に連結され、号車は11~15号車となっている。ところが横須賀線では南方(久里浜寄り)に連結され、号車も増1~増4である。これは逗子駅の折返列車用の留置線が原因で、駅の久里浜寄りにあるため上り列車の南方にしか増結できず、容量も12両分しかないので付属編成を5両とすると収容できる本数が減少してしまう(すぐ先に京急逗子線の線路があり延長もできない)。このような理由でやむなく以前使われていた113系と同じ編成となった経緯がある。

なお、戸塚~新橋間において列車の折返しや追越しを行うためのホームがないことがダイヤ設定上のネックとなっており、品川駅でホームの増設が計画されている。また横浜駅ではホームが狭く、列車本数や発着系統が増えた為ラッシュ時の混雑が激しい。地下化した東急東横線の旧高架線撤去工事が終了次第、ホームを拡張する予定である。

沿線に観光地鎌倉を抱えるため、急行「ぶらり鎌倉号」など、休日や年始には団体列車や臨時列車が多数設定されている。また上記の通り多くの貨物線と接続しており、定期列車が設定されていないような経路をとる臨時列車が運行されることがある。

逗子駅から専用線及び京急逗子線を介して東急車輛製造横浜製作所へ線路が通じており、車両新製の際にはJR貨物による甲種車両輸送が行われる。以前は田浦駅付近にある在日米軍基地への燃料輸送も行われていたが、2006年に廃止された。

もともと横須賀線は旧日本海軍の軍港都市として知られた横須賀への連絡を目的として建設された路線であり、現在の北鎌倉駅付近では円覚寺境内を横切り、また鎌倉駅付近では鶴岡八幡宮の段葛を寸断して線路が敷設されるなど、用地買収も比較的強引に行われた。

また1925年に全線が電化され、1931年には東京~横須賀間62km で電車運転を開始した。当時、私鉄では東武鉄道や大阪電気軌道・参宮急行電鉄(現、近畿日本鉄道)で電車によって100km 以上の長距離運転が始められ、速達列車を運行する例も見られたが、国鉄(当時の運営組織は鉄道省)では省電・ゲタ電などとあだ名され、近距離路線のみ電車化されていた。かつて京浜線(現、京浜東北線)電車を運行開始した際、準備が不十分であったため運転中に立ち往生するトラブルを多発させたので、電化そのものについて懐疑的になったためではないかといわれている。

しかし、横須賀線では投入した32系電車に固定クロスシートを採用するなど画期的な施策をとり、二等車(現、グリーン車)も連結された。この電車運転が、後の湘南電車こと国鉄80系電車の開発に影響を与えたとも言われている。

戦後は沿線のベッドタウン化によって混雑が激化、東海道線と線路を共用する大船駅以北では輸送力が限界に達し、東海道貨物線を利用して旅客線を複々線化、両線の列車が分離された(SM分離)。品川以北では東京トンネルを掘削し、品川~鶴見は品鶴線を走行、鶴見~戸塚では貨物線を郊外に新設して旧線を流用した。

横須賀線 駅一覧

東京駅
新橋駅
品川駅
西大井駅
武蔵小杉駅
新川崎駅
横浜駅
保土ヶ谷駅
東戸塚駅
戸塚駅
大船駅
北鎌倉駅
鎌倉駅
逗子駅
東逗子駅
田浦駅
横須賀駅
衣笠駅
久里浜駅

京浜東北線

京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から神奈川県横浜市西区の横浜駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する電車線の運転系統の通称である。

大宮駅~東京駅間は東北本線の電車線線路(複線)を、また東京駅~横浜駅間は東海道本線の電車線線路(複線)を走行し、全区間に亘って各列車線から独立した運転系統が維持されている。

京浜東北線の名称は、東海道本線の東京駅~横浜駅間(京浜)、及び東北本線の電車線であることに由来するが、旅客案内上の通称であり正式な線区名称ではない。正式には大宮駅~東京駅間が東北本線、東京駅~横浜駅間が東海道本線に属する。一般的には国土交通省、また車内・構内案内、関係する各鉄道事業者、マスコミ等が京浜東北線の名称を使用するため、この名称が定着している。

長い間、東京の中心部を南北に縦断する唯一の鉄道線であったが、現在は埼京線や湘南新宿ラインが池袋や新宿などの副都心経由で南北を貫通し、将来的には各列車線間の相互直通運転が開始される見込みでもあり(東北縦貫線計画)、当線の縦貫線としての役割は分散される方向にある。

一般的に日本の鉄道では、当該路線の起点駅から離れていく列車を「下り」、逆を「上り」としているが、東北本線と東海道本線の起点となる東京駅を挟んで運転する京浜東北線にはこの定義は当てはまらない。従って、JR内部では大船方向への列車を「南行」(なんこう)、大宮方向への列車を「北行」(ほっこう)と呼んで区別している。ただし、旅客案内上は原則として使用されず、それぞれ「大船方面行」「大宮方面行」などと表現される(他の同様な例はダイヤグラムを参照)。

実際の京浜東北線電車の運行区間は横浜~磯子~大船間の根岸線(正式路線名)と一体であり、合わせて京浜東北・根岸線とされる場合もあるが、一般的には東京・大宮地区の車内・構内放送等で「京浜東北線大船(あるいは磯子、桜木町)行き」が使用されるため、根岸線を含む大宮~大船間が京浜東北線と認識されることも多い。使用車両の209系の前面には「京浜東北線」という表示がなされたまま(LED式行先表示器の209系500番台では前面・側面ともに路線名「京浜東北線」と終着駅名が交互に表示される)、大宮~大船間を通して運行している。

最近では、戸塚経由の東海道線と区別するために、「根岸線回りの大船(あるいは磯子、桜木町)行き」とアナウンスされることもある。

電車内に掲示されている路線図には「京浜東北・根岸線(Keihin-Tohoku・Negishi-Line)」として大宮~大船間が表示されていて、こちらのほうでは「根岸線」の記述が見られる。また、駅に掲示されている所要時間表では横浜~大船間を「根岸線」と明記してある。

田端~品川間では山手線と並行しており、この京浜東北線と併せて複々線としても機能している。このうち田端~田町間では方向別配線となっており、相互に同一ホームでの乗り換えが可能である。 また、この区間では後述の快速運転を行い、山手線と利用客を分け合っている。

京浜東北線 駅一覧

大宮駅
さいたま新都心駅
与野駅
北浦和駅
浦和駅
南浦和駅
蕨駅
西川口駅
川口駅
赤羽駅
東十条駅
王子駅
上中里駅
田端駅
西日暮里駅
日暮里駅
鶯谷駅
上野駅
御徒町駅
秋葉原駅
神田駅
東京駅
有楽町駅
新橋駅
浜松町駅
田町駅
品川駅
大井町駅
大森駅
蒲田駅
川崎駅
鶴見駅
新子安駅
東神奈川駅
横浜駅

山手線

山手線(やまのてせん)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線(幹線)の名称、もしくは同線を含み東京都区内で環状運転する列車の運転系統の呼称である。

「山手線」の名称には、次の3つの意味合いがある。

路線名称としての「山手線」:東京都港区の品川駅を起点に、渋谷駅、新宿駅、池袋駅を経由して北区の田端駅を結ぶJR東日本が運営する全長20.6kmの路線の名称。東海道本線の支線。
運転系統としての「山手線」:上記1.と東海道本線、東北本線の一部区間を合わせて東京都区内で環状運転を行う近距離列車の運転系統の名称(1周34.5km)。ラインカラーは■ウグイス色(国鉄黄緑6号)。
運賃計算上の「山手線内」:東京駅からの営業キロ程が101~200kmの範囲に所在する駅に発着する乗車券に表示されることがある運賃計算上の名称。上記2.の区間に加え、環状線内側にある中央本線神田駅~代々木駅間・総武本線秋葉原駅~御茶ノ水駅間を含む。東京山手線内を参照。
一般に山手線という場合、2.の運転系統としての山手線を指す場合がほとんどである。上記以外に、「鉄道要覧」における「山手線」では国土交通省の意向により中央本線と重複する代々木~新宿間が除外されているほか、マルスのシステム上の経路表示における「山手線」はさらに異なる区間(品川~代々木間及び新宿~日暮里間)を指す。

戦前からの東京市~東京都の市内交通公営主義政策により、私鉄は山手線の内側に乗り入れることができなかったため、各私鉄は、山手線の各駅に隣接して都心側のターミナル駅を設置した。山手線の各駅は、都内交通への乗り継ぎ・中継地となり、渋谷、新宿、池袋など、新都心として発展を遂げていったところもある。こうした新都心を相互に連結する山手線は、東京の交通網の基本路線として機能しており、戦後、私鉄と地下鉄の相互直通運転が一般化し、郊外から電車が直接都心に乗り入れるようになっても、東京の交通網における山手線の地位は揺るぐことなく、むしろ重要性を増している。ただし地下鉄網の発達と並行する山手貨物線の旅客化や、6ドア車導入による11両化により混雑が以前よりかなり緩和されているのも事実である。現在の朝ラッシュ時最混雑区間は外回り上野→御徒町であるが、これも東北縦貫線(東北本線の上野~東京間列車線延伸)の開業で緩和される見通しである。 また、平均駅間距離はJR東日本管内の路線では最も短い。JR全体でも大阪環状線に次いで2番目に短い。

元は、東北線と東海道線を短絡する貨物主体の路線で山中に線路を敷設したわけであったが、東京市街地の拡大に伴い市街を巡る大都市の基幹交通路線に性格を変えていった。電車が運行を開始したのは1909年であるが、現在のように環状運転が実施されるようになったのは1925年のことである。

品川線と呼ばれたこの路線は、当時上野駅止まりだった日本鉄道東北本線と、新橋駅止まりだった官設鉄道の東海道本線とを連絡するために建設された。上野駅~新橋駅間を結べば距離は短いが、既にその区間は住宅密集地域だったので建設を断念し、遠回りになるが山の手(武蔵野台地)側で建設をすることになった(当時、この周辺山の手は民家がほとんどなく、林と草原が広がっていた)。区間は赤羽駅~品川駅である。

その後、同じ日本鉄道の路線である海岸線(現在の常磐線)との連絡線の建設も行うことになった。常磐線は当時、田端駅~三河島駅が本線だった(そのため、現在も日暮里駅~三河島駅間には急カーブが残っている)ので、池袋駅(新設)から田端駅までの路線(豊島線)の建設を行った。ちなみに、当時は分岐点を池袋駅ではなく目白駅にする予定だったが、目白駅周辺で十分な用地の確保が困難だったため、新設の池袋駅へ変更した。駒込駅~巣鴨駅間で、線路が南西を向いているのは、駒込からそのまま目白駅に向かう予定だったからである。なお、常磐線との連絡線は戦後すぐに瓦礫の捨て場として使われ、埋められてしまい現存しない。

山手線 駅一覧

品川駅
大崎駅
五反田駅
目黒駅
恵比寿駅
渋谷駅
原宿駅
代々木駅
新宿駅
新大久保駅
高田馬場駅
目白駅
池袋駅
大塚駅
巣鴨駅
駒込駅
田端駅
西日暮里駅
日暮里駅
鶯谷駅
上野駅
御徒町駅
秋葉原駅
神田駅
東京駅
有楽町駅
新橋駅
浜松町駅
田町駅
品川駅

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