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大都市のマンション アーカイブ

2007年07月09日

横浜市

横浜市は、東京都心から南へ約30km、東京湾に面した都市である。市政の中心地は関内地区(中区の関内駅周辺)で、市域の中央駅は横浜駅(西区)。経済活動の中心は関内地区から約3km北の横浜駅周辺地区へ移っており、両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、中心部の一体的な発展を図っている。

市域は、鎌倉幕府の国際交易港として、古くから六浦湊が開発されていた。横浜の名は、「横に長い浜」に由来しているとされる。横浜村は、神奈川湊(神奈川宿)沖で締結された日米修好通商条約により開港場と定められ、短期間に国際港の体裁を整えた。1859年7月1日(旧暦:安政6年6月2日)に開かれた横浜港は、金港とも呼ばれ、生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として、横浜を日本の代表的な国際港都の一つへと発展させる礎となった。

1889年(明治22年)4月1日に市制が施行され、横浜市となった。[2]市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4km² にすぎなかったが、6次にわたる拡張と埋立てにより437.38km²(平成18年)となっている。1927年(昭和2年)の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18となっている。市制施行時の人口は約12万人だったが、第二次世界大戦中の一時期を除いて増加し続け、約360万人となった。これは日本の市では最も多く、人口集中地区人口も東京特別区に次ぐ。1956年(昭和31年)には政令指定都市に[3]、1988年(昭和63年)には業務核都市に指定されている。

市域の地形は、丘陵地、台地・段丘、低地、埋立地に分けられる。

丘陵地は、市域中央部よりやや西よりに分布し、市域を南北に縦断する。この丘陵地は保土ヶ谷区・旭区などを流れる帷子川付近を境に、北側と南側で性質を異にする。北側の丘陵地は、多摩丘陵の南端に位置し、標高は60mから100mで北に向かって高くなっている。南側の丘陵地は、三浦半島に続く三浦丘陵の北端部を占め、標高は80mから160mで南に向かって高くなっている。南側の丘陵地の方が起伏も激しく、標高も高い。通称「鎌倉アルプス」に続く市内最高点(栄区上郷町、標高159.4m、鎌倉市に山頂のある大平山の峠部分)や大丸山(金沢区釜利谷町、標高156.8m)、円海山(磯子区峰町、標高153.3m)もこの南側の丘陵地にある。

台地・段丘は、丘陵地の東西にある。東側の台地は鶴見区の地名を取って下末吉台地と呼ばれ、標高は40mから60mで鶴見川付近まで続く。西側の台地は、相模原台地の東端にあたり、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。

低地には、丘陵地や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地とがある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な三角州性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江「平潟湾」は、鎌倉幕府が海の玄関口とした天然の良港であった。島としては金沢区の野島(八景島は人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。

河川:鶴見川、帷子川、鳥山川、入江川、早渕川、柏尾川、境川 (境川水系・東京都・神奈川県)、宇田川、砂田川、中堀川、和泉川、大岡川、掘割川、いたち川、侍従川、富岡川、大川
山:南部の港南区・磯子区・栄区・金沢区境付近が最も高く、大丸山(標高156m)、円海山(標高153m)などがある。

大阪市

現在の大阪市の直接の前身である大坂の町は、古代の日本最初の本格的な首都である大化改新の時の難波長柄豊埼宮(なにわのながらのとよさきのみや)や、住吉津(すみのえのつ)難波津(なにわのつ。なにわづ)を起源にもつ歴史的な国際的港湾都市であった。また、江戸時代には既に現在の大阪市の中央部を広く町域とする日本屈指の大都市であり、日本経済の中心だった。


「大坂」地名発生以前の大坂
のちの「大坂」が位置した上町台地は、古代には「難波潟」と呼ばれる湿地に突き出した半島状の陸地で、「難波(なにわ)」、「浪花(なにわ)」、「浪華(なにわ)」「浪速(なにわ、なみはや)」などと称されてきた。

この地には、古代大和朝廷が外国への使節の送り出しや、迎接に利用する瀬戸内海東部の重要な国際港であった「住吉津」や「難波津」が置かれ、古代の仁徳天皇の難波高津宮をはじめ、大化の改新時の難波長柄豊崎宮や聖武天皇の難波京(難波宮)などが営まれ、朝廷の首都あるいは副都として利用された。また、律令制のもとでは首都に置かれる京職に準じる特別の官署、摂津職によって管理された。

難波が古代国家によって重要視されたのは、大阪湾は西日本の交通の要である瀬戸内海の東端にあたり、かつ当時の中央政府があった内陸の飛鳥地方・平城京からみてもっとも近い港湾であることによる。住吉津を管理する住吉大社は、大和王権直属の社として重要視されていた。

難波津は土砂の堆積により港としての機能を衰えさせ、奈良時代の末には放棄され、かわって神崎川河口の河尻泊(現在の兵庫県尼崎市)などに繁栄を譲る。しかし、平安時代には淀川水系を利用して営まれた平安京が恒久的な都となったことから、瀬戸内海から淀川を通じて京都に通じる水運の要衝、また北から淀川を渡り、南の四天王寺や住吉大社、熊野へと続く陸上交通の要衝として栄えた。当時、のちの天満橋から天神橋までの淀川河口一帯にあった渡辺津は、嵯峨源氏の一族渡辺氏の名字の地としても有名である。

大阪城(2004年5月)15世紀に大坂の地名を持って呼ばれるようになった上町台地の先端部は、1496年に蓮如がこの地に建立した浄土真宗の石山道場に1532年、証如が山科本願寺から移り、石山本願寺となったことから寺内町として発展した。

織田信長と本願寺の間に戦われた石山戦争で1580年に顕如が退去した後の1583年には、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から大阪平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。このため、安土桃山時代のうちの豊臣政権期を指して、「大坂時代」と呼ぶ人もいる。

豊臣氏が滅んだ大坂の役で大坂の町は一時的に荒廃したが、江戸幕府は大坂を直轄地(天領)とし大坂城を再建する一方、河川の改修や堀の開削を行い、諸藩も蔵屋敷を置いた。蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれたため八百八橋と言われるほど橋と水路の多い町となった。こうして水の都として復興した大坂は日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。また、こうした経済的な発展にともなっていわゆる「元禄文化」が大坂で花開いた。また、堂島の米市場では世界で最初の先物取引が行われた。

近世大坂の町は江戸幕府の派遣した大坂町奉行支配のもとに北組、南組、天満組の三組に分かれ、総称して大坂三郷と呼ばれた。北組・南組は現在の中央区の本町通を境とする南北にあたり、天満組は北区の大阪天満宮を中心とする一帯である。

近世に現在の大阪市中心部はその姿を整えたと言ってよい。現在も続く近世以来の大坂の町は、天満、上町、堂島、中之島、船場(北浜)、阿波座、堀江、島之内、江ノ子島などが知られている。

西日本旅客鉄道東海道本線・大阪環状線:大阪駅(在来線:北陸・山陽・山陰地方への列車発着駅)
東海旅客鉄道・東海道新幹線・西日本旅客鉄道山陽新幹線:新大阪駅(新幹線)
西日本旅客鉄道阪和線・関西本線・大阪環状線:天王寺駅(在来線:和歌山県・奈良県への列車発着駅)
西日本旅客鉄道関西本線:JR難波駅(在来線:奈良県への列車発着駅)
阪神電気鉄道本線:梅田駅
阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線:梅田駅
京阪電気鉄道京阪本線:京橋駅・天満橋駅・淀屋橋駅
近畿日本鉄道大阪線・奈良線:近鉄難波駅・上本町駅・鶴橋駅
南海電気鉄道南海本線・高野線:難波駅

大阪の代表的な街
キタ - 梅田 - 北新地 - 梅田新道
ミナミ - 難波 - 湊町 - 日本橋 - 千日前 - 道頓堀 - 心斎橋(心斎橋筋) - 堀江 - 南船場
天王寺
上本町
京橋
鶴橋
新世界
十三
新大阪

大阪都心部の代表的な街

通天閣船場 - 北浜 - 淀屋橋 - 肥後橋 - 本町
中之島
大手前 - 馬場町 - 法円坂
南森町 - 西天満

大阪の代表的な神社仏閣
住吉大社
四天王寺
大念仏寺
太融寺
生国魂神社
阿部野神社
お初天神(露天神社)
高津宮
法善寺 法善寺横丁が小説『夫婦善哉』の舞台になっている。
今宮戎神社
百舌鳥八幡宮
壺井八幡宮
叡福寺
大阪護国神社
坐摩神社

名古屋市

愛知県の南西部、濃尾平野に広がる。県内では、豊田市・新城市・岡崎市に次いで4番目に広い面積を有する市である。市全体を概観すると、市西南部の港区は海抜0mの臨海工業地帯で日本屈指の国際貿易港である名古屋港を有し、港区の西部は市最大の穀倉地帯が広がる。市の南部の南区は港区同様に工業地帯が広がるが、北部の駆上は隣接する瑞穂区の新瑞橋駅の恩恵を受け商業が発達している。市の北部の北区、北西部の西区・南西部の中川区は住宅地が広がる。

市の北東部の守山区・千種区、東部の名東区・天白区、南東部の緑区は海抜50m~100mの丘陵住宅街で、千種区の東山公園・平和公園、守山区の小幡緑地、名東区の猪高緑地オアシスの森・牧野ヶ池緑地、緑区の大高緑地などの森林を残した大規模な緑地公園も点在する。

市の中核を担う中区・東区・中村区・熱田区・昭和区・瑞穂区は海抜10mから15mの平野で、市役所・愛知県庁を有する中区の丸の内・錦・栄・矢場町・大須・金山、東区の東桜・泉・白壁、中村区の名駅、熱田区の神宮、昭和区・天白区の八事、千種区の今池、星ヶ丘は名古屋市内でも特に商業が発達している地区で、集客力のある商業施設やオフィスビルが連なる。

自然環境では市内に1571の昆虫が生息し、これは県下の26%にあたる。市内東部ではリス、タヌキ、イエコウモリ、コウベモグラ、ノウサギ、キツネの生息が確認されている。野鳥類では現在約240種が生息している。


湾 : 伊勢湾
山 : 東谷山

一級河川
庄内川水系
庄内川、矢田川、守山川、香流川、隅除川、天神川、新川、水場川、合瀬川、大山川、新地蔵川、堀川(黒川)、新堀川、八田川、長戸川、野添川
二級河川
天白川水系
天白川、扇川、大高川、瀬木川、手越川、藤川、植田川、繁盛川
日光川水系
日光川、戸田川、福田川、
山崎川水系
山崎川
境川水系
境川
その他、東小川、藤ノ木川、荒子川、中川運河、大江川、郷下川、愛知用水
池 : 牧野ヶ池、猫ヶ洞池、水主ヶ池、茶屋ヶ坂池、明徳池、塚ノ杁池、大根池、御深井池、他多数
干潟 : 藤前干潟

名古屋市は以下の16区で構成されている。

千種区
東区
北区
西区
中村区
中区
昭和区
瑞穂区
熱田区
中川区
港区
南区
守山区
緑区
名東区
天白区

札幌市

日本最北の政令指定都市で、全国5番目の人口を有する。北海道庁所在地。19世紀まではアイヌ民族の住む土地であったが、明治時代に置かれた北海道開拓使によって、京都をモデルとした碁盤目状の計画都市として開発され、以来、北海道の政治・経済の中心的都市となっている。1972年の札幌オリンピック開催を機に観光都市としても世界的に知られるようになった。

香港とほぼ同じ面積を持ち、周辺に江別市、北広島市、恵庭市などのベッドタウンを擁して札幌都市圏を形成する。地方中枢都市には珍しく昼間人口と夜間人口があまり変動しない。市の中心部には地下街が発達し、札幌駅前・大通周辺のショッピングエリアには近郊の都市からも人が集まる。その経済圏(道央圏)の人口は340万人におよぶ。

もともと「サッポロ」は現在の豊平川にアイヌの人々がつけた名で、その流路一帯の地名にも転用されたものであるとされる。由来はアイヌ語の「サッ・ポロ」sat-poro(乾いた大きい)であるとする説が有力だが、その意味するところについては「かつての豊平川が乾季に極端に水量が少なくなる川だったため」、あるいは「一帯が乾燥した広大な土地であったため」と意見が分かれる。「サリ・ポロ・ペッ」sari-poro-pet(湿原が広い川)であるとする説は、低湿な豊平川下流部の様子を的確に表しているが、「サリ」あるいは「サル」で始まる表記で記録された書物・地図が見あたらないとの指摘がある。

石狩平野の南西部、石狩川の支流豊平川の扇状地を中心に広がる都市である。市街地は碁盤目状に道路が走る。市の西部・南部は手稲山・円山・藻岩山など山岳・丘陵が大部分を占めている。広い市域の南西約2/3は山岳地帯の森林で、支笏洞爺国立公園に指定されている部分もある。

山 : 藻岩山、手稲山、琴似山(三角山)、硬石山、円山、木挽山
峡谷 : 豊平峡
河川 : 石狩川、豊平川、茨戸川、円山川、新川、琴似川、琴似発寒川、発寒川、創成川、伏籠川、月寒川、厚別川、野津幌川、北の沢川、中の沢川、簾舞川、精進川、山鼻川
湖沼 : 定山湖、さっぽろ湖、モエレ沼、ペケレット湖、トンネウス沼、菖蒲池、西岡水源池
滝 : アシリベツの滝、八垂別の滝、平和の滝

神戸市

海と山の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深の有る扇状の入り江部に発展した理想的な港湾を有する日本を代表する港町である。

市域中央に横たわる六甲山地の山上の高原一帯は日本における別荘・リゾート等の発祥地として有名であり、六甲北麓の有馬温泉は日本三古湯の一つとして古来より名高い。

「神戸」という地名は、現在の三宮・元町周辺が古くから生田神社の神封戸の集落(神戸「かんべ」)であったことに由来する。兵庫津(ひょうごのつ)に近い西国街道の宿場である「神戸宿(こうべじゅく)」の事を指していた。

海運においても古くから興り、近代には世界の市場にその名を知られるほどに隆盛していった。以降も貿易・鉄鋼・造船・機械・製造・ゴム・真珠加工・観光等の産業を中心に発展、ファッション・医療などの産業も近年は盛んである。

兵庫県南部地震で市街地と港は甚大な被害を受けたが、国内3番目の市営空港として神戸空港が開港するなど復興を遂げつつある。

神戸三社(神戸三大神社)をはじめとする市内・国内にある神社の神事に使うお神酒の生産にも係わり、前述の有馬温泉や神封戸の形成も市名の由来に関係している。

遣隋使の時代には、既に港は開かれていたが、平清盛により経が島の近くに都である福原京が置かれた前後に貿易の拠点として整備されて「大輪田泊(おおわだのとまり)」と呼ばれたことがその発展の始まりとされる。その後、明治維新までは「兵庫津」と呼ばれて京・大坂の外港・経由地として栄えた。 江戸時代に、西宮宿(現在の西宮市)と大蔵谷宿(同明石市)とをつなぐ小さい宿場として「神戸宿」が形成されている。

条約による1868年の兵庫開港の際、実際には、神戸宿が開港場となって外国人居留地や港が造られ、1879年に勅令により「神戸港」となる。その後、日清戦争を経て上海・香港をしのぐ規模となり、1990年代初期までの間、東洋最大の港として発展を続けた。港の発展は、造船・鉄鋼・機械を中心とした工業の発達も促して阪神工業地帯の中核を担う日本有数の重工業都市に成長する。県名の由来にもなっている兵庫と神戸とは離れていたが市域の拡大によって一つの都市としてまとまっていった。

太平洋戦争末期に何度もB29による空襲を受け、当時の神戸の市街地・工業施設・港湾施設のほとんどが焼失・破壊されて多数の死者をだす惨禍となる。

戦後、「山、海へ行く」を合言葉に、六甲山系西部の山を掘削して住宅地・産業団地の開発を急速に進め、その際に発生した土砂を神戸港沖合いの埋め立てに用いて人工島のポートアイランドや六甲アイランドを造成、住宅・施設・港湾をはじめとする都市におけるインフラの拡充を積極的に進めた。1981年のポートアイランド第一期竣工時には、地方博ブームの先駆けとなる「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)」を開催して成功させるなど、これらに代表される都市経営手法は、「株式会社神戸市」と称されて全国の市町村から自治体経営の手本とされた。

震災での被害による港湾機能の麻痺や、震災以前からの上海・香港・高雄・釜山などに代表されるアジア諸港の追い上げによって、国際貿易港としての相対的地位はかつてと比べると低下した。しかし、近年の震災復興により、国際貿易港としての地位を回復する傾向にあって日本を代表する港湾都市の一つとして発展を続けている。

また、人口においても震災直後に7%あまり減少したものの、新長田駅前・JR六甲道駅前での震災復興再開発事業やポートアイランド二期事業・神戸医療産業都市構想などの事業によって呼び戻されて2004年11月には震災前を超えるまでに回復した。2007年3月に実施された国勢調査の速報値では152万9187人となっていて過去最大を更新している。なかでも、都心への回帰現象がみられる中央区や大阪へのベッドタウン化が進む東灘区や灘区において高い増加率が目立っている。

京都市

古くはしばしば中国王朝の都となった洛陽に因み、京洛、洛中、洛陽などといわれた。元々は平安京を東西に分割し、西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」と呼んでいた。ところが、右京すなわち「長安」側は湿地帯が多かったことなどから程なく廃れ、市街地は実質的に左京すなわち「洛陽」だけとなった。

そのため、京都を「洛陽」と呼ぶようになった。京の都に上ることを上京、上洛と言う。現在でも京都以外の地方(含東京)から京都へ行くことを「上洛する」「入洛する」ということが少なくない。

京都は、桓武天皇が784年(延暦3年)の長岡京に続いて、794年(延暦13年)平安京に遷都したことに始まる千年の都である。

京都に都が移された理由は諸説ある。例えば、長岡京の建設責任者であった藤原種継が暗殺されたことや、南都寺院の影響から脱するためであったとか、天武系の都を脱して天智系の都を造るという意図説などである。

平安京は中国の風水に忠実に設計された都市で四方を山に囲まれ、東に鴨川が西に桂川が蛇行しながら南へと流れている。内部は都城を模倣した長方形の区画をもっていた。現在の千本通が当時の朱雀大路にあたり、真北には舩岡山が位置していた。

平安時代の律令制の形骸化にともなって次第に本来の領域にとらわれない、鴨川と大内裏・御所を中心とする都市になり、経済的に発展していった。鎌倉時代には政治の中心が鎌倉へと移行したために相対的に政治都市としての役割を失い、経済都市としての性格を強くする。承久の乱を契機に鎌倉幕府は京に六波羅探題を設置して、公家勢力の監視を行う。鎌倉時代末期に足利尊氏が京都の六波羅探題を滅ぼし、幕府滅亡後には京で後醍醐天皇による建武の新政が行われる。その後新政から離反した尊氏が北朝を立て、南北朝時代となると、京都争奪戦が何度も行われる。南朝が衰微して、室町時代になると京には室町幕府が置かれたために政治都市として復活する一方で経済発展を遂げ、町衆と呼ばれる有力市民による自治の伝統が生まれた。足利義満は北小路室町(上京区)に花の御所と呼ばれる邸宅を建造し、応仁の乱で焼失するまで将軍家の在所となり、足利将軍は在所から「室町殿」と呼ばれた。

戦国時代の端緒となる応仁の乱で市街、特に北側の大半が焼失し、その後もたびたび戦乱に巻き込まれた。この頃、京都は上京と下京に分かれ、それぞれ「構」によって囲まれていた。その間は畑になっていたといわれ、室町通でかろうじてつながっていた。この後、織田信長、豊臣秀吉の保護と町衆の力により復興した。特に、秀吉の都市改造は大規模なもので、聚楽第と武家町の建設、内裏の修理と公家町の建設、洛中に散在していた寺をあつめた寺町の建設などを行い、現在でもしばしばその都市構造を確認することができる。(→天正の地割)

17世紀には政治の中枢が江戸に移ったものの、都であることに変わりはなく、人口が50万人を越え、江戸、大坂に次ぐ日本第三の経済・文化都市として繁栄する。また、江戸幕府は京都所司代を設置して直轄下に置いた。

明治維新後は京都府が置かれ、1869年(明治2年)に明治天皇が東京行幸。これに伴い太政官も移動された(東京奠都)。1879年(明治12年)には郡区町村編制法により、京都に上京区と下京区の2区が置かれ、続いて1889年(明治22年)に上京区・下京区は府管轄下の「京都市」となった。

現在の京都市は、伏見をはじめとする周辺の町村を編入したため、江戸時代以前からの伝統的な「京都」の範囲は、厳密に言えば現在の京都市内の一部に過ぎない。

現在は世界有数の観光都市。神社仏閣の本山を多数擁する。 なお、現在、名所・旧跡に立てられている案内碑は、そのほとんどが明治維新後に推定で置かれたものであり、必ずしも、実際の所在地と一致はしていない。

福岡市

人口約140万人を抱えており、名実共に九州第一の都市である。商業都市として有名であるが、多くの官公庁の機関や全国企業の支社なども置かれている。東京特別区を含む市人口では全国で8位で、福岡市周辺に福岡都市圏を形成する。百貨店、大型ファッションビル、地下街などがある天神が商業の中心地区であり、周辺の大名、今泉、警固、上人橋通り、赤坂けやき通りにも店舗は拡大している。また、天神の東方にキャナルシティ博多、博多リバレイン、川端通商店街などがある川端という繁華街もある。その集客力は広域におよび、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、山口県などが商圏に含まれていると言われている。さらに夜の街といえば全国的に有名かつ歓楽街の規模も指折りに入る中洲であるが、中洲以外には博多区に雑餉隈という街がある。ビジネスの中心エリアは天神地区周辺に加え、博多部の博多駅周辺や祗園駅周辺である。

福岡市は天神・博多駅周辺の都心部を中心として西に西新地区、東に香椎地区、南に大橋地区の3地区をそれぞれ副都心として位置付けており、特に西新や香椎は小規模な繁華街を形成しており活気ある街になっている。

市の規模に対して犯罪率(認知件数÷人口)は3.3%と高めである。(ちなみに、他の主要都市の犯罪率は札幌市2.0%、横浜市2.1%、東京23区2.4%、名古屋市3.8%、大阪市4.2%である)※参考[1] [2]

本州(特に東京・大阪など)在住の人に、主要駅の名前から、福岡市全般の事を指して「博多」と呼ばれることがある。

これは、中世よりこの地域は「博多」という街として認識されていたことや、山陽新幹線の終着駅が「博多」であり、ビジネスでも福岡へ出張することを「博多へ行く」と呼んでいた程、博多という名前が浸透していたからである。歴史的にも、明治22~23年に福岡市にするか博多市にするか、議会で議論されていたくらいである。又、福岡と博多をあわせて「福博」と呼ばれることもある。

九州の北部、日本海(博多湾・今津湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・陸繋島である志賀島、西は糸島半島の東部まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。

福岡市から壱岐・対馬を挟んで向かい側に朝鮮半島がある。日本の主要都市としては朝鮮半島や中国などの東アジア諸国・地域に最も近い都市で、直線距離では東京特別区から約1100km、大阪市から約550km、韓国の釜山広域市から約200km、同国の首都・ソウル特別市から約550km、中国の上海市から約900km、台湾の台北市から約1300kmの位置である。

市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。市街地の海岸部は大半が埋立地となり、港湾・住宅などが建設されている。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。

市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などがあるが、一級河川はない。

長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、集中豪雨があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市治水上の課題となっている。

川崎市

神奈川県の北東部に位置している。市の北端には多摩川が流れ東京都との境となっており、東部には東京湾が広がっている。北西部は多摩丘陵と呼ばれる丘を形成、商業地、及び古くからの閑静な住宅地が密集し、東京都心から伸びる私鉄各線を利用して都内に通勤・通学する家庭が多数居住する地域として歴史を有している。また大学等の高等教育機関も多数あり、文京都市としての側面も見られる。東部及び多摩川沿いの低地は住宅地のほか工業地が特に多く、東京湾岸に広がる埋立地は大規模な重工業地帯となっている。

北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは日本の旧石器時代や縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。

7世紀に律令体制の整備により武蔵国の一部となり、奈良時代には現在の高津区に橘樹郡衙(たちばなぐんか)が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また1128年(大治3年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。

市長 : 阿部孝夫(あべ・たかお) (2005年10月23日再選)
市職員数 : 15,280人 (2003年7月1日)
当初予算規模(2004年度)
一般会計 5,209.58億円
特別会計 4,800.06億円
公営企業会計 2,008.22億円
市議会議長 : 矢沢博孝(やざわ・ひろたか)(2005年6月6日選出)
市議会議員数 : 63(任期満了日 2007年5月2日)
市制記念日 : 7月1日

広島市

世界史上初の核兵器(原子爆弾)被災都市として、またそれゆえ国際平和文化都市として世界的に有名である。戦前が軍都であった(後述)のとは対照的である。

中国・四国地方では第一の都市。江戸時代には広島藩の城下町、明治期から第二次世界大戦終了までは軍事都市であった。特に戦時には大本営が置かれた。現在では広島県の県庁所在地で、政令指定都市となっており、東京特別区を含めて全国第11番目の人口を抱える。

山陽地方のほぼ中南部に位置しており、広島市を中心とした広島都市圏の中心を形成する。畿内と北九州のほぼ中間に位置しているため、中国地方や中国・四国地方を統括する政府機関や、全国規模で展開している企業の地方拠点も多く置かれている、又、西日本有数の工業都市でもあり、沿岸部は工業地帯となっている。

地場資本も比較的強い方であり、製造業の本社・本部が多く置かれている。地元で効率よくまとめようとする傾向が目立つとも言われるが、広島経済の堅実さの表れである。

近年では、人口の郊外へ流出も引き続いて見られる一方で、中区の人口密度が地方圏で最も高くなるなど、都心部での人口増加が著しく進んでいる。平和大通りでは80mを超える高層ビルが相次いで建設され、政令指定都市の中でも有数の「高層ビル街」であった平和大通りはさらに変貌を遂げつつある。

広島駅周辺でも新幹線口の若草町、広島駅南口の再開発が始まった。また、宇品や緑井、段原などでも開発が行われ、商工センターや西風新都と併せて、副都心としての機能をさらに蓄えつつある。建設中の広島高速道路などと合わせて、広島市は大きく変わりつつある。

南は瀬戸内海に面し、広島湾となっている。市の中心部を流れる太田川の河口に開けた三角州上に市街地が形成されている。太田川デルタを中心に広島平野が形成されているが、それを取り囲むように市の西部・北部・東部は丘陵地帯となっている。

山:白木山(889m)、備前坊山(789m)
川:太田川、三篠川、瀬野川、八幡川、旧太田川、元安川、天満川、京橋川、猿猴川、府中大川
島:似島、金輪島、宇品島(元宇品)、峠島
港湾:広島湾、広島港(旧宇品港)、草津港

「広島」の都市名の由来は、築城を決定した島が三角州の中で最も広いこと由来すると言われている(しかし、実際には2番目の大きさ)。他の説では、毛利氏の祖である大江広元の「広」と、城普請の案内を務め、この界隈の地勢に詳しかった福島元長の「島」を合わせて「広島」と命名したと云う由来もあり、こちらの方が一般的である。
又、「広島」の命名の由来に限らず、広島市には海に関連する由来の地名が多い。

中区
東区 - 1974年合併の旧安芸町域も含まれる。
南区
西区
安佐南区
安佐北区
安芸区
佐伯区

さいたま市

日本の首都である東京の都心部から北に約20-30km、関東平野の中央部に位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため)。また、東京から最も近い県庁所在都市である。周辺地域を含めたさいたま都市圏の人口は120.5万人に及ぶ。
関東平野に位置する当市には山岳・丘陵といえる地域は存在せず、全域が台地及び低地からなる。海抜が20mを超える地区は殆どない。荒川の近い市西部に低地が広がるほか、元荒川や芝川、綾瀬川などの中小河川周辺に谷状の地形がみられる。市中央部・東部はこのような低地・谷地を除けば市の北方から市南部に連なる大宮台地上に位置する。主な河川は殆どが北から南に流れており、東西に並列している。
気候はケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候(Cfa)に属するが、本州の太平洋側に一般的に見られるように夏季に比べ冬季の降水量が少なく、またその傾向も顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区にある)における1979年-2000年の22年間の記録によると、年平均気温は14.6℃、年間平均降水量は1338.0mmである。
内陸にある市としては札幌市、京都市に次ぐ人口を有する一方、面積は217.49平方キロメートルであり、政令指定都市としては川崎市、堺市に次いで3番目に狭い。ただし、埼玉県内では秩父市に次いで2番目に広い。
東北新幹線と上越新幹線が分岐し、多くの在来線の路線も交錯、また東北自動車道、東京外環自動車道などの高速道路も通過する首都圏北側の交通の要衝といえる。
市街地は浦和駅、さいたま新都心駅、大宮駅といった東北本線沿いの、南北に細長い地域を中心に広がっている。
河川: 荒川・芝川・鴨川・綾瀬川・鴻沼川・笹目川・元荒川・藤右衛門川など
湖沼:彩湖・別所沼・白幡沼

県庁、および県内の主要な教育施設が設置されてきた浦和は数多くの行政施設、文化施設が設置されてきた。一方、新幹線など多くの鉄道の結節点となっている大宮駅を擁する大宮は、交通の要衝であるほか県内最大の商業の集積地であり埼玉県内は元より、東京都、千葉県、栃木県や群馬県からも買物客が多く訪れている。なお2006年度のJR大宮駅の1日平均乗車人員は233,719人でこれは、JR東日本では新宿・池袋・渋谷・横浜・東京・品川・新橋に次ぎ8位である。

旧大宮市
西区
北区
大宮区
見沼区
旧与野市
中央区
旧浦和市
桜区
浦和区
南区
緑区
旧岩槻市
岩槻区

北九州市

九州の北東端に位置し、関門海峡を挟んで本州の下関市と対峙する。市の北側は日本海(響灘)に面し、東側は瀬戸内海(周防灘)に面する。

市域の南側には山地が多く、山間部一帯は北九州国定公園に指定される。カルスト台地で有名な平尾台や、「100億ドルの夜景」で知られる皿倉山などがある。

川:紫川、遠賀川
山:皿倉山、手向山

令制国においては、現在の門司区、小倉北区、小倉南区、八幡東区の東半分は豊前国(企救郡)に属し、戸畑区、八幡東区の西半分、八幡西区、若松区は筑前国(遠賀郡、鞍手郡)に属しており、別の国であった。

1871年8月29日の廃藩置県により、豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となった。しかし、1876年8月21日の府県合併により、小倉県は分割されて大半の地域が福岡県と合併した。それ以降、現在の市域全体は福岡県に属するようになる。

この豊前国と筑前国とも、山口市に拠点を置く西日本最大の大名であった大内氏の時代には、この大内氏により守護されており、文化圏の枠組みでは、九州よりも本州や瀬戸内海岸の文化に影響が強い。また、この界隈の基礎となった八幡製鉄所の建設には、明治の長州閥が深く関わっており、歴史的にも豊前と長州の2地域は密接である。

1889年の市町村制施行により、それぞれが町制を敷き、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市が完成した。当時より五市(場合によっては下関市を含めた六市)の合併が提起されていたが、1963年2月10日にこの5市が対等合併、4月1日に政令指定都市となった。五市合併の際、合併後の新市名を住民公募した結果、「北九州市」という名称は2位だった(1位は「西京市」だったが、「西京」の異名を持つ山口市が抗議した為、現在の市名に落ち着いた経緯がある)。ちなみに「北九州」という名称は、この地域を走っていた西鉄の路面電車(2000年11月までに全線廃止)の路線の総称として「北九州市」誕生前から用いられていた。また市内にある北九州市立大学も1950年以来「北九州」を冠していた。

北九州市は、昔から交通の要所でもあり、重化学工業で栄えた都市である。古くから筑豊地方、京築地域、遠賀地方、福岡市周辺はもとより、県外の山口県(下関・宇部)、大分県(中津・宇佐)などの地域との関係は歴史的・文化的に密接である。特に山口県とは歴史的に非常に強い関係があり、文化面・経済面での影響を強く受けている。市内で使われる北九州弁も周辺地域の影響を濃く受けており、市内でも西部と東部で差異が見られる。

北九州市は以下の7つの行政区で構成される。

小倉北区
小倉南区
戸畑区
門司区
八幡西区
八幡東区
若松区
なお小倉北区と小倉南区は以前は小倉区、八幡西区と八幡東区は以前は八幡区だった。

八幡製鉄所を発端に北九州工業地帯を形成し、高度成長期の経済発展の恩恵を受けていたが、その反面、公害対策基本法などの法整備がされていなかった事もあり、公害の多発地帯となった。光化学スモッグは毎日のように発生、洞海湾は「死の海」と呼ばれるほど汚染され、当時の八幡区など周辺地域の学校では、数日たつとプールの水が真っ黒になるほどで、子供や老人を中心に気管支喘息患者も多く発生した。しかしその後、重工業が衰退し、また市全体で環境改善に取り組んだ結果、現在ではかなり好転している。現在、重工業は主要な産業ではなくなり、スペースワールドや門司港駅周辺のレトロ地区などの観光都市への脱皮を図るほか、かつての公害を教訓にリサイクル産業や研究機関を誘致している。

仙台市

仙台市(せんだいし)は、宮城県のほぼ中央に位置する市で、同県の県庁所在地、政令指定都市。北日本では札幌市に次ぐ第二位の人口を有する都市として知られ、東北地方の政治・経済の中心都市である。「杜の都」としても知られている。

広瀬川や青葉山などの自然が都心にあり、また緑が多い事から、「杜の都」の名で親しまれている。河岸段丘に形成された都市の典型で、都市計画はニューアーバニズムやコンパクトシティの好例であるが近年では郊外に人口が拡散している。人口は約103万人で、昼間人口は約115万人に達する。

国から政令指定都市に指定されており、行政面や経済面では第三次産業の占める割合が高く、中央省庁や全国規模の企業の支部が集まっている事から「支店経済都市」となっている。

また、東京都区部と青森市のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置している。

仙台市は、東の境界を太平洋(仙台湾)、北の境界を松島丘陵、西の境界を奥羽山脈、南の境界を名取川流域として、宮城県をほぼ帯状に横断する形状となっている。海岸から長町-利府線断層帯までが地質的には新しい沖積平野、その西が沖積平野より少し古い堆積岩類の台地であり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来ている。船形山、大東岳、神室岳などはいずれも50万年から150万年前に噴火した火山である。


仙台市は奥羽山脈を挟んで山形県山形市と接している。都道府県庁所在地同士が隣接する例は、仙台市と山形市の他、京都市と大津市、福岡市と佐賀市となっている(ただし、仙台市と山形市を直接結ぶ交通手段はJR仙山線仙山トンネル(面白山トンネル)と未舗装の二口峠のみで、その他は両市以外を経由しなければならない)。また、仙台の北東には日本三景の松島(松島町)がある。

山:青葉山、船形山、白髪山、面白山、泉ヶ岳、大東岳、太白山、日和山など
仙台市役所は、市内の野生ニホンザルの頭数を約550匹とみている。
川:広瀬川、名取川、七北田川、梅田川など
沼:五色沼、長沼、大沼など

仙台市は「支店経済都市」であり、また、大学や各種専門学校が集中しているため「学都仙台」とも呼ばれ、全国的に見ても若年者の人口に占める割合は大きい。そのため、支店の従業員の異動や、学生の卒業・入学などにより、年度末に2万人強が仙台を去り、年度始めにほぼ同数が仙台に移住する。近年は、3月・4月に差し引き約6000人総人口が減少し、5月と6月で再び元に戻っている。同様な理由から、第二四半期末から第三四半期始めの9月・10月に人口が減少し、11月に人口が回復する。

日本の近代化の波に乗り遅れた東北地方では、他の地方と比べて産業が乏しかったため、田中角栄政権以降、公共事業に大いに頼って来た。そのため、東北6県では県庁が肥大化して、県内最大の「企業」の地位にのし上がることとなり、その「企業城下町」である県庁所在地の都市化が進んだ。中でも宮城県は、他の県に比べて面積は小さく、自然障壁の少ない仙台平野に県民の大半が住んでいたため、仙台市に県の機能が集中し、爆発的に都市化と一極集中が進んだ。

仙台では、近年の公共事業費等の削減と支店の整理統合などにより、以前のような社会増(転入超過)傾向はなくなり、社会動態における転入・転出はほぼ同数となっている。そのため人口増加は自然増に依存しており、近年は数千人/年程度の増加で留まっている。また、仙台市に隣接する富谷町・利府町・名取市などの宅地開発が進んでおり、これも転出増の原因となっている。平成16年度は社会動態が減少(転出超過)に転じたため、少子化傾向とあいまって、数年後には人口減少が始まるとみられている(転出先のトップは東京都)。

千葉市

千葉市(ちばし)は、千葉県の北部に位置する都市。同県の県庁所在地で政令指定都市及び業務核都市。県内交通の要衝であり、市域には多くの国道や高速道路が集まり、また県内鉄道網の要となっている都市である。

県のほぼ中央部に位置し、東京都心へおよそ40kmの地点にある。地形は、臨海部および各河川下流域に広がる平地と、周辺部の台地・谷津から構成される。郊外や臨海部を中心に大規模な住宅団地が多くある一方、花見川区、若葉区、緑区などの周辺部には自然が多く残されている。かつての海岸線は現在の国道14号・国道357号・国道16号をなぞる線にほぼ等しく、遠浅の海が広がっていたが、昭和期以降の大規模な海面埋立により新たに広大な土地が誕生した。美浜区のほぼ全域及び中央区の一部がこれに該当する。現在の海岸線は中央区部分ではほぼ工業施設または港湾で占められている一方、美浜区部分には長大な人工海浜(いなげの浜、検見川の浜、幕張の浜)も造成されている。

千葉市は以下の6区で構成されている。

中央区
花見川区
稲毛区
若葉区
美浜区
緑区

千葉市の中心市街地は千葉駅(JR・京成)から千葉中央駅(京成)、本千葉駅(JR)周辺、幕張新都心近辺に位置する。 千葉駅から千葉中央駅周辺には千葉都市モノレールや企業のオフィスビルや銀行などが立ち並び、百貨店はそごうや三越、パルコなどが林立する。また市街地中心部に位置する中央公園は市民の憩いの場として様々なイベントが行われている。JR千葉駅の駅ビルにはペリエが入居する。京成千葉中央駅の駅ビルにはミーオが入居し、奥の東口には京成ホテルミラマーレが入居する。周辺地域も含めた千葉都市圏の人口は172万人に及ぶ。

堺市

堺市(さかいし)は、近畿地方の中部、大阪府の中南部に位置する市である。

大阪府では人口・面積が第2の都市である。2006年4月1日に、日本で15番目、近畿地方では4番目、大阪府でも大阪市に次いで2番目の政令指定都市に移行した。

昼間人口より夜間人口のほうが多いために、大阪市のベッドタウンと位置づけられている。

市の西部は平坦で、古くからの工業地や商業地が多く市街化が進んでいる。大阪湾に面する北西部は新日本製鐵堺製鐵所を始めとする「堺泉北臨海工業地帯」と呼ばれる工業地域である。

浜寺昭和と諏訪ノ森は屋敷や別荘が建ち並ぶ高級住宅地であり海浜リゾート地であった。今は浜寺沖の埋め立てと重工業コンビナートの形成により、この地域の高級感は少し衰えをみせる。

中央部は大阪市の上町台地から続く高台(三国ヶ丘台地)で、上野芝にはその地形を生かして戦前、阪和電鉄により「向ヶ丘」「霞ヶ丘」の住宅地が開発された。また、戦後は新金岡や中百舌鳥などに大規模団地が建設され、1970年代には北東部の市街化も進んだ。

南東部の初芝と大美野は戦前に住宅地として開発されたが、周辺は緩やかな台地と田園地帯で農地も多く残る。南部は丘陵地となっており、泉北ニュータウンが広がっている。

堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。

「堺町」もしくは「堺丁」がある都市 - 岸和田市、大和郡山市、和歌山市、姫路市、津山市、倉吉市、広島市、高知市、北九州市(旧小倉市)
「栄町」もしくは「栄」がある都市 - 会津若松市、千葉市、佐倉市、甲府市、金沢市、福井市、静岡市、浜松市、名古屋市、岐阜市、彦根市、岡山市、浜田市、徳島市、久留米市、佐世保市
「堺筋」がある都市 - 大阪市、富田林市

2005年2月1日に東隣の美原町を編入合併した。この編入合併によって政令指定都市の実質上の要件である80万人を超えたため、2006年4月1日に政令指定都市へ移行した。周辺地域も含めた堺都市圏の人口は132万人に及ぶ。

なお、隣接する高石市や大阪狭山市とも合併を予定していたが、2003年に高石市で合併の是非を問う住民投票が行われ、反対多数により堺市との合併問題研究協議会は解散。大阪狭山市では合併協議会設置が議会で否決された。合併はならなかったが、旧和泉国大鳥郡のうち唯一堺市域でない高石市とは市外局番が同じ(072局・堺MA)であり、現在も消防事業は共同で行っている(堺市高石市消防組合)。また、大阪狭山市内には堺市の飛び地が存在する。

複数の政令指定都市が存在する都道府県は、これまでにも神奈川県(横浜市、川崎市)、福岡県(福岡市、北九州市)の2つだけしかなく、堺市の政令指定都市移行により、全国3府県目の事例となる。2007年4月に浜松市が政令指定都市に移行したため、現在は静岡県(静岡市、浜松市)を含めて4府県となった。

今後は、政令指定都市・自由都市である堺をもっとアピールしていくために、仁徳天皇陵の世界遺産への登録を実現する動きが課題となっている。

次の7区が設置されている。詳細は各区の項を参照のこと。

堺区
北区
西区
中区
東区
美原区
南区

堺東駅
高島屋 - 1964年、大阪市外で最初の百貨店として開店。堺東駅ビルの改築工事の一環として入居した。1984年に開業20周年を迎え店内を改装。店舗を拡張して「アップル専門店街」を併設した。以後、高島屋とアップル専門店街で「堺タカシマヤショッピングセンター(SC)」を構成する。2002年にアップル専門店街を高島屋が統合する形で新たな「高島屋堺店」となり、ソフマップをテナントに入れるも2年で撤退。現在はユニクロやABCマートなどをテナントに入れている。なお地下レストラン街は、現在もアップルの名称やロゴ(upル)をそのまま使用している。
ジョルノ - 戦後の闇市を起源とする「堺中央マーケット」の老朽化が進んだため、1981年に行政と組合が開発主体となり再開発ビル「ジョルノ」として生まれ変わった。開業以来、核店鋪にはダイエーが入居していたが2001年に閉店。現在は核テナントとして生鮮館PASTO、キャップ書店、ダイソー、ハローワークなどが入居している。堺東駅とはペデストリアンデッキで結ばれている。
堺銀座商店街 - 明治時代に高野鉄道が開通した時からある古い商店街。戦後、旧市内の商店が空襲に遭い打撃を受けたことや、堺東に市役所など官庁が移転してきたことで、堺の中心商店街としての地位が高まった。1953年にアーケード(ビニール式)が完成。1988年にはモスク型のアーケードに生まれ変わった。ここ数年は、堺市の支所制度導入に伴う堺東の地位低下もあり、かつてのようなにぎわいはない。人気フォークデュオ、コブクロがインディーズ時代に路上ライブを行っていた地でもある。一時、空きビルに場外馬券場を誘致しようという動きがあったが、住民の反対運動により計画は潰れた。
宿院駅
江戸時代から住吉大社頓宮と開口神社の門前町として栄えた。明治時代には劇場街となり、なかでも「卯の日座」は堺最大の劇場として有名だった。1891年には新派の川上音二郎一座が書生芝居の旗揚げ興行を行ったほか、曾我廼家五郎も一座を旗揚げ後、「卯の日座」で最初の興行を行った。山之口商店街は、戦前までは「堺の心斎橋」と称され、「電気館」など映画館も数多くあり大いににぎわったが、戦後は衰退の一途である。また、大小路筋を挟んで北側の通称「天神」は、菅原神社の門前町として歓楽街を形成。現在も飲食店が軒を連ねる。
堺駅
1985年に現在地に移転、高架駅となるまでは、現在の南口に駅舎があった。1986年にイトーヨーカドーが駅前に出店(関西1号店)した。駅ビルに隣接する商業ビルは、入居する核テナントの誘致計画(西武百貨店やダイエー系のプランタンなど)がことごとく頓挫し、高架駅にしては不釣合いな駅舎のまま長年放置されていた。結局、南海電鉄がミドリ電化や紀伊國屋書店(現在は旭屋書店)、食品スーパーのエース新鮮館などからなる自前の複合商業施設「PLATPLAT(プラットプラット)」を2000年に開業した。1993年には西口にリーガロイヤルホテルが開業。大阪市営バスも乗り入れるようになった。

熊本市

熊本市(くまもとし)は熊本県の市で、同県の県庁所在地、中核市である。

人口は約67万人(九州全体としては福岡市・北九州市に次いで3番目)、面積は266km²で、中九州地区、もしくは広義の南九州地区最大の都市である。日本三名城の一つである熊本城を有し、熊本藩細川氏54万石の城下町として発展した。九州の地理的中心に近い位置にあることから、戦前は陸軍第6師団や国の出先機関が置かれ、軍都・行政都市として栄えた。戦後中心的機能の多くは福岡市に移ったが、現在でも財務局や国税局など一部の国の出先機関や陸上自衛隊西部方面総監部、郵政公社などが置かれている。相次ぐ周辺町村との合併で市域を拡大し、1977年には人口が50万人を突破。1991年には北部町・河内町・飽田町・天明町と合併し、現在の市域となり、人口は60万人を超えた。1996年には、改正地方自治法に基づく最初の中核市の一つとなる。

緑に恵まれており、「森の都」[1][2]と呼ばれる。また、豊富な地下水や中心部を流れる3本の川白川・坪井川・井芹川から「水と森の都」とも呼ばれ、都市計画にも自然と共存した街づくりが盛り込まれており、日本有数の田園都市として発展を続けている。

2010年度末に九州新幹線(熊本駅)の開業が予定されている。

福岡市から南へ約110km、鹿児島市から北へ約180km、熊本県の中央部よりやや北側に位置している。

旧城下町を中心に市街地が発展してきた。熊本城の東側には上通、下通、サンロード新市街と呼ばれる中核市最大規模のアーケード街が1km以上にわたって連なり、その周囲に中心市街地が形成されている。他の九州各県は駅周辺にアーケード街があるのに対し、熊本駅の周りにはない。従って、徒歩、もしくは市電等を利用して中心街へ出る必要がある。市役所、日本郵政公社九州支社、日本最大規模のバスターミナルである熊本交通センター(1日6,012本)、2つの百貨店などがある。

阿蘇外輪山へと続く市の北東部や東部は、一部に立田山や託麻三山、白川沿いの河岸段丘など起伏のある地形もあるが、全体としては阿蘇の火山灰土からなるなだらかで農地や住宅地に適した丘陵地となっているため、国道57号沿線の健軍地区~帯山・長嶺地区~武蔵ヶ丘地区を軸に住宅地が広がっている。熊本市の人口は中央部とともに東部に集まっている。

市の南東部~南部は熊本平野の一角をなし、平坦な風景が広がる。江津湖の南側から加勢川沿いの田迎・御幸・川尻周辺にかけては低湿地であり、以前は大雨が降ると浸水する被害もでていたが、排水設備が整備された現在では宅地化も進んでいる。旧来からの広々とした田園風景も残っており、所々に小川やクリークなども見受けられる。飽田・天明地区は主に干拓によって拓かれた田園地帯である。

市の西側は有明海(島原湾)に面し、白川や坪井川が注ぎ込む。海は遠浅で港湾とするのに適しておらず、臨海部はほとんど工業化・都市化していない。わずかに沖合に人工島を造成し熊本港が建設され、長崎県島原市や天草市との航路が設定されているが、周辺土地の分譲はほとんど進んでいない。市の北西側には金峰山 (665m) ・二の岳 (685m) などがそびえ、その東麓は中心部から伸びる住宅地と森林が入り交じり、夏目漱石に「森の都」と呼ばれた風情を今も見せている。

東方にそびえる阿蘇外輪山一帯に降り注いだ雨は地下に浸透し、30~40年かけて平野部に達する。この豊かな地下水によって熊本市の水道水はまかなわれ、水前寺公園や江津湖などにも湧出している。なお、世界の50万人以上の都市で、水道水源を100%地下水だけでまかなっているのは熊本市だけと言われている。しかし、近年は田畑の耕作放棄、森林の管理放棄などによる涵養地の減少や工場の取水などのため、地下水位は低下しつつある。

名所・旧跡・観光スポット
熊本城
加藤神社
監物台樹木園
熊本県立美術館
熊本博物館
熊本県伝統工芸館
旧細川刑部邸……細川藩主一門で重臣の長岡刑部家の下屋敷を移築保存したもの。
藤崎台県営野球場
北岡自然公園……花岡山の麓、細川家の菩提寺・妙解寺跡にある公園。熊本県の重要文化財に指定されている細川家の霊廟があり、文豪・森鴎外の小説のモデルとなった阿部一族の墓もある。園内には、枯山水庭園やバラ園があり市民の憩いの場として親しまれている。
島田美術館……熊本の武人文化に関する歴史資料や古美術品を収蔵している美術館。特に細川家の客将で剣豪の宮本武蔵ゆかりの武具・遺品、書画などを展示する常設展示が充実している。
釣耕園・叢桂園……釣耕園は細川綱利が作った「お茶屋」と呼ばれる別荘の1つ。庭園は飛石を配した広い池に山渓を取り入れたもので、4月下旬から5月上旬ごろには、しゃくなげが花をつける。庭園の奥には熊本出身の政治家・安達謙蔵が建てた三賢堂がある。釣耕園の下手にある叢桂園は、釣耕園の水を引き曲水をつくり、その下手に中国の洞庭湖に模した池を設けた。その北には簡素な茶室がある。頼山陽などの文人が訪れた。
本妙寺……加藤家の菩提寺で日蓮宗の名刹。加藤清正の命日である7月23日、頓写会(とんしゃえ)が行われ、この日は明け方近くまで多くの参詣者で賑わう。山門は「天下の寄付魔」小林徳一郎の寄進。
金峰山……本妙寺の背後にそびえる山。山頂からは熊本平野、阿蘇山、有明海、島原半島、天草諸島などを一望に見渡せる。
小萩園……金峰山県立公園内にあり、春には63種類、約300本の桜が咲き誇る桜の名所。開花時期の3月下旬から4月上旬頃は、全国から取り寄せられた、八重の黄桜、薄紅の天の川、淡紅色の二度桜など、珍しい品種の桜を鑑賞できる。
雲巌禅寺……金峰山の西麓にある曹洞宗の寺。宮本武蔵は裏山にある霊巌洞にこもって兵法書「五輪書」を著した。雲巌禅寺から霊巌洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢が安置されている。
熊本市現代美術館……熊本の中心市街地の複合ビル「びぷれす熊日会館」内にある都市型美術館。企画展示を行うメインの展示ギャラリーのほか、井手宣通ギャラリー、美術図書室でもあるホームギャラリー、メディアギャラリー、キッズファクトリーなどの施設がある。また、展示室だけが美術を鑑賞する場所ではないという観点から、国際的に活躍するジェイムズ・タレル、マリーナ・アブラモヴィッチ、草間彌生、宮島達男による作品が様々な場所に設置され、人々にアート体験を提供している。
夏目漱石内坪井旧居
藤崎八旛宮(藤崎宮)……市内最大の伝統行事藤崎八旛宮秋季例大祭が催される。敬老の日(9月第3月曜日)の最終日に行われる「随兵」行列と「飾り馬」の奉納で有名。
立田自然公園……立田山の麓の森に囲まれた自然公園。細川家の菩提寺・泰勝寺の跡地で、細川家の私邸が隣接する。園内には近世細川家初代幽斎(藤孝)夫妻と二代細川忠興・細川ガラシャ夫妻の四つ御廟をはじめ、藩主や歴代住職の墓がある。
桜山神社……明治9年(1876年)に熊本で起こった神風連の乱で敗れた太田黒伴雄ら志士たちを祀る神社。境内に神風連資料館がある。
熊本国際民藝館
武蔵塚公園……宮本武蔵が眠る武蔵塚につくられた公園。
水前寺公園……細川綱利が造営した桃山式回遊庭園。東海道五十三次を模したといわれる。細川幽斎が八条宮智仁親王に古今伝授を行った古今伝授の間が移築されている。
江津湖
熊本市動植物園
四時軒……勝海舟が西郷隆盛と並び賞した幕末の偉人横井小楠が営んだ私塾。現在は横井小楠記念館付属の建築物という形で保存され、小楠に関する資料のほか、勝や西郷、吉田松陰などの小楠にゆかりのある人々の書も展示されている。坂本竜馬は小楠をここに訪ねて教えを受けている。
大慈禅寺……曹洞宗の開祖である道元の高弟で順徳天皇の皇子である寒厳義尹禅師によって開山された曹洞宗の名刹。寒厳義尹文書四幅や梵鐘といった、国の重要文化財に指定されている貴重な寺宝が保管されている。境内には種田山頭火の句碑も建てられている。
フードパル熊本
熊本競輪場
健軍神社・・・・・・阿蘇四社の1つ。

岡山市

岡山市(おかやまし)は、中国地方の南東部、岡山県の南部に位置する都市で、同県の県庁所在地、中核市である。中心部は旧御野郡。 人口は約70万人で2009年の政令指定都市への移行を目指している。

桃太郎と吉備団子で知られ、日本三名園の一つ後楽園を擁する都市である。後楽園を擁する中心部と、「吉備路」の田園や吉備高原の一角の中山間地域が広がる郊外とでは、対照的な佇まいを見せる。

瀬戸大橋の開通に伴って交通インフラが急速に整備され、岡山都市圏は周辺都市圏と共に東瀬戸経済圏を形成するに至っている。

隣接する自治体
岡山県:倉敷市、玉野市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、加賀郡吉備中央町、久米郡久米南町、美咲町、都窪郡早島町
香川県(海上で隣接):小豆郡土庄町

市長 髙谷茂男(2005年10月11日~。1期目)

民間出身(元サンヨープレジャー、おもちゃ王国、チボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営会社)社長)
元通産省職員で、1999年の市長選に自由民主党と社会民主党の推薦で初当選した前市長萩原誠司が、自由民主党の要請で2005年の衆議院議員総選挙で岡山2区から立候補するため、2期目途中の2005年8月25日に市長を辞職したのに伴い実施された、2005年10月9日投開票の市長選挙に自由民主党・社民党の推薦を受けて立候補し、初当選を果たした。
総選挙、岡山市長選とも前衆議院議員熊代昭彦氏に自由民主党が対抗馬を出した形となっている。

岡山県南百万都市構想
「昭和の大合併」の時期に提唱された政令市を念頭に置いた合併構想。1巡目の岡山国体前年の1961年当時、岡山県知事だった三木行治が打ち出したもので、邑久町(現瀬戸内市)から鴨方町(現浅口市)、南は児島半島までの33市町村による大規模合併であった。成立すれば人口が90万人となり、県の人口の半分を占める数であった。関係市町村議会の議決後(岡山市においては昭和37年(1962年)12月17日、22対16の賛成多数で議決)、ほとんどの首長らの署名が行われた段階で、倉敷市長が署名を行わないまま一時失踪する騒動が発生。これにより合併の中心的存在だった岡山市、倉敷市、児島市(倉敷市児島)が合併協議から脱退するに至り、これら3市の市長が合併を知事に申請しなかったことにより構想は時間切れで頓挫した。頓挫した後は、まず岡山市と倉敷市に周辺市町村を合併し、その後岡山市と倉敷市を合併する二段階の合併によって構想の実現を目指したが、その実現には至らなかった。

相模原市

相模原市(さがみはらし)は、神奈川県北部にある市。

相模原市は、神奈川県内では横浜市、川崎市についで第3位の人口規模を擁する中核市。2007年3月11日の2町の編入合併により人口は70万人を越え、全国で第19位、政令指定都市でない市では岡山市を抜いて日本一人口の多い市となった(人口約85万人の東京都世田谷区を一つの市とみなさない場合)。現在、2010年3月末までの政令指定都市移行を目指している。

経済面や鉄道・道路などの地理上、東京都・特に多摩地域とのつながりが強く、町田市と共に首都圏南西部の核として国から位置づけられている(首都圏業務核都市指定都市)。しかし、東京都心まで電車で約35分程度(相模大野より小田急小田原線の快速急行の場合)であり、ベッドタウンの面が強く、業務機能の集中は弱いのが現状である。そのため、全国で唯一、中心市街地法で都市核が複数(橋本・相模大野)認められている都市であり、ヘソのない街として知られる。

2006年3月の合併以前の旧相模原市域は、隣接する町田市との経済的、地理的、文化的関わりが深く、共に業務核都市に一つの都市として指定されている。近年、東京都心へ旧市域南部の相模大野から30分ほど、旧市域北部の橋本から35分ほどで行けるその交通の利便性から、東京のベッドタウンとしての人気が高まり人口が爆発的に伸びる。特に20代、30代、50代周辺の人口が多く、市全体を活気ある雰囲気にしている。市内には相模原公園や相模原北公園をはじめとした大規模な公園が点在していることや、比較的自然な環境が近いことなどから若年世帯を中心とした人口の流入が続いている。市内に大学が多いことや、周辺都市の大学も相模原市内の駅を最寄とする場合が多く、更に多数の大学を抱える八王子市への交通が便利なため、学生の街としての顔も併せ持つ。また、市内には宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究本部相模原キャンパス(開所時は宇宙科学研究所)があり、日本の宇宙科学の研究拠点として知られる。

また編入した旧津久井郡4町のうち、城山町と津久井町は橋本駅を最寄り駅として利用しており、国道413号(津久井街道)を介して相模原市中心部との結びつきがあるのに対し、相模湖町と藤野町は相模原市中心部よりも、JR中央本線や国道20号(甲州街道)を介して、八王子市との結びつきの方が強い。

相模原市の小売店舗数は、県下で第4位。年間販売額は、横須賀市を抜き、横浜市、川崎市に次いで第3位。4300店あまりの小売店が市内各所に活気ある商店街を形成している。「暮らしのニーズに応える高感度商業の振興」をメインテーマに、商店・商店街の活性化、ベンチャー企業の創出、魅力ある商業地づくりなどが目指されている。

市民ニーズに対応できる多様で個性的な商業地を形成する目的で、橋本・相模原・相模大野各駅周辺地区が中心商業地に、淵野辺・上溝・小田急相模原・東林間・古淵各駅周辺の地区が地区中心商業地に位置付けられている。相模大野駅西側、小田急相模原駅東側では現在、再開発が計画されており、一部では事業が始まっている。また、再開発が一段落した橋本駅北側でも、さらに超高層マンションの計画や、南側が緊急都市再生地域に指定されたことによる再開発計画が検討されている。

市内全域に蕎麦屋チェーンである「増田屋」の数が多く、店舗数は「吉野家」や「マクドナルド」と競る多さである。

市内にある企業規模に比べ、ビジネスホテルの数が少ない事から、遠方より出張に来るサラリーマンはあまりいないものと思われていた。だが、2007年6月に「東横イン」が相模原駅前にオープンする予定である。

相模原駅、小田急相模原駅周辺及び町田駅南側の相模原市域の裏路地は風俗店が乱立している。

また、相模原市は人口構成、人口伸び率、立地などの観点から新規出店や新発売商品のマーケティング実施地域として有名で、中でも国道16号線沿線は郊外バイパスのロードサイド商業施設の「激戦区」とされ、全国展開の成否を占ううえでの試金石とされることが多く、様々な商業施設の日本第1号店が市内各地にある。(例:BOOK OFF)

相模大野駅周辺地区の商業は、近くに相模女子大学、北里大学、女子美術大学などがあるため、学生の購買力を期待しがちだが、実のところ購買力はほぼ期待できず、撤退/開店が繰り返されている。これは、駅ビルの商業形態が幾度も変更された事でも証明される。

知る人ぞ知るラーメンの町
アイワールド相模原店~市役所周辺にある「中央大通り」周辺に、2006年12月に出来た相模原拉麺横丁を核に、かなりの数のラーメン店が点在しており、別名「ラーメンストリート」の異名を持っている。(ジャンルを選ばず古今東西のラーメン店があり、不人気店は廃業に追い込まれる事から、ラーメンコロッセオとも呼ばれる。)また、ラーメン情報誌等でも、旧相模原市全域に渡りラーメン激戦区とかラーメン王国と記される事がある。(中央大通りを核にまばらながら味自慢の有名ラーメン店が放射状に分布していて、北は橋本・城山周辺、南は淵野辺周辺、西は田名・愛川町方面、東は八王子市南大沢付近にまで伸びている、また相模大野や町田駅周辺にも別のラーメンエリアが存在する。)全国各地の有名店の暖簾分けの店も多く進出し、またその味を求め週末は全国からラーメン愛好家達が集結する。

浜松市

浜松市(はままつし)は、静岡県西部にある中心都市。2005年7月1日の12市町村に及ぶ合併により、人口と市域面積は県内で最大となった。2007年4月1日に政令指定都市へ移行した。戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えた。外国人が、3万人以上いる。隣接する豊橋市・磐田市も外国人が多い。

古代にあった浜名湖東岸の浜津郷から。また、中世に浜松と呼称されるようになったことが、史書にもある。引馬(ひくま)という地名も浜松を指していた。徳川家康が、浜松城を本拠として、引馬(曳馬)を浜松と改めたことで、以後、浜松として定着する。

南部の平野と北部の山間で構成され、面積は、高山市に次いで全国で2番目に広い。豊かな自然に囲まれており、北部は赤石山系、東部は全国でも有数の流域を持つ天竜川、南部は広大な砂丘からなる遠州灘、そして西部は浜名湖と四方を異なる環境に囲まれているため、市内各所に舘山寺や奥浜名湖、弁天島、白倉峡など数多くの多種多様な景勝地がある。

平野部の気候は温暖で、2月でも晴れた日には上着なしで外出できる日もある。しかし、「遠州の空っ風」と呼ばれる強い季節風が吹くため、気温以上に寒く感じられる日も多い。山間部は夏になるとフェーン現象により、全国一の高温を記録することもある。山間部の旧水窪町が豪雪地帯に指定されている一方、沿岸部の旧浜松市は降雪量累計の平年値が0cmであるなど地域差が大きい。

主な農産物
菊 田原市(愛知県東三河地方)に次ぐ、全国屈指の菊の産地。遠州地方の花卉の主力品目。静岡県全体の70%を、浜松市で生産している。
みかん 主要な作目の一つとなっており、「浜名湖みかん」というブランドで全国に出荷されている。特に旧三ヶ日町のみかんについては品質が優れていることから「三ヶ日みかん」というブランドが別に与えられ高値で取引されている。
ネーブル 県で全国1位、内60%を三ヶ日と細江で生産する。細江の白柳ネーブルは高品位、高級で知られる。
ガーベラ 南アフリカ原産の花で、全国23%のシェアをもち、産出額では全国1位を誇る。
セロリ 全国1位の産出額を誇る。
チンゲンサイ 浜名湖東岸での生産が盛んで、産出額は全国1位である。
植木 浜北区は全国でも有数の植木の産地である。
ジャガイモ 三方原では、ジャガイモの生産が盛んで、県1位の産出額である。北海道などの主要産地より収穫期が早く高品質であるので端境期の高級食材として有名シェフ等に利用されている。
温室メロン ビニールハウスを使った高級な温室メロンの生産が盛んである。
米 多くの水田があり、県内1位の順位を誇る。
タマネギ 郊外の篠原地区では、特に早生玉葱の生産が盛んで、日本一の早期出荷地として広く知られている。県で全国6位。その大半を篠原で生産する。
エシャロット 生食用のラッキョウを軟化させた名産品の1つで、南部の砂地を生かして生産される。産出額は全国1位である。
ミツバ 大久保町中心に大規模施設で作られる。自動制御、生産管理された近代的な水耕栽培システム。
パセリ 県で全国3位、その内70%を生産。浜名湖東岸一帯と、天竜川西岸一帯で栽培される。
次郎柿 浜北区大平を中心に生産。大きくて甘みが大変強く、四角いのが特徴。
サツマイモ
緑茶 天竜区天竜町・春野町は、遠州地方では旧小笠郡(掛川市、牧之原市など)に次ぐ緑茶栽培の中心地区となっている。「遠州山のお茶」という統一ブランドを持つ。渋味とほのかに残る甘味。
ダイコン 三方原台地を中心に生産。遠州焼き(遠州お好み焼き)の具に必ずたくあんが入るのはこのためと言われている。
葉葱 葉葱の生産が中心。尚、天竜川より東の磐田市は白葱が中心である。
ピオーネ 県内生産の40%を占める。主に都田地区周辺が産地。ピオーネは伊豆半島で生まれた種。
フリージア 静岡県の生産額は全国第一位、その内約95%を、庄内地区で生産している。
ホオズキ 全国の9割を生産する。
牛、豚などの畜産業
天竜杉などの林業 一帯は天竜美林と呼ばれ、吉野・尾鷲と並ぶ日本三大美林の一つに数えられる。天竜杉は独自の赤みを持つ。天竜区など。
シイタケ 天竜区で生産される。原木で育てられる高級品。
イチゴ あきひめや紅ほっぺといった品種が細江や和合などで生産され、県内各地に出荷されている。
ナシ 北区の聖隷三方原病院周辺や浜北区に梨農家が集まっており、夏から秋にかけて豊水や幸水、菊水など多種多様な品種が生産されている。スーパーなどにはほとんど出回らず農家の直売が主な販路。

鹿児島市

鹿児島市(かごしまし)は、九州南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地である。 鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、ナポリからヴェズーヴィオ山を望む風景に似ている事から、「東洋のナポリ」と呼ばれる。

南九州エリア(鹿児島県、宮崎県南部)の中心都市であり、古くは薩摩藩の城下町として栄えた。1889年4月1日に日本で最初に市制を施行した31市の一つで、現在は福岡市、北九州市、熊本市に次ぐ九州4位の人口を擁する。また、県人口の約三分の一が集中している首位都市でもある。九州新幹線の完全開業により更なる発展が期待されるが、もともと鹿児島市は地理的要因により一極集中型の地域ブロックの拠点都市として発展してきた側面もあり、北部九州と短時間で結ばれるようになることで、鹿児島県エリア拠点機能の喪失(福岡、熊本への統合)や商業面におけるストロー効果などのマイナス面も懸念されている。

九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置し、鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域とする。鹿児島湾(錦江湾)を望み、桜島などに年間約900万人の観光客が訪れる観光都市でもある。

平野部の大部分が商業地域、住宅地域、工業地域に占められ耕作地域はほとんどない。市街地に近い傾斜地や山間部の多くも宅地開発され団地やニュータウンが数多い。しかし、都市の発展に道路開発が追いついておらず、朝夕はいずれの幹線も渋滞が激しい。特に、谷山地区からの通勤渋滞は酷く大きな課題となっている。

市域中心部の対岸(直線距離約4km)に位置する桜島は、1980~90年代に比べればかなり沈静化しているが、現在もなお活発な火山活動を続けており、市中心部にもしばしば降灰する。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀である。

山: 城山、多賀山、桜島、八重山、花尾山、上宮岳、三重岳、三方塚山、雄岳
河川: 甲突川、稲荷川、脇田川、新川、清滝川、永田川、神之川、川田川、思川
火山に近く泉源数が多い為、市内の入浴施設の殆どが温泉である。
新島(しんじま)
桜島の北東部約1.5kmにあり、鹿児島市唯一の有人離島である。島へは鹿児島市高免町の浦之前港から行政連絡船によって渡る。
面積:0.13km² 周囲約2km 人口:4世帯6人 住所:鹿児島市新島町

船橋市

船橋市(ふなばしし)は、千葉県北西部に位置する都市。中核市に指定されている。

市域の中央部一帯は標高20-30mの平坦な洪積台地で下総台地の一部である。最高所は習志野台5丁目の標高31.2m。下総台地は西部を南流して海に注ぐ海老川、東北部は東流して印旛沼に注ぐ神埼川その他の小河川があり、主に海老川水系と印旛沼水系(神崎川水系)の分水界を形成している。
河川による樹枝状侵食谷には谷津田(谷戸)が営まれ、台地上は林と畑であった。現在は台地上に住宅団地も広がる。
その先の最も海寄りの地域は沿岸流によって形成された砂丘地帯で、海神・宮本の台地をおおい、市川から千葉へと続く。
台地と砂丘の間の低地は沖積平野で、天沼・蓮沼がある。
遠浅の海岸であったが現在は殆ど埋め立てられている。

南部は商業施設や工場が多く、中部は住宅地が開発されて人口が多い。北部には農地もあり、米はじめ多くの種類の農産物が栽培されている。特にニンジンや梨の栽培が有名である。
ラムサール条約登録運動のある三番瀬(『さんばんぜ』と読む)がある。
船橋駅からやや東より、京成電鉄の大神宮下駅と船橋競馬場の間に東経140度の経線が通る。国道14号線沿いには、そのことを記した標識がある。
船橋市には隣接する市川市との間に市境の未確定地(どちらの市にも属していない土地:境界未確定地)がある。場所はふなばし三番瀬海浜公園近くの海岸(砂浜)。未確定分の面積は0.14km²。また、丸山地区は鎌ヶ谷市に囲まれた飛地の状態で存在している。

隣接している自治体
千葉県 - 市川市、習志野市、鎌ケ谷市、白井市、八千代市

河川
海老川、長津川、前原川、飯山満川、北谷津川、金杉川、高根川、念田川、宮前川、坪井川 (千葉県)、駒込川 (千葉県)、桑納川、木戸川 (新川水系)、三咲川、金堀川、鈴身川、二重川、二和川、葛飾川、木海川、神崎川、田喜野井川、二俣川 (千葉県)、海神川、南海神川

伝説では、 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、川を渡るために船で橋を作ったのが地名の由来とされている。市内を流れる海老川(現在よりも水量、川幅があったとされ、現在は陸地であるが夏見干潟と呼ばれる大きな入り江があり、湊として栄えていたという)に船を並べ、その上に板を渡し橋を造った。そのような船で造られた橋の事を「船橋」と言うことから船橋となった、というのが最も有力な説。
船橋という地名が世間で言われるようになったのは鎌倉時代とされており、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に『船橋』という地名が出てくる。

八王子市

八王子市(はちおうじし)は、東京都の島嶼部を除く地域の南西部に位置する市で、中核市の要件を満たす、多摩地域の中心的な市の一つである。国からは業務核都市、東京都からは多摩の「心(しん)」として位置づけられている。人口全国第24位、東京都内では特別区に次いで第2位、全国の政令指定都市及び候補市(市町村合併の結果人口が70万人を越えた市)を除くと全国第5位の市。2007年4月に保健所政令市に移行した。

戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えたことに加え、多摩地域内で最も早く市制施行したことや南多摩郡の郡役所所在地であったことから、多摩地域や南多摩地域の中心的都市とみることもできる。また、かつて絹織物産業・養蚕業が盛んであったために「桑の都」および「桑都(そうと)」という美称があり、西行の歌にも「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」と詠まれている。国産ネクタイ地の製造シェアは日本一である。

八王子市は東京都の島嶼部を除く地域の南西部、都心から約40kmに位置している。

市域全体を概観すると、山地・丘陵を三方の周縁とし、東へ流れる浅川を中心に、八王子盆地と呼ばれる東にひらけた半盆地状の複合扇状地をなしている。かつてその扇状地は桑畑として利用されたが、現在では住宅地や工業用地として転用されほとんど見ることができない。西部の山地に源を発する浅川は市の中央部付近で南浅川と合流し市の中心域を流れ、川口川と合流、日野台地のせり出しを受けて東南に下り、山田川、湯殿川と合流して日野市へと向かう。その他の主要河川である北部の谷地川、南東部の大栗川はそれぞれ市の外で多摩川に合流する。中心部の標高は海抜100m前後である。(市内最高所は醍醐丸=上恩方町、標高862.7m、最低所は大栗川=大塚、標高63.0m)

中世から近世・近代に至るまで東西を走る甲州街道と、川越・桐生・日光(日光脇往還)など関東北西部、小田原・鎌倉・横浜(浜街道)など南西部・南東部を結ぶ街道が交差する交通の要衝であった。とくに江戸時代には、甲州街道の宿場町として栄えた。

現在でも、国道20号(甲州街道)と横浜から川越方面へと向かう国道16号(東京環状)、そして青梅を経て甲府へ向かう国道411号(滝山街道、青梅街道)の交点である。また、八王子ジャンクションにより中央自動車道と首都圏中央連絡自動車道との交点でもある。

鉄道輸送においてもJR中央本線と横浜線・八高線の交点として、またJR貨物八王子総合鉄道部や京王電鉄の始発駅2駅を抱え、主要拠点となっている。

財政
2005年度の当初予算規模は約3,160億円である。1995年度をピークに不況による税収の減少が続いているが、人員削減・経費の抑制・債務返済などの効果もあり、2005年度決算では約24億円程度の黒字であった。市債残高は2005年度末時点で2,735億円となりピークであった2000年度の3,184億円から449 億円減少している。単年度の歳入における地方債依存度は年々低下し、2005年度では4.0%であった。市債の発行目的は主に小中学校の校舎建設や都市計画事業、住民税の減税補填の費用であった。施設整備などの投資的経費の減少により地方債の発行が抑制されたため、2002年度の歳入に占める自主財源の比率は63.0%である。また、一般財源の比率は68.4%であった。

2001年度のラスパイレス指数は105.0で指定都市を除く全市区町村の中では8番目に高く、東京26市の中では7番目に高かったが、給与の引き下げなどの対策によって2005年度は101.8で全国でも20位となった。2005年度決算における歳出に対する人件費比率は20.3%で、年々縮減される傾向にある。

なお、2006年度の当初予算規模は次のようになっている。

一般会計:1,596億円
特別会計:1,649億円

第3次産業が、事業所数・従業者数ともに全体の約8割を占める。

北八王子工業団地には、各種計測機器などの精密機器製造業の他、交通の利便性により、各社の物流拠点がある。北八王子工業団地のほかには、浅川工業団地、狭間工業団地、八王子繊維工業団地、下恩方工業団地、美山工業団地、北野工業団地がある。 現在では、「織物の町」ではなく徐々に「工業」の町に変化している。 その典型的な例として、八王子駅前の再開発のときに長年八王子市民から八王子のシンボルとして親しまれた、「織物の町 八王子」とゆう モニュメントが撤去された。 現在では、繊維工業よりも圧倒的に機械工業の会社の数が多くなっている。

機業地であった歴史を受け継ぎ、絹織・ニット製品・染色業などの工場も多い。

中心市街地では、大型小売店舗の撤退・中小小売店舗の閉店により、活性化が求められている。 現在では、鉄道沿線の市区(新宿区・立川市・町田市など)や市郊外の大型小売店舗に買い物客が流れている傾向がある。

新潟市

新潟市(にいがたし)は、新潟県北東部(下越地方)の都市で、同県の県庁所在地であり、本州日本海側唯一の政令指定都市である。

北陸地方は元より、本州日本海側では最大規模の都市である。古くから港とともに栄え、幕末の日米修好通商条約開港五港の一つとなり、現在でも水陸の交通の要衝である。

2005年の大規模合併で面積や人口が増大。2007年4月1日に、本州日本海側初の政令指定都市に移行した。

1950年代まで、市街の新潟島中心部には堀が張り巡らされ、それに沿って柳が植えられていたことから「水の都」、「柳都(りゅうと)」などと呼ばれる。あまり一般的な呼称ではないが、観光PRなどに積極的に利用されている。

特筆すべきは、多数の漫画家を輩出していることである。その数は日本でもトップクラスといえる。

新潟の地は、信濃川と阿賀野川が日本海に流れ込む場所で、低湿な平野と、海にそって続く砂丘と、数多くの潟湖が形成された。

中心市街地は、信濃川の河口に発達している。郊外には潟を干拓した広大な水田が広がる一方、現在でも鳥屋野潟や佐潟、福島潟などの潟湖が残されている。うち、佐潟については、1997年にラムサール条約登録湿地となっている。

中心市街地は古くから、信濃川左岸側(西側)の旧新潟町、右岸側(東側)の旧沼垂町の、二箇所を中心に栄えて来た。両地域を結んでいたのが萬代橋(万代橋)であり、この橋が架けられてから、万代橋を中心に市街地が広がっていった。しかし、1950年代後半から、現在の新潟駅を中心とする地域の開発が始まった。又、鳥屋野潟周辺の小規模湖沼の干拓、旧市域の曽野木・両川・大江山地域と亀田・横越地区に跨る亀田郷や新津・小須戸地区の新津郷、白根地区などで乾田化が行われた。

1960年代から1970年代にかけては巻・西川・潟東地区に跨る鎧潟、豊栄地区では福島潟の一部も干拓されるなどして開発が進んだ。1964年6月の新潟地震以後からは、市内の国道・鉄道路線に沿った地区から、徐々に宅地化が進んでいった。このため、現在の市街地・住宅地は、海岸に沿うように北東から南西にかけて細長く伸びている。

関屋分水路の掘削により、信濃川左岸側の地域は全方向が川と海に囲まれるようになったため、「新潟島」と呼ばれることがある。また新潟島の対岸には「万代島」と呼ばれる地区があり、ここには新潟港(新潟西港)の区域にあたる佐渡汽船新潟港ターミナル、朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)などが立地する。ここは、元々信濃川の中洲だったが、昭和初期に信濃川の両岸が埋め立てられた際、陸続きとなった地域である。

越後平野に位置するので、市域に占める可住地の割合が大きい。他の地方都市に比べると、数字上では人口密度が高めだが、住宅地が郊外に分散しているため、一箇所への人口集中はそれほど見られない。

郊外には農地が多い。海岸沿いの砂丘地帯は畑が多いが内陸部は水田が中心である。

越後平野の信濃川・阿賀野川下流域は、かつてはその多くが湿地帯で、現在も水田やその埋立地が多いという背景から、地盤が軟弱な箇所が多く、仮に大規模な地震が発生した際には揺れが大きくなりやすく、また液状化現象が発生する可能性が非常に高い。内閣府が2005年に発表した「表層地盤のゆれやすさ全国マップ」によると、新潟市付近の表層地盤は軟らかいため、非常に揺れが増幅し易いという調査結果が出ている(沿岸部の都市は総じて揺れ易い傾向にある)。又、これとは別に、大地震が発生した際には、関東平野・濃尾平野・大阪平野・庄内平野・秋田平野などと並んで、長周期地震動によって揺れが増幅し易い箇所であるとの研究結果もある。

日本海側気候のため、冬の湿度が高い。
冬の新潟は海からの風が強く、雪は横なぐりに吹きかけてくる。傘は役に立たないことが多い。
一般に雷は夏の風物詩と思いがちであるが、新潟を含む日本海側では、夏のみならず、冬の大雪のときも大気が不安定になって雷が鳴るため、「雪降らし」・「雪降ろし」と呼ばれ、冬の風物詩にもなっている。
新潟県内は全域が豪雪地帯に指定されているが、新潟市街地は広い平野の海沿いにあって越後山脈から離れているため、雪雲が山にぶつかって大雪を降らせる一般的な日本海側の降雪機序とは異なること、さらに季節風の風上に佐渡島があって壁になっていることから、日本海側の他の諸都市と比べて降雪量が少ない。また、東北・北海道にくらべて冬季の気温が高いため、厳冬期以外は自然に融解することも多い。そのため、上越市・長岡市・金沢市・富山市などに比べ、「消雪パイプ」は比較的設置されておらず、除雪での対応で事足りる。各地で記録的な大雪となった平成18年豪雪の際でも、市内の最深積雪は24cmであり例年通りだった。

東大阪市

東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府の東部の市。大阪市、堺市の両政令指定都市に次ぐ、大阪府内で第3位の人口規模の市であり、中核市に指定されている。将来は政令指定都市への移行及び、八尾市や柏原市などとの市町村合併の構想もあるがまだ計画にまでは至っていない。

大阪平野の東部に位置する。市域の大半は平坦な低地で、河川の多くは天井川である。そのため1976年(昭和51年)の大東水害では大きな被害を蒙った。 一方で市東部は生駒山系の山々が連なっており、豊富な自然が残されている。 主な河川には、長瀬川・恩智川・玉串川・第二寝屋川などがある。

東大阪市の公務員問題
第一次臨調までは、地方公務員の給与水準は、民間より低いうえ、衛星都市はどこも人口流入によって行政需要が拡大する一方だったために人手不足となり職員確保に苦慮した。

ところが、昭和40年代に入ると、国の勧告も有り給与水準は上がっていった。伏見市長は、最大の後援団体である労働組合、東大阪市職労の意向を反映して市政運営を行った。労組の要求に応じて、臨時職員や嘱託職員を正規職員とした。また、後援団体の推薦により職員を採用した。その為に他の市町村に比べて、予算に対して職員給与の占める比率が高くなり、財政的な負担となった。給与水準の向上は職員の質を高め、早慶、帝大卒業生等の優秀な人材が確保できた。しかし、「課長中卒、係長高卒、ヒラ大卒」という状況が生じた。

昭和49年(1974年)のオイル・ショックと財政状況悪化により、職員の正規採用は5年間にわたって見送られた。毎年の職員採用が復活するのは、昭和60年以降で有る。これにより、職員の年齢構成が歪み、瓢箪型となった。現在、中間管理職を担うべき人材が不足している。また、2007年以降の団塊の世代の大量退職による退職金支払いが、財政不安要因となっている。

保守系市長は、労組の影響を排した労務管理を行った。職員削減により、人口当たりの職員数は同規模自治体を下回るなど効率化が図られた。又、給与引き下げにより、国家公務員を100としたラスパイレス指数も、最高時123から98まで下がった。これにより、職員のモラルが低下したとの評価もある。清水市政時代には、再び後援団体推薦による職員採用が行われ、職員の質低下が問題となった。長尾市長は、コンプライアンス(法令遵守)の仕組みを工夫し、採用試験受験者の得点を公開する制度を作った。これにより、正規職員採用においては不正が行えなくなった。しかし、その後就任した松見市長は後援団体推薦により、非常勤職員の大量採用を行うなどの問題を引き起こした。

[編集] 清水市政の腐敗と結末
清水市政第2期目には、市長、一部与党議員推薦による職員不正採用疑惑、下水道工事入札疑惑、老人施設用地買収疑惑、新中央病院の指定薬局を後援会員が経営しているなど疑惑があり、これらの問題は連日新聞、テレビで放映され、取材先になった後援会関係者が自殺するという事件も起こった。清水市長の一連の疑惑は司直の手に委ねられる事となった。

しかし、関係者が逮捕されたが、うやむやのままに終わった。捜査が終わった事を知った清水市長は、大失言をする。「大阪府警は日光の猿みたいに、今頃反省していることでっしゃろ」と発言したのである。大阪府警は疑惑以外の法律違反を理由に、市長逮捕に踏み切った。その一つは勤務実態の無い愛人に対する厚生年金受給資格授与、住民実態の無い愛人の住民基本台帳登録容疑である。清水市長は逮捕され、獄中で辞職する事になった。そして、自ら制定した職員倫理条例に基づき「在職中の犯罪」を理由として、退職金を返還する最初の例となった。

姫路市

姫路市(ひめじし)は、近畿地方の西部、兵庫県南西部(播磨地方)に位置する市。
明治22年の市制施行当時の市域と、旧飾磨郡全域と揖保郡、神崎郡、旧印南郡、旧宍粟郡の一部から構成される。

神戸市に次ぐ兵庫県第二の都市であり、中核市に指定されている。

神戸市に次ぐ県内第二位の商工業と人口の都市であり、中核市に指定されている。観光事業では、国宝であり世界遺産でもある姫路城や、西の比叡山と呼ばれる書写山円教寺、三大荒神興の一つ灘のけんか祭りなどの播州の秋祭りが有名で、国内は勿論、海外からの観光客も多い。

中播磨県民局のエリアにあり、播磨地方の中心都市としての性格も持つ。余談だが、自動車のナンバーは、播但地区はみな姫路ナンバーのため、戸惑いが多い。 人口では長らく神戸市・尼崎市に次いでいたが、平成に入って尼崎市を上回った(2006年の合併前)。

兵庫県西部、播磨地方(旧飾磨県)の中心都市である。播磨平野の中西部に位置し、市域の中東部を市川が、中部を船場川や野田川(外堀川、三左衛門堀)が、中西部を夢前川や大津茂川が、西端を揖保川が、それぞれ南流して播磨灘へ注ぐ。播磨灘沖には家島諸島がある。

市の中心部に姫路城が建つ姫山、中心部北部に広峰山と増位山、北西部に書写山(書寫山)、北部に明神山・雪彦山がある。市域を東西に貫通する形で山陽新幹線・山陽本線・国道2号が通り、姫路駅は姫路城の真南1kmに位置する。市街地は姫路城の城下町が原型となっている。近年は姫路駅南側への発展も見られる。

気候は典型的な瀬戸内海式気候であり、降水量は比較的少なく、冬季は早朝の冷え込みが激しい。

戦前から、臨海部に新日本製鐵、山陽特殊製鋼、合同製鐵、大和工業の工場が設置され、製鉄業が発展したが、近年は高炉の操業停止などにより、縮小傾向にある。他に東芝、三菱電機、ダイセル化学工業、日本触媒、ウシオ電機などの大規模工場が立地しており、工業都市を形成している。
また、上述の山陽特殊製鋼、大和工業の他、餡菓子・餃子等製造の御座候、蒲鉾・竹輪製造のヤマサ蒲鉾、手袋の製造・販売大手のショーワグローブ、プロジェクター用ランプ大手のフェニックス電機、モーター・ポンプ製造・販売大手の三相電機、船舶用電機最大手の西芝電機、自動販売機等製造最大手のグローリーなどが姫路市に本社を置いている。
地場産業としては、皮革、マッチ製造、製鎖などがある。ちなみに姫路仏壇、姫路白なめし革細工、明珍火箸、しらさぎ染、和蝋燭、姫路独楽、姫路張子玩具は、県の伝統工芸品に指定されている。

西松屋チェーン(ベビー・子供向け衣料販売)、マックスバリュ西日本(イオングループの食品スーパーマーケット)、ムラチク(食肉加工卸)、神姫バスなどが本社を置くほか、神戸に次ぐ県内二位の商工業都市ということで、多数の企業が支社・支店や出張所を置く。

大型小売店鋪
山陽百貨店
ヤマトヤシキ
ザ・モール姫路(西友が運営するLIVIN姫路店がキーテナントのショッピングセンター)
姫路サティ(株式会社マイカル)
ジャスコ姫路リバーシティーショッピングセンター(イオン株式会社)
イオン姫路大津ショッピングセンター(イオン株式会社)
イトーヨーカドー広畑店

松山市

松山市(まつやまし)は、四国の北西部、愛媛県の中部に位置する、同県の県庁所在地、中核市である。四国地方で最大の人口を有する。

四国最大の人口を有し、道後温泉を代表とする「国際観光温泉文化都市」。松山城を中心に発展して来た旧城下町で、小説『坊っちゃん』『坂の上の雲』や俳句で知られる文学の街でもある。

瀬戸内海を通じて広島市や呉市との関係が親密である。

2005年1月1日、北条市、温泉郡中島町を編入し、人口50万人を突破した。中心市街地は旧温泉郡に属する。

松山市は西に瀬戸内海(伊予灘及び斎灘)に面しており、北と東は高縄半島の山々、南は四国山地の一支脈である皿ヶ峰連峰に接している。松山平野の大部分を占めるほか、三坂峠のすぐ下の山間地から、旧・中島町の島嶼部に至るまで広い面積を有するようになった。

山:高縄山(標高986)、明神ガ森(標高1217m)= 松山市最高峰
峠:三坂峠(標高720m)=国道33号
河川:石手川、重信川
湖沼:白鷺湖(石手川ダムの貯水池)
島:忽那諸島

JR予讃線松山駅は、中心市街内のやや西寄りにある。むしろ伊予鉄道の松山市駅が中心駅と言え、ここから郊外線が3方向に伸びている。加えて、市内電車(軌道)の拠点停留所も松山市駅前にあり、都市間高速バスを含む路線バスの発着点ともなっているなど、公共交通の面でも中心といえる。これには、松山市駅が明治21年(1888年)に開業したのに比べ、予讃本線(現・予讃線)の到達が遅く、昭和2年(1927年)になってようやく松山駅が開業した、との経緯もある。なお国鉄延長の際、松山市駅はそれまで名乗っていた「松山駅」の名を国鉄に奪われ、現駅名を名乗るようになった。

国道11号、国道33号、国道56号、国道196号が松山市中心街に集中し、広域的な交通拠点ともなっている。松山自動車道のインターチェンジは市の南部、砥部町寄りにある。

県内では数少ない人口増加中の都市。第二・三次産業中心の都市である。みかんに代表される農業や、近年苦戦気味だが道後温泉を中心とした観光業、化学繊維を中心とした製造業が基幹産業。空港や港湾付近の沿岸部には工業地帯が広がっており、帝人グループ最大の生産拠点となっている。工業生産額については四国でも上位である。 四国を統括している国の機関として、総務省四国総合通信局やNTT西日本 愛媛支店、日本郵政公社四国支社、NHK松山放送局(四国統括局)等がある。 県庁所在地として、商業、サービス業が発達している。特に飲食、歓楽街の規模は中四国でも有数の規模といえる。

小売業
百貨店
三越松山店
いよてつ高島屋(旧いよてつそごう、伊予鉄百貨店)<伊予鉄道出資比率が高いため名前が付く、髙島屋と提携関係がある>
商店街・飲食店
松山中央商店街(大街道、松山銀天街、まつちかタウン)
松山城の南が商業地となっており、一番町の三越松山店と市駅前の伊予鉄髙島屋を繋ぐ形で、大街道、銀天街の商店街がL字型に連なっており、大掛かりなアーケード設備も有し、松山市を代表する商店街となっている。銀天街の西に隣接し、伊予鉄松山市駅前には地下街がある。
大街道商店街を挟み、北は一番町から南は千舟町通にかけての一帯には非常に多くの飲食店が軒を連ねている。
大型書店・古書店・専門書店
紀伊國屋書店松山店
アニメイト松山店
メロンブックス松山店
明屋書店本店
ブックオフ
大型模型店・ホビーショップ
富士教材
Plamo
大型家電量販店
コジマ
ヤマダ電機
デオデオ
ベスト電器
ファッション・衣料品店
ラフォーレ原宿松山<旧スーパーいづみ(現イズミ)松山店跡地>
ユニクロ
しまむら
西松屋チェーン
洋服の青山(青山商事)
はるやま商事
大型スーパーチェーン
フジグラン
ジャスコ
ジョー・プラ
マルナカ
マルヨシセンター
また、ゆめタウンがJT松山工場跡に進出する計画もあったが、商店街から反発を受け、中止となり、広島の業者に売却され、マンションと複合施設が建設する予定。

静岡市

静岡市(しずおかし)は、静岡県の中部地区に位置する市。県庁所在地。政令指定都市。

静岡県の東西のほぼ中央、東京都区部と名古屋市のほぼ中間の太平洋ベルト地帯上に位置し、範囲は駿河湾から赤石山脈(南アルプス)まで南北に広がる。2003年4月の旧静岡市と旧清水市との合併でいわき市を抜き、2005年2月に高山市が周辺9町村と合併するまで、日本一広い面積を持つ市であった。

現在では、高山市、浜松市、日光市、北見市に次いで、全国で5番目に広い市である。南北に静岡県を貫いており、東海道ルートで長距離移動する際、本市を横切らずに東西に移動する事は不可能である。

静岡県内では統計上浜松市に次いで総人口2位であり、政令指定都市の中では最も人口が少ないが、人口集中地区、都市雇用圏、商圏の規模は県内最大である。

自然地理
富士山を望む日本平などの景勝地や、温暖な気候でも知られる。三方を山に囲まれ、南は駿河湾に接している。市域面積の10%未満しかない平野部に人口の約98%が集中しており、残り市域の大半は非可住の山林である。糸魚川静岡構造線上に位置しており、急峻な山や急流が目立つ。

又、駿河トラフに近いために、南関東と同様に大地震の危険性が指摘されており、防災にも力が入れられている。

山:間ノ岳、塩見岳、荒川岳(悪沢岳)、赤石岳、聖岳、光岳、山伏(やんぶし)、大無間山、満観峠、真富士山、十枚山、竜爪山、賤機山、谷津山、八幡山、有度山(日本平)、梶原山、薩埵山(薩埵峠)、浜石岳、大丸山、大平山
川:大井川(上流)、安倍川、藁科川、丸子川、巴川、大谷川放水路、長尾川、富士川、興津川、大沢川、庵原川、山切川、中河内川、大橋川、小河内川(興津川支流)
湖:井川湖、畑薙湖(畑薙第一ダム湖)、麻機沼(麻機遊水地)、鯨ヶ池、有東坂池、二ツ池、船越堤、

静岡市は、「広大な一個の中で多極型」の構成であり、中心市街地は、駿府城・静岡駅周辺と、清水港・清水駅周辺の二極を中心に形成されている。又、静岡市街地と清水市街地の中間に位置する東静岡駅周辺に、文化施設などを主体とする新市街地(新都心)を建設中であり、行政機関の移転も検討されている。

奥安倍・井川
安倍川上流の奥安倍地区(旧梅ヶ島村・大河内村・玉川村。静岡駅から梅ヶ島までは45km)や、大井川上流の旧井川村は、1969年元日に旧静岡市と合併した。

2003年の新静岡市発足で政令指定都市になって以後、奥安倍と井川は、静岡市街地と共に葵区に含まれている。行政機関は、井川は「葵区役所井川支所」という扱いであり、奥安倍に至っては行政機関すら設置されていない。(※一部の手続きは、市中央公民館の各分館で可能である。農協や郵便局などの金融機関は設置されている)安倍奥、奥大井では川に沿った標高の低い所に細く長く集落が点在している程度であり、最も大きい集落である井川本村ですら人口が500人に満たない規模なのでコスト面で行政機関を設置することが難しいのである。

地図を見ると、井川は鉄道が通じている島田・川根本町との交流関係の方が深そうであるが、実際には路線バスや乗用車で静岡市街地へ向かう事が多い。標高1000m超の富士見峠を越える長いワインディング路であるため静岡市街地から井川ダムまで2時間近い所要時間がかかる。近年では長島ダム建設のおかげで大鉄閑蔵駅より大井川下流側の県道が非常によく整備されたため、スーパーマーケットやホームセンター程度の日用品買出しには川根本町、川根町方面へ行くことが若干増えているようである。大井川鉄道井川線は本数も少なく、運賃もバスで静岡市街地に行くより高いので、生活の足としては向いていない。紅葉の時期などハイシーズンは多くの観光客でいっぱいだが、閑散期(特に冬)は殆ど乗客がいない。

梅ヶ島をはじめとする安倍奥地区は、富士川沿いのルートが開かれるまでは駿河と甲州とを結ぶ街道沿いであった。武田信玄がかつて梅が島に金山を開いたことなど、甲州と関係の深い地域でもある。

福祉・医療
城東保健福祉エリア(葵区)
(保健所、急病センター、保健福祉センター、心身障害者デイサービスセンター、いこいの家)

葵区郊外の安倍川上流の地区は、日本で緑茶栽培業が興った土地でもある。これ以降、安倍川上流の郊外部では緑茶栽培業が盛んになり、江戸時代には徳川将軍家に献上する御用茶の栽培が行われた。北原白秋作詞の『ちゃっきり節』は、この歴史に因んだご当地ソング(新民謡)である。
又、ワサビ栽培業の発祥地も、奥安倍の有東木(うとうぎ)地区である。また、足久保地区は、日本で初めて緑茶が植えられた地である。

尼崎市

尼崎市(あまがさきし)は、兵庫県に属する市。保健所政令市。

兵庫県で最も南東に位置し、大阪府に隣接している。南は大阪湾に面し、西に西宮市、北に伊丹市、北東に豊中市、東に大阪市が隣接しており、大阪平野に完全に面している。兵庫県下第4位の規模の人口(かつては県下2位であったが、人口減により、姫路市および西宮市に抜かれた。下記参照)を有しており特例市の指定を受けている。略して「あま」と呼ばれることがある(後高アクセント、後の項で詳述)。ただし人口密度では国内でも常に上位に入る人口集中地域である。

主に市南部に工業地域、中南部には商業地域、そして市中北部から北部にかけて住宅地が広がる形で発展している。鉄道を利用することにより、20分以内に大阪や神戸へと到達することが出来るが、独自の旧尼崎藩領や旧旗本領の元農村地域を中心に構成された工業都市である尼崎独自の都市圏を構成するために、大阪のベッドタウンとしての要素は薄く拠点性がある。人口密度は兵庫県下では最も高く、国内においても10位以内に入る。また、南部の海岸部は阪神工業地帯の中心部でもあるが、埋立地の部分が多く、海抜0メートル以下の地域が少なくない。

明治初期に旧尼崎藩士族や地主の出資による近代紡績工場設立の際、資金難からやむを得ずに商業地大阪の資本参加を受け入れ、繊維取引の場所である大阪船場との電話通信費節約の目的で大阪市内から直接電話回線を引いたため、以来、市外局番は「06」となっている。

おなじ幕府大坂城代地だった商業地の神戸市に比べ、商業地である大阪中心部との交流は、もともと農漁村地域であった西淀川区や此花区などを除いてほとんどなく、他の大阪神戸の都市圏とは異なる伊丹市、宝塚市などに広がる旧尼崎藩領地域の元農村地域を中心にした独自の中小都市圏を構成している。それらの尼崎都市圏の交通手段として尼崎市営バス、伊丹市営バス、阪急バス(おもに縦断)、阪神バス(阪神尼崎~JR宝塚の尼崎宝塚線など)、阪神電気鉄道(本線・西大阪線)、阪急電鉄(神戸線・伊丹線)、JR東海道本線(神戸線)、JR福知山線(宝塚線)、JR東西線などがある。

近年はJR西日本や阪神沿線を中心とした市中南部の再開発事業にも力を入れており、これらの地域でも高層マンション群や巨大商業施設が多くみられるようになった。なお市民人口は昭和46年(1971年)度の55万4155人より一貫して減少傾向にあるが、近年、その傾向はゆるやかになりつつある。

その一方で、2005年11月には海岸部の関西電力尼崎第3発電所跡地に世界最大級と称される松下プラズマディスプレイ(松下電器産業と東レによる合弁会社)のプラズマディスプレイ・プラズマテレビ(主にVIERA)の工場(松下プラズマディスプレイ第3工場)が完成。大阪にほど近い立地条件の強みを生かし、衰退した工場用地を積極的に再利用しようとする動きも加速しているとされる。なお、この工場に隣接して新しいプラズマディスプレイ工場(松下プラズマディスプレイ第4工場)が2006年5月より建設されており、2007年7月には完成予定である。これに伴う人的な流動や同工場へと部品を調達する下請け企業の進出なども期待されている。 またJR尼崎駅北側に大規模な開発計画も予定されている。阪神百貨店・平和堂をはじめシネコンプレックスが出店される模様である。

阪神工業地帯の中核を担う工業都市として『工都』と号し立ち並ぶ煙突が町の誇りとされる一方、公害の都市として有名であった。近年では、かつて工業用排水・生活排水による汚染が著しかった市の中心部を流れる庄下川が魚の住める状態にまで改善されたとして平成12年度の建設大臣賞「蘇る水100選」を受賞した。また、NPO主催によるコンテストにおいても、「日本のきれいな都市」トップ5に選出されたことがあるなど、美化事業に力を入れている。 同じく、NPO主催の環境首都コンテストには2001年開催の第1回より毎年参加しており、特に2004年開催の第4回においては総合で4位、人口規模別で1位、地球温暖化防止部門の人口規模別で1位となるなど、年ごとにランクがより上位に移るという良い傾向にある。

尼崎市は、2007年5月21日正式に中核市への移行(人口50万人に達していない都市は面積100km²以上)を表明し、同5月23日に白井市長を本部長とする第1回中核市推進本部会議を開催した。過去、人口要件は満たしていたものの、市域面積が約50km²と要件に満たなかったが、第28次地方制度調査会で「面積要件については廃止することが適当」とされ、2006年6月7日に地方自治法の改正・施行により正式に中核市都市候補となり、2009年4月1日の移行を目指して準備をすすめていく。隣接する西宮市もすでに2008年4月1日の中核市移行を目指して準備をすすめており、両市が中核市となると兵庫県下では姫路市と合わせ3市が中核市となる。

鉄道
市役所は立花駅が近く、商工会議所などのある繁華街は阪神尼崎駅を中心に広がっている。

西日本旅客鉄道
東海道本線(JR神戸線) 尼崎駅 - 立花駅
福知山線(JR宝塚線) 尼崎駅 - 塚口駅 - 猪名寺駅
JR東西線  尼崎駅
阪急電鉄
神戸本線 園田駅 - 塚口駅 - 武庫之荘駅
伊丹線 塚口駅
阪神電気鉄道
本線 杭瀬駅 - 大物駅 - 尼崎駅 - 出屋敷駅 - 尼崎センタープール前駅 - 武庫川駅
西大阪線 大物駅 - 尼崎駅
JRの尼崎駅は神戸・明石・加古川・姫路・相生・宝塚・三田・篠山・福知山方面からと大阪・高槻・京都・大津・草津・野洲・米原・長浜・敦賀・京橋・四條畷・松井山手・京田辺・木津方面からの列車が交わり接続する(=ジャンクション)駅のしての役割を担っており、阪神の尼崎駅も2009年春の西大阪延伸線開業(予定)により大阪のキタ(阪神梅田駅)とミナミ(近鉄難波駅)に接続される。関西私鉄で梅田・難波の2大ターミナル両方に乗り入れる鉄道はいまだ存在しない。阪神電鉄もJR西日本と同様、尼崎を重要な分岐点として考えている。

松戸市

松戸市(まつどし)は、千葉県北西部に位置し、古くは水戸街道の宿場町として、現在は東京のベッドタウンとして知られる。東京都と埼玉県に接しており、千葉県内では人口第3位の市である。

千葉県の北西に位置し、南北に流れる江戸川を西端としている。江戸川の左岸にあたる西部地域は海抜4m前後の低地で、水路が縦横に走り、宅地化が進んだ現在でも、水田や畑地が各所に見られる。東部地域は洪積地層からなる下総台地(海抜20-30m)の西端となっていて、現在ではやはり住宅地がひろがっているが、1960年代以前は、山林や果樹園などの畑が多く見られた。標高は市域のほぼ中央に位置する常盤平駅周辺が最も高く、ここを境にして、市内の河川は西に向かい東京湾へつづく江戸川水系と、東に向かい太平洋へ注ぎ込む東の手賀沼・利根川水系に分かれている。なお、市内を流れる坂川は、北千葉導水路の一部として江戸川に流れている。

JR常磐線が水戸街道と並走するように市の中西部から南北に貫き、北部(新松戸駅)で武蔵野線と交差している。松戸駅からは新京成線が分岐し、ほぼ市の中央の八柱駅にて武蔵野線新八柱駅と交差するように市の中央部を横断している。また、南部では北総鉄道が東西に走り、東松戸駅で武蔵野線と連絡している。

江戸時代から水戸街道の宿場であった。現在の松戸駅の付近である旧宿場は現在も中心市街となっている。また、1960年代から大規模住宅団地が市内各地に造成されると、住宅地の鉄道駅周辺があらたに商業施設などの集まる市街地として整備されている。また、幹線道路の整備・拡幅にともない、郊外型の商業施設が沿線に立地している。

地域問題

JR松戸駅前西口。伊勢丹松戸店に向かう通り。2006年9月撮影悪化する景観
松戸駅周辺の景観が、近隣主要駅と比較して悪いことが問題視されている。無秩序に広がる消費者金融や風俗産業等の派手な看板や広告等が駅利用客を出迎える。駅前を暗くしていたアーケードは撤去されたが、看板・広告は未だに放置されたままである。
新松戸「赤い鳥居」問題
新松戸駅西口を出ると、通路を取り囲むように威圧的な鉄骨のオブジェがつくられている。通称「赤い鳥居」と呼ばれるもので、新松戸住民からの評判は悪く市議会でも問題になっている。市の役人によるお仕着せの街づくり、市自らが景観を考慮しない街づくりをしていることの一端をみることもできる。
孤独死問題
2005年NHKスペシャルで、市内の常盤平団地における孤独死の問題が放映されたときは、全国に大きな反響を呼び、高齢化対策の遅れなどといった問題が顕在化している。→常盤平を参照
区画整理問題
松戸市南部のターミナル駅である東松戸駅周辺の区画整理事業の失敗により、駅周辺には10年以上建設途中で放置された道路や造成地が数多く残されている。2007年3月にオープンした東松戸アルフレンテにより東松戸駅周辺の開発に勢いがついた。大規模マンションの建設も進んでいる。
東松戸駅構内までは点字ブロックが設置されているのに対し、市の管轄エリア(ロータリー)から点字ブロックがなくなっているなど、バリアフリー整備の遅れおよび中断された区画整理の再整備を今後どう進めていくかが今後の課題といえる。
下水道整備の遅れ
松戸市南東部地域(大橋・紙敷・秋山・高塚新田など)において下水道の整備が大幅に遅れており、そのため家庭排水が直接河川に流され国分川(春木川)および真間川の水質を汚している要因とされている。(周辺の自治体に比べても松戸市の下水道普及率はワーストクラスである) なお北総線およびJR東松戸駅の開業以降、これらの地域では近年宅地化が急速に進行しており、環境保全のためにも早急な整備が求められている。

川口市

川口市(かわぐちし)は、埼玉県南東部の荒川北岸に位置し、さいたま市に次ぐ、県内第2の都市。特例市に指定されている。

荒川を隔てて東京都と接することもあり、東京に通勤、通学するいわゆる埼玉都民が多い。

江戸時代には日光御成街道の宿場町として栄え、鋳物の製造でその名を知られるようになり、当時・若手女優の吉永小百合をヒットさせた映画『キューポラのある街』(1962年公開)の舞台となった。幕末の動乱期には勝海舟の指示により川口の鋳物で大砲が製造されている。しかし近年は鋳物工場も急激に減少し、今ではほとんどその姿は見られない。そして入れ替わるように1990年代からマンションが相次いで建てられ、街の風景も一変してきている。

鳩ヶ谷市、蕨市との合併構想(武南市)があったが、事前に行った市名公募のアンケート結果で、新市の名称が『川口市』が1位であったにも関わらず合併協議会で『武南市』が可決されたことに対し、民意が反映されていない、とした川口市が離脱を表明、これにより解散された。鳩ヶ谷市が合併協議会解散後に行った「合併に関する全世帯意向調査」で、「川口市との合併」が過半数に達し、編入合併についても3割以上の賛成があり、川口市に改めて合併協議を申し入れたが、川口市は時期尚早であるとした。

1995年に当時の浦和市(現・さいたま市)にその座を譲るまで、県内最多の人口を誇っていた。 また2006年10月26日には、住民基本台帳と外国人登録に基づく登録人口が50万人に達した。

埼玉県の「中央地域」と呼ばれる県南東部JR京浜東北線・高崎線沿線地域(北足立地域)のうち、南端に位置する市の1つ。

北をさいたま市、西を蕨市と戸田市、東を越谷市と草加市、南東を東京都足立区にそれぞれ接し、南西は荒川を隔てて東京都北区と接する。そして鳩ヶ谷市を南側の一部を除いてほぼ取り囲んでいることから、川口市域は馬蹄形の様相を呈した形状になっている。

東部地区(戸塚、神根、安行、新郷など)は「大宮台地鳩ヶ谷支台」が南北に走る高台になっているが、それ以外のほとんどの地域は低地に相当する。低地部分は住宅地などの都市的な機能、台地部分は畑・樹木畑など近郊型農地としての土地利用が多い。また、芝川が中央部を縦断するように流れ、市域はおおむね東西に二分される。

市役所や川口駅のある中心市街地は南西部に位置する。東京都心から10数kmの距離にあり、また東京特別区部に半ば食い込むような位置関係にある市南西部は、戦前の比較的早い時代から都市化が進んだ。従って中央・横曽根・南平柳の各地区及び北部を除く青木地区は、首都圏整備法上の既成市街地としての指定を受けている。

蕨駅周辺は川口市と蕨市の境界に近接していることもあり、違法駐輪の自転車が大宮駅に次いで埼玉県内でも特に多い駅とされている。駅周辺に自治体の駐輪スペースはあるが利用率は決して高くない。これは川口市民には川口市内のスペース、蕨市民には蕨市内のスペースしか利用できないことと、蕨駅西口側にあるマンモス団地、都市再生機構(旧住宅都市整備公団川口芝園団地などの影響が大きい。川口、蕨、鳩ケ谷の合併が実現していれば行われたであろう蕨駅西口の再開発と併せて損失といえる。(ただし、この再開発は国からあまり重視すべきでない再開発として名前を挙げられている。)

河川 荒川、芝川(新芝川を含む)、綾瀬川、藤右衛門川、緑川、竪川、菖蒲川
水路 見沼代用水

川口市は工業都市として名高い。中でも最も有名な産業は、映画「キューポラのある街」にも取り上げられたように鋳物工業であるといえよう。

江戸時代に農閑期の副業としてはじまった鋳物工業は、荒川の砂や粘土、消費地江戸への舟運に恵まれて発達した。鍋、釜などの日用品のほか、幕府や諸藩の大砲や砲弾の鋳造が行なわれていた。明治維新後は永瀬庄吉ら先覚者の技術改良や日清、日露戦争、第一次世界大戦による好況に支えられ、(旧)川口町(現川口駅南東側一帯)は県下最大の工業都市に発展した。その後昭和恐慌によって打撃を受けたが、第二次世界大戦後いち早く民需に切り換えて復活、全国有数の鋳物の街となった。

しかし大半が従業員30人未満の中小企業である鋳物業者は、京浜工業地帯の大企業の下請生産が多いため不況の影響を受けやすいという弱みがあった。また東京に近いことから1960年代以降は急激に都市化が進み、地盤沈下や騒音などの公害がひどくなったため、1965年以後、市街地からの工場の計画的移転が実施されるに至った。1971年までに川口駅近くに点在していた鋳物工場は新郷地区などの郊外工業団地へ移り、駅西口にあった旧工業技術院公害資源研究所は茨城県つくば市に移転した。

さらに1970年代以降、鋳物工場の跡地にマンションが建設される傾向が続いている。このような工場街一帯は一般に都市計画の用途地域上工業地域や準工業地域といった形態規制の緩い地区に指定されており、より高いマンションが密集して建ちやすいという傾向がある。このため川口駅東口周辺の人口密度は非常に高い。

ほかに荒川近辺では、釣竿にも長い伝統技術が伝えられている。

首都東京と政令市さいたま市に挟まれている川口市は、ほかに隣接する戸田、蕨、鳩ヶ谷、越谷、草加の各市に依存する面も強く、川口市の形から見る分割された地域の構成が成されているため、人口ほどの商業基盤はみられない。しかし川口駅を中心とする駅前などに商業地域が形成されているほか、主要道路沿いにロードサイド店舗の立地が見られる。大型店舗としては、以下のようなものが挙げられる。なお、川口市街地以外での店では「川口店」などと表記することは珍しく、「川口」の名称と住所名をあわせた表記や、単に住所名か後述の地区名、他市に近い地域ではその他市の地名の名称での表記する場合もあるが、いずれも川口市内に存在する。

【川口駅前】

そごう川口店
CUPO・LA(キュポ・ラ)
かわぐちCASTY(キャスティ)
Ario川口(主なテナント イトーヨーカ堂、MOVIX、須原屋、HMV)
【郊外】

ダイヤモンドシティ・キャラ(主なテナント ジャスコ、スポーツオーソリティ、ラオックス、須原屋、無印良品)
グリーンシティ(主なテナント ジャスコ、ユニクロ、アカチャンホンポ)
Mielかわぐち(主なテナント ヤオコー、ヤマダ電機、アルペン (企業))

金沢市

金沢市(かなざわし)は、北陸地方の西部、石川県のほぼ中央に位置する都市で中核市であり、同県の県庁所在地である。旧石川郡・河北郡。

江戸時代に、大名の中でも最大の石高を誇り、「加賀百万石」と称された加賀藩の城下町として盛えた。観光都市として知られる。

日本三名園の一つとして知られる兼六園がある。一般的なイメージに反し、平野部は日本海側としては積雪が少なめである。代表的な郷土料理は治部煮。毎年6月中旬の週末には、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ金沢百万石まつりが開催される。

第二次世界大戦で空襲を受けなかった事から、松本市や川越市と並んで、中心市街地に戦前の面影を残している。

金沢都市圏の人口は、約73万人(2000年都市雇用圏)。商圏規模は半径50km圏で約120万人とされている。金沢市は合併による政令指定都市移行を目指しているが、周辺市町の同意が得られず、実現の見通しは立っていない。

南東部は山地で、奈良岳(1644m)をはじめ、大門山(1572m)、医王山(いおうぜん、939m)などがある。平野に近い部分は丘陵地となり、戸室山(548m)、キゴ山(546m)、野田山(175m)、卯辰山(141m)などがある。北西部は金沢平野で、犀川、浅野川、金腐川(かなくさりがわ)、森下川(もりもとがわ)などが流れる。犀川は日本海へ直接注ぐが、他の川は河北潟へ流れ、大野川を経て日本海へ注ぐ。海岸部は砂丘となっており、河口部分は北向きに曲がっている。犀川上流には犀川ダムや内川ダムがあり、上水道・灌漑などに利用されている。犀川と浅野川は平行して流れ、その間の河岸段丘が小立野台地である。小立野台地の西端に金沢城や兼六園がある。また、犀川の南側は寺町台地となっている。

市内から周辺市町村へ広がる金沢平野は、低温であるものの水利がよく適湿で、江戸時代から良質の農地であった。明治時代中期には、他地方に先駆けて近代的な耕地整理が行われ、生産性が飛躍的に向上した。現在でも、単作の稲作中心の農業が継承されており、北陸地方の他地域と並んで、コシヒカリの主要な産地の一つである。

ただし、農地周辺への住宅や商業施設の建設によって、以前ほど広い面積での生産が見込めなくなってきている。稲作だけでは採算が望めない農地については、小規模でも生産でき付加価値の高い作物、さつまいもや蓮根などの加賀野菜、梨などの果実の生産に移行する動きがみられる。

また、北前船の寄港地であった大野港や金石港から金沢港が整備され、ここを拠点とした水産業も盛んである。

江戸時代に金沢を治めた加賀藩は、石高は高いものの外様大名であったため、幕府や周囲に警戒されないよう内向きの産業や工芸を奨励した。そのため、当時から絹織物の主要な産地であった。また、藩の財政に余裕があったため、京都などから職人を招聘し、、加賀友禅などの染織工芸を育成することができた。これらを基盤として、明治時代には繊維工業や染織加工業が発達した。ただし、現在では、中国などから安価な製品が輸入されるようになったため、高機能商品の生産に特化する動きがみられる。一方、現在でも金箔の製造は全国シェアの98%、銀箔は100%、市民1人当たりの和菓子購入額全国第1位であり、「伝統工芸王国」との評判に変わりはない。

繊維製品の生産に必要な織機の製造は現在でも衰退しておらず、ジェット・ルーム(高速の気流や水流で横糸を飛ばす方式の織機)を生産する津田駒工業本社工場は、世界最大の織機製造工場と言われている。また、こうした高速制御が可能な複合的な機械製造技術は他分野にも転用され、ボトリング・システム(瓶詰め機械)で世界一の澁谷工業や、自動給茶装置付き回転寿司コンベア機でトップシェアを持つ石野製作所など、一風変わった機械の製造に結びついている。

更に、近年になって、パソコン周辺機器に関する企業群が急速に成長している。市内で創業したパソコン周辺機器大手のアイ・オー・データ機器は、当地の小規模な繊維工場では手が届かなかったメインフレームではなく、マイコンを利用した工場制御用の周辺機器開発からスタートした企業であり、コンピュータ関連の大手企業が手がけなかった需要に応えて成長の軌道に乗ったといえる。又、織物用の柄を修正するディスプレイ装置の開発といった、細かな需要の発掘でも、繊維工業が周辺産業へ影響を与えたことがうかがえる。

北陸地方で、最大の小売業販売額をあげる商業都市の側面もあり、百貨店・大型ショッピングセンター・ブランドショップの集積がある。特にブランドショップでは、北陸地方で唯一の出店となる店鋪が多く、その商圏が隣接する富山県に及ぶのが強み。卸売業でも、北陸地方の営業拠点を設ける企業が多く、いわゆる「支店経済」が形成されている。

金沢を代表する繁華街としては香林坊・片町界隈があげられる。百貨店大和やブランド・ショップが入居するテナントビルを核として、全長1km程度に及んで商店街が形成されている。主な商店街は香林坊商店街・竪町商店街・広坂振興会(商店街)・柿木畠振興会(商店街)・片町商店街(5TOWN'S=ファイブタウンズと称する)である。その他木倉町商店街などあるが、これらも含めた範囲も5TOWN'Sに属する。金沢の場合、他都市の様な大型店の集積に商店街という形式ではなく、それぞれの商店街が連続して全体的に総まっているというのが特徴である。それ故に、繁華街全体としてはかなりコンパクトな構造になっている。

金沢駅前にイオン系列の金沢フォーラスが進出したことで、ファッションビルを筆頭とした改装・ブランドの誘致・新築など金沢フォーラスに対抗する機運が高まっている地区でもある。

路線価・地価公示などの種類にもよるが、香林坊交差点周辺が、金沢市で最も地価が高い地点である。

一方、名古屋鉄道系の百貨店めいてつエムザと近江町市場を核とする武蔵ヶ辻を中心とした市内第二の繁華街がある。しかし、その一翼をになっていた大手スーパーダイエー金沢店が閉店したこともあり、停滞の感が否めない。現在、武蔵ヶ辻ビルの解体・商業複合ビルの建設、近江町市場の再開発、横安江町商店街の再整備等により、武蔵ヶ辻地区の再生につとめている。尚、香林坊・片町界隈同様コンパクトな構造である。

他、金沢駅前にイオン系列の商業施設フォーラスの進出や北陸新幹線金沢開業の効果により、金沢駅周辺が活性化され商業地としての地位が向上したため、金沢駅周辺のテナントビルの空室率は駅周辺再開発ビルを中心に大幅に改善傾向にある。そのため商圏は香林坊・片町地区、武蔵ヶ辻地区と金沢駅前地区と商業地の3極化という構図になり、この事を地元経済界では「中心部vs駅前」と称し、中心部の衰退を危惧する声もある。

市川市

市川市(いちかわし)は、千葉県の北西部に位置する市。

市川市は、縄文時代の昔より栄えた地域で、市内には多数の貝塚があり、その集中度は国内最大級である。また、市内の真間に手児奈という絶世の美少女がいたという伝説があり、その噂は遠く都にまでとどき万葉集に詠まれるほど有名で、当時は東国(関東)を代表する地域だった。

国府台(こうのだい)より広がる高台は、常にこの一帯の歴史を担って来た。古墳時代に小集落ができた。古墳はこのときはまだない(北根、前原、鳴神山、杉ノ木台)。その後、松戸市河原塚に大型の古墳や大小数基の古墳が築かれた。 その後、律令制により国府が置かれ、下総国の中枢となった。15世紀には太田道灌と里見義堯が国府台城を築城し、二度にわたる国府台合戦の舞台となった。幕末、勝海舟によって国会議事堂の選定地として考慮に入れられたこともある(恐らくテームズ川にそった英国の国会議事堂を想定していたとされる)。明治に入ると陸軍教導団の施設が造られた。終戦後、陸軍教導団の広大な土地は、国立精神・神経センター国府台病院(戦前は陸軍病院だった)、国府台スポーツセンター、東京医科歯科大学、千葉商科大学、和洋女子大学、筑波大学附属聾学校、千葉県立国府台高等学校、市川市立第一中学校の各施設に変わった。

市川市は、江戸川をはさんで東京都のすぐ隣で、都心から20km圏内に位置し、首都圏のベッドタウンとして発展している。南部は住宅地としてひらけ、北部の傾斜地等には豊かな自然が未だ残っている。

千葉県の北西部にあり、市の西部は江戸川を挟んで東京都江戸川区と接している。北部は松戸市、東部は船橋市、鎌ケ谷市と接し、南部は浦安市、東京湾と接する。市の南部は海抜2m程度の平野で、北部は海抜20m程度のなだらかな台地となっている。

河川: 江戸川、真間川

東京エアカーゴシティターミナル(株)(TACT)- 原木地区に所在していた生鮮食品と医薬品を除く航空貨物の通関業務、保管、搬出入のための上屋。明徳寮やロイヤルから通勤してる人も多かった。TACT は1972年3月設立、2003年10月に会社解散が行われ、広大な跡地はホームセンターなどに変貌し、TACT近傍のいくつかの大手航空貨物業者の倉庫を残し、成田国際空港付近に移転した。
いちかわエフエム - コミュニティFM
インターネットで書籍やCDなどを売る「Amazon.co.jp」の市川塩浜配送センターがある。
TDKテクニカルセンター - TDKの技術開発の拠点
ニッケコルトンプラザ - 日本毛織の工場跡地にあるショッピングモール
式場病院(日本で最初の庭園式精神科病院。バラ園で有名。)
人間禅本部道場
市川市指定のごみ収集袋や、ごみ収集車には、魔法使いの男の子と女の子がほうきに2人乗りしている姿が描かれている。2人の名前はキラリン、ピカリンという。
キックベースボールの発祥の街。子供会活動を通じて普及した。
市川市文化会館 - 市川市を代表するホールで、月に数回有名歌手によるコンサートが開催される。
京成自動車工業 - 特殊車両の設計・製造をする企業。TV局放送中継車の製造を行っている事でも有名。京成電鉄グループ。

西宮市

西宮市(にしのみやし)は、兵庫県南東部にある市。保健所政令市の一つ。
阪神間の都市であり、大阪市・神戸市のベッドタウンである。2005年4月1日の推計人口で尼崎市を抜き兵庫県第3の都市となり、同日に市制80周年を迎えた。また阪神甲子園球場の所在地である。市中心部に西宮神社(通称「えべっさん」)があり、戎祭り(十日ゑびす)が毎年行われ、開門後に最も早く本殿に到達した人をその年の一番福に認定する「福男選び」の神事がある。また、現在阪急西宮北口駅周辺などで市街地の開発が進んでおり、新たな核として発展することが期待されている。阪神間モダニズム文化圏の中央に位置し、周囲の各市とともに日本有数の高級住宅街として名高く、財界人、文化人などの邸宅が建ち並ぶ。また大学、短大が十以上存在する文教都市でもある。2006年6月12日、市の推計人口は47万人の大台を突破。

西宮市は兵庫県の南東部の阪神地域(神戸と大阪の中間地)に位置しており、南部の市街地からは大阪・神戸の両都心へ電車(阪急・阪神・JR)の利用により15分程度、北部の塩瀬地区からも電車(JR)利用により30分程度で行ける大変便利な場所に位置している。

市内北部の山地と南部の平野に分かれており、南部で大阪湾に面している。埋立地が3ヶ所ある。瀬戸内海国立公園六甲山地区の一部を含んでいる。

市域:東西約14.2km、南北約19.2km
市の位置
東端:東経135度23分00秒、北緯34度43分22秒
西端:東経135度13分50秒、北緯34度49分32秒
南端:東経135度21分50秒、北緯34度41分22秒
北端:東経135度17分40秒、北緯34度51分42秒
最高地:898.6m(鉢巻山山頂)、最低地:-0.6m

西宮市は阪神・淡路大震災後やバブル経済の影響により同じく深刻な被害を受けた神戸市、尼崎市、芦屋市などとともに財政は悪化し、財政を建て直すために2度の行財政改善実施計画を行い財政削減を行っており、平成17年度より第3次行財政改善実施計画を行っている。

第3次行財政改善実施計画としては、市長・議員などの特別職の報酬や職員の給料の減額、職員数の減員などを行い、また特別職・職員のその他の手当ても見直しが行われている。それ以外にも外郭団体、支所・サービスセンターの見直しのほか、地域情報誌、保育サービス、敬老事業、民間委託などについても見直しが行われている。 しかし、関東中核市をも上回る好調な人口増加や全国ベスト10に入る豊かな市民所得、甲子園や西宮えびす神社などの 豊富な集客施設、昨今の景気回復などにより財政状況は順調に回復に向かっている。  

平成18年度西宮市予算
一般会計:1,582億0,843万8千円 (前年比3.2%増)
特別会計:1,106億8192万4千円 (前年比4.7%増)
企業会計:215億9,051万円 (前年比1.2%減)
合計:2,904億8,087万2千円 (前年比3.4%増)

中核市問題
西宮市は中核市への移行(人口50万人に達していない都市は面積100km²以上)を目指しているが、市の境界問題があり、国土地理院による西宮市の公表面積は境界問題が起こる以前の1987年に発表した98.52km²が最後であり、市は埋立地面積を加えて100.18km²を主張するが、国土地理院公表値でしか運用できないため移行が滞っていた。しかし、第28次地方制度調査会で「面積要件については廃止することが適当」とされ、2006年6月7日に地方自治体法の改正・施行により正式に中核市都市候補となり2008年4月1日の移行を目指して準備をすすめている。
情報化進展度
日経BP社が、アンケート調査を基に市区町村の情報化進展度を比較する「e-都市ランキング 2005」で西宮市が全国2091市区町村でトップとなった(『日経パソコン』2005年7月25日号で発表)。使いやすいウェブサイトや独自の被災者システム、ITによる防災対策など多くの分野において情報化を進めている事が評価されている。また「e-都市ランキング 2006」(『日経パソコン』2006年7月20日号で発表)においても全国1613市区町村のなかでもトップとなり2年連続首位となった。
情報セキュリティの認証基準である、ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)の認証、および英国規格のBS7799-2を2006年3月(国内の地方公共団体として6番目)に取得している。

[編集] 学校教育
現在、市内ではマンション開発などにより、人口の増加ともに児童数が急増しており、小学校の一部の校区では教室不足が起こっているためにマンション開発規制がかけられている箇所がある。
高等学校の普通科に限り「総合選抜方式」の入試方式を採用している。これは、生徒の出身地区により進学先高校が指定されているもので、公立小中学校の学区制度と同じである。その為、幼稚園から高校まで同級生である生徒が少なくない。また、高校進学で不合格になることはめったにない為、西宮市の公立高校間のレベルの差はほとんどない。
※ただし「総合選抜方式」は平成21年度より廃止される。
大学、短大が非常に多く立地しているという特殊な条件を活かし、単位互換制度を設け、西宮北口に「西宮市大学交流センター」を設置、合同講義を行っている。

大分市

大分市(おおいたし)は、日本の九州地方の東部、大分県の中部に位置する市で、同県の県庁所在地である。古くは豊後国の国府が置かれ、府内(ふない)と呼ばれた。中核市に指定されている。

大分市は、大分県のほぼ中央部に位置する、東九州の中核都市である。

大分川及び大野川が形成した三角州及び沖積平野からなる大分平野と、その周りの丘陵とを抱え、瀬戸内海の別府湾に面する。市の東部には南から大野川が、西部には西から大分川が流れ、瀬戸内海に注いでいる。中心市街は、大分川の河口部西側にある。別府市との境界付近に位置しニホンザルが生息する高崎山地区、及び、豊予海峡に浮かぶ高島地区は、瀬戸内海国立公園に指定されている。

近年、市域を東西に貫通する形で大分自動車道、東九州自動車道が開通し、国道10号、国道210号等と接続している。

郊外はショッピングモールや巨大住宅地などの開発により、人口の増加が著しい。

産業
1964年(昭和39年)に新産業都市の指定を受けたことで工業都市へと発展した。近年では、集積回路等の加工組立産業が進出するとともに、物流団地の整備、地域輸入促進計画のもと、物流の拠点としても成長を続けている。

繁華街は大分駅北側に広がっており、大型店のほか、セントポルタ中央町とガレリア竹町というアーケード商店街も有している。九州では珍しく駅前型の繁華街であり、鉄道やバスなど交通の結束点にあることから人通りはそこそこ多い。しかし、近年郊外への大型ショッピングモールの出店に伴い、中心市街地では相次いで大型小売店舗が撤退し、活性化が求められている。シネマコンプレックスも郊外に2つ作られ、市の中心部にあった映画街は衰退している。

鉄道路線
九州旅客鉄道(JR九州)
日豊本線 : 西大分駅 - 大分駅 - 牧駅 - 高城駅 - 鶴崎駅 - 大在駅 - 坂ノ市駅 - 幸崎駅
豊肥本線 : 大分駅 - 滝尾駅 - 敷戸駅 - 大分大学前駅 - 中判田駅 - 竹中駅
久大本線 : 大分駅 - 古国府駅 - 南大分駅 - 賀来駅 - 豊後国分駅
中心となる駅:大分駅

[編集] 観光
高崎山自然動物園
2004年(平成16年)3月26日、高崎山の入り口から猿寄せ場までを4分で結ぶモノレールが運行。2両編成で定員は40名。
大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
2004年(平成16年)4月1日リニューアル開業。

横須賀市

横須賀市(よこすかし)は、神奈川県南東部の三浦半島に位置する都市。現在中核市に指定されている。

神奈川県南東部に位置する三浦半島の大部分を占め、市域の東側は東京湾(浦賀水道)、西側は相模湾に面する。また東京湾唯一の自然島である猿島も行政区域に含まれる。それほど標高が高い山はないが、中央部は山間部や丘陵部(三浦丘陵)が中心で、平地は少ない。そのため古くから海岸線の埋め立てが行われており、現在の中心市街地もかなりの部分が埋立地にある。また、海岸沿いまで山が迫る地形のためトンネルが多いのも特徴で、神奈川県にある道路・鉄道トンネルのおよそ半数が市内に集中している。

政治・経済的都市機能が集中する東京湾岸には大工場や住宅群がひしめきあうが、相模湾岸には自然が多く残され、農業も盛んである。市内中心部から東京都心までは京急本線で約50分、JR横須賀線で約1時間20分。また横浜横須賀道路など地域高規格道路が整備されており、車では羽田空港まで約40分、都心へは1時間程度となっている。


三笠公園の記念艦三笠東京湾の入口に位置する為、江戸時代から国防の拠点とされ、大日本帝国海軍横須賀基地を擁す軍港都市として栄えた。現在もアメリカ海軍第7艦隊横須賀海軍施設および海上自衛隊自衛艦隊・横須賀地方隊の基地が置かれている。

人口は横浜市・川崎市・相模原市に次ぎ神奈川県第4位となっており(1977年11月以降)、県下では横浜市に次いで2番目に市制を施行した。このため、公式文書で自治体を列挙する際には横浜市・川崎市・横須賀市の順で表記される(政令指定都市→市制施行順に表記されるため)。また横須賀市が県の政令市(保健所・水道事業等は中核市指定前から独自に行っている)ということもあり県から見ればトップ3の一角だが、2003年に中核市となった相模原市が人口増と市町村合併で政令指定都市への移行が確実視されているため、この情勢にも変化が見込まれる。


長井海の手公園 ソレイユの丘基幹産業が重厚長大産業であることや、地形が山がちという地理的要因から今後大きな人口増加は望めないため、「国際海の手文化都市」をスローガンに「交流人口」(仕事やレジャーでの流入人口)の増加、そして「また来てもらえる街」をめざしている。そのための施策として横須賀リサーチパーク (YRP) 開設や神奈川県立保健福祉大学の誘致、海軍カレーによる街興し、ヴェルニー公園(1万メートルプロムナード計画の起点)、くりはま花の国、長井海の手公園 ソレイユの丘、美術館等観光施設の整備などが行われている。

以前「平成の大合併」を機に三浦市から合併を打診されたが、政令指定市に昇格できる見込みも無く、特段の利点が無いということで断っている。もし三浦半島4市1町(横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町)で合併すれば政令指定市への移行が十分に見込める人口75万規模の自治体になるが、各市町に強いプライドがあり、広域的な合併を目指す動きは見られなかった。合併を推進していた小林一也三浦市長が1期限りで落選したこともあり、現在周辺自治体との合併の計画はない。

三浦半島地域に共通の問題として高い高齢化率、ゴミ処理の共通化などがあり、横須賀市は舵取りを迫られている。

産業
日産自動車追浜工場、総合研究所、追浜専用埠頭
全国でも有数の規模を誇り名を連ねる、自動車工場。
関東自動車工業
トヨタ系の自動車組立メーカ。1990年代初めまで深浦で乗用車生産を行い、2006年8月まで開発部門などがおかれていた。現在、本社機能は残るがほとんどの機能が静岡県裾野市に移転している。
日本ビクター横須賀工場、久里浜技術センター
こちらも全国有数の研究機関であり、1980年代後半大ブームとなったVHSビデオデッキをはじめて開発したのもここ。
日本電信電話横須賀研究開発センタ(サイバーコミュニケーション総合研究所、サイバーソリューション研究所、サイバースペース研究所、未来ねっと研究所)
日本電信電話公社横須賀通信研究所として開設され、現在でもバス停留所等では「通信研究所」と表記されている。
東京電力横須賀火力発電所
1957(昭和32)年に建設を開始し、1970(昭和45)年には8号機まで運転を開始した。1号機と2号機は既に廃止され、現在は3号機~8号機が稼動、総出力213万kw となっている。三浦半島一帯及び首都圏への電力供給基地である。
グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン(旧日本ニュークリア・フュエル)
国内における原子力発電用核燃料工場として重要な位置づけにある。
住友重機械工業横須賀製造所、技術開発センター
岡村製作所追浜事業所
東邦化学工業追浜工場、追浜研究所
北辰工業横須賀工場
東京ファインケミカル横須賀工場
むらせ
ハリソン東芝ライティング横須賀事業所
丸大食品横須賀工場
ニチロ久里浜工場
パン市場・浜田分店
横須賀リサーチパーク (YRP)
日本の最先端の電気・通信事業の拠点となり、NTTドコモの携帯電話の研究・開発拠点となり、現代の日本における携帯電話産業の中心及び国内外の情報通信研究のメッカとしての役割を果たしている。
横須賀港からは自動車が輸出され、ウランとマグロが輸入されている。

農業
市内では都市部、工場地帯、山林が共存し、市の南部・西部を中心に農業活動が盛んに行われている。近年では減少傾向にあるものの、農地は市域の4% 以上を占める。かつては水田も多く見られたが、現在では大部分が畑作となっている。主な生産物はキャベツ、大根、カボチャ、メロンなど。農協業務は市全域に亘って JAよこすか葉山が執り行っている。

町田市

町田市(まちだし)は、関東地方の南部、東京都多摩地方の南西部に位置する都市。

多摩川以南に位置する商業都市で、国道246号(東急田園都市線、小田急線)と国道16号(横浜線)が交差する。東京都に属しているが、神奈川県へ突き出た地理的要因もあり、神奈川県であると誤認される事もある。

昭和40年代以降、ベッドタウンとして急速に発達。バブル経済期以後には、東京都区部からの私立大学の転入が進み、郊外には現在も私立大学が点在するなど、「青年の街」の色も濃く見られる。

娯楽面では、多数のサッカー選手を輩出しており、「サッカー王国」として有名である。

市域の大部分が多摩丘陵に属し、地形的には同丘陵の北部、相模原台地の北東の縁であり、ほとんどが丘陵地帯である。最高地点は西端にある草戸山(標高364m)。平地は町田駅付近や西および南を流れる境川・ほぼ中央を流れる鶴見川とその支流恩田川近辺など少ない。

東京都区部の南西30~40km圏に位置し、東京都区部郊外のベッドタウンとして発展。町田駅周辺地区は国道246号沿線を代表する繁華街で、商業都市の一面も持つ。百貨店や専門店等が多く林立する一大商業ゾーンとして著しく発展し、神奈川県北部も含んだ商業の中心地である。

市内や近辺には私立大学が多いため、町田駅前繁華街は学生を含む若者の街としても発展している。「西の渋谷」とも呼ばれ、若者向けの店(衣類店・ゲームセンター・漫画専門書店・メイド喫茶など)が多く、特にメイド喫茶等について言えば、近隣一帯で唯一出店されている。

東部の横浜市境付近には幼稚園から大学まで一貫教育の玉川学園が存在し、それを中心に住宅地が広がる学園都市として有名である。

この他、南部(町田市鶴間)の南町田駅前にはアウトレットモールのグランベリーモールが有り、休日等に賑わう。

多摩丘陵で隔てられた多摩地域よりも、神奈川県との交流関係の方が深く、町田・相模原の両市街地が近い点から、両市併せて政府から業務核都市に指定されており、業務など諸機能の立地促進が図られている。(逆に相模原市は多摩地域をはじめとした東京都との交流関係が深い)

ここ数年、新宿付近地区の風俗規制強化により、この地区で営業していた業者が町田駅前繁華街へ移転する動きがあり、西の歌舞伎町とも呼ばれるようになった。これは周辺に風俗業が多い繁華街が無く、新宿から直通電車で30~40分程度という好立地による。しかし繁華街はこれらを含めた風俗店と他の店舗が混在しており、手当たり次第な客引き等の迷惑行為が社会問題化し、条例による客引き行為の部分規制や住民による自主的なパトロール、さらには民間交番の設置[1]等が行われている。

町田市の急速な人口増加にも関わらず警察署の増設は行われず、警察官1人当たりの市民数は都内平均の2倍。町田駅前繁華街の発展や渋谷・歌舞伎町化に伴う犯罪率の上昇も加わり治安が悪化し、警察官不足は更に深刻化している。これに対応し、市北西部の管轄を2009年度に新設の多摩西警察署(八王子市南大沢)に移管、町田警察署の負担軽減が図られている。

東京都区部までは電車利用で50分程度。(町田駅からは小田急小田原線の快速急行で30分弱)中東部を小田急線が、南部を東急田園都市線が、南西部と西部をJR横浜線が、北西部を京王相模原線が、いずれも市域の外縁部を通っている。

このように良好な鉄道アクセスは市域の外縁部に集中しており、市域の中央部に鉄道空白地帯を多く抱えている。このためバスが主要な交通手段として発達しており、例えば神奈川中央交通町田営業所管内の路線では、1時間あたりの運行本数が多めに設定されており、特に山崎団地・藤の台団地から町田駅方面へは昼間において約5分~10分に1便は運行されていることから鉄道の空白を埋める役割を果たしている。

しかしながら、市南部・北西部はバスの本数も少ない上、主要幹線の幅員が狭く、その多くが片側一車線もしくは一・五車線であることから渋滞が慢性的に発生している。さらに町田市自体、都内の他都市とのつながりが薄いことから、それら他都市へ向かう交通の不便さに対する市民の不満が大きい。そのため、多摩都市モノレールや小田急多摩線の市内延伸が構想されているが、実現の目途は立っていない。なお、多摩都市モノレール延伸時の導入空間となる予定の道路は、少しずつではあるが建設が進んでいる。

[編集] 特産品・名産品
市内の薬師池公園及び円林寺に、大賀ハスの蓮田があることから、蓮や薬師池にちなんだ商品が多い。

豚肉、及び豚肉等を加工した肉
果実(イチゴ、禅寺丸柿)
酒類(柿ワイン、日本酒、焼酎等)
主に酒造に使用される米、醤油等の調味料
絹糸(江戸時代以前から、市内を「絹の道」が通っていた名残り)
やくし団子
シクラメン
薬師池の大賀ハスを使用したもの(最中、饅頭、酒その他)
牛乳(明治時代、横浜居住の外国人向けの牛乳生産を行ったことが由来。戦後、東京への牛乳供給地として立地する。現在、相原・小山地区の酪農家による農事組合法人「東京みるく工房ピュア」が乳製品、イタリアンジェラートの販売を行っている。また、東京発地産地消牛乳「東京牛乳」の原乳生産も行っている。)
小山田三ツ葉(丘陵地の斜面に掘った横穴を使った三ツ葉の促成栽培)
など

なお、これら名産品の一部は、町田バスセンターにある市関連名産品店「名産品の店まちだ」で購入することができる。

藤沢市

藤沢市(ふじさわし)は、神奈川県の湘南の中心に位置する市。

観光・産業・住宅衛星都市。全国的に有名な江の島(江ノ島)や片瀬・鵠沼・辻堂海岸を有し観光都市としての性格も併せ持つ「湘南」の中心都市。1940年(昭和15年)市制施行。鎌倉時代には鎌倉仏教の一つである時宗(じしゅう:一遍上人開祖)総本山である遊行寺(清浄光寺)の門前町として、江戸時代には東海道の6番目の宿場町・藤沢宿として栄え、その姿は安藤広重の東海道五十三次にも描かれている。明治~第二次世界大戦までは気候も温暖であることから南部の鵠沼・片瀬地区は別荘地・保養地・避暑地として発達し、芥川龍之介、岸田劉生ら多くの文化人の創作活動の場となった。 第二次世界大戦後は東京のベッドタウン化が進み人口が急増すると共に、藤沢駅を中心に商業施設が集積し湘南地域最大の商業都市となっている。市の中~北部にはいすゞ自動車をはじめとする工場の進出が盛んであったが、近年、関東特殊製鋼や武田薬品工業など撤退する企業もあり産業(工業)都市としての一面は薄れつつある。しかし、2006年(平成18年)3月に市内から撤退した武田薬品工業は神奈川県並びに藤沢市の誘致により(本拠地大阪に競り勝ち)藤沢の自社工場跡地に、つくば(茨城)等を集約した研究所を開設することになった。また辻堂駅前と言う立地条件を生かして関東特殊製鋼跡地を整備するプロジェクト(湘南シークロス:湘南C-X)も始まった。鵠沼海岸は我国におけるサーフィン並びにビーチバレー発祥の地である。また、江ノ島は源頼朝祈願により祀られた江ノ島弁財天の参詣地として賑わい、1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックではヨット競技会場(湘南港)となっており、現在でも湘南随一の観光地である。市の海岸部はヨット、サーフィン、ボードセーリング、ビーチバレー等マリンスポーツ、海水浴、釣り(江ノ島)、新江ノ島水族館等の一大マリンリゾート地であり、アメリカ・フロリダ州マイアミビーチ市と姉妹都市となっていることから「東洋のマイアミビーチ」と度々称される。保健所政令市に指定されており、湘南地域においては、トップの人口(約40万人)を擁する。

産業

工業
いすゞ自動車:藤沢工場
日本精工:藤沢工場・藤沢技術センター
荏原製作所:藤沢工場
日本IBM:藤沢事業所
日立グローバルストレージテクノロジーズ:藤沢事業所
山武:藤沢テクノセンター
SONY:湘南テクノロジーセンタ
フジオーゼックス      
ヤクルト本社
日本電気硝子
漁業
片瀬漁港

特産品
藤みのり
藤沢そだち
高座豚

鉄道交通網は南部にJR東海道線・湘南新宿ライン、小田急江ノ島線、江ノ電、湘南モノレールがあり、北部には相鉄いずみ野線と横浜市営地下鉄線が小田急湘南台駅をターミナルとしている。なお、江ノ電の起点は江ノ電藤沢駅である(江ノ電の本社所在地も藤沢市片瀬)。 JR、私鉄、路面電車、地下鉄、モノレールの駅が市内に存在することになる。

所沢市

所沢市(ところざわし)は埼玉県南部にある市である。さいたま市、川口市に続いて、埼玉県内で3番目の人口を抱えている。特例市及び彩の国中核都市に指定されている。

都心のベッドタウンとして、新所沢、小手指地区には集合住宅が多く、所沢駅前はプロペ通りを中心にした繁華街となっている。東所沢地区はJR武蔵野線が開業した当時から人口が急増している。その反面、北部の富岡地区は江戸時代に行われた開拓により整備された農地(三富新田)が広がり、南部には宮崎駿監督作品の映画「となりのトトロ」の舞台にもなった狭山丘陵(トトロの森)が広がっており豊かな自然にも恵まれている。

日本で初めて飛行場が建設された地としても有名で、かつて飛行場であった所には所沢航空記念公園が作られ、所沢航空発祥記念館もある。東京航空交通管制部もここ所沢にある。

プロ野球球団西武ライオンズのフランチャイズのグッドウィルドームの所在地としても全国的に名が知られている。西武鉄道グループ(通称:西武グループ)の本拠地としても有名で、駅前には西武百貨店(ただし旧セゾングループ)など西武の名を冠するビルが連なっている。

なお、2007年4月末日現在、総人口が34万人を突破した。

「所沢」という地名は野老(ところ。ヤマノイモ科の植物)が群生する湿地の意といわれるが不詳。古くは「野老沢」(とろろさわ)と称した。市内中心部から東部を流れる東川(あずまがわ)を指しているとする説が有力である。

埼玉県西部、武蔵野台地に位置し、南部には狭山丘陵が広がっている。 狭山丘陵から流れる東川、柳瀬川は市内東部へ流れ、最終的には荒川に至る。 山口貯水池(通称:狭山湖)は所沢市内にあるが東京都民用の水源となっている(東京都水道局が管理)。

池袋を起点とする西武池袋線と西武新宿を起点とする西武新宿線の2つの幹線が東と南からやってきて、ちょうど所沢駅に互い違いで乗り入れている。 その後2つの路線はそれぞれ北と西とに進路を変え市内を横断する。 JR武蔵野線は所沢市内での他路線との接続はない。

関越自動車道が東部を通過しており、国道463号(旧・県道浦和所沢線)と所沢ICで接続する。 国道254号線と国道463号線は新座市の英インターで交差した後、市中心近くに至り、宮本町交差点を起点にそこから2本に分かれ(北側は通称「行政道路」、南側は通称「(国道463号、若しくは行政)バイパス」と呼ばれる)、入間市へと続いている。

所沢駅前のプロペ通りを中心とした地域は繁華街で西武百貨店、丸井(現在は閉鎖)、ダイエー、いせきの他、多くの飲食店、衣料品店などがある。 プロペ通りから続くファルマン通りも古くからの繁華街で、旧市役所のあった元町を経て、金山町の交差点まで続く銀座商店街がある。かつては、川越の蔵造りの街並みに引けを取らない街並みであったが、現在は高層マンションが立ち並んでいる。

航空公園を中心とする並木地区には公共機関が集中し、また在日米軍所沢通信基地がある。

新所沢は都市公団(現・都市再生機構)、小手指は西武鉄道とそれぞれが開発した集合住宅が広がっている。 近年では旧市街地に超高層マンション建設が相次いでいる。

1943年(昭和18年)、所沢町と小手指・富岡・吾妻・松井・山口の5村が合併、1950年(昭和25年)に市制を施行した(埼玉県で8番目)。
1955年(昭和30年)には柳瀬と三ヶ島の両村を吸収し、現在の市域となった。


グッドウィルドーム (2007年)敗戦とともに、陸軍所沢飛行場および周辺施設はアメリカ軍に接収され、1971年(昭和46年)に6割、1978年(昭和53年)にさらに1割は返還されたものの、現在も通信基地として残っている。

市制施行時、人口は約4万2千人であったが、昭和20年代~30年代前半に沖縄からの移民団が新所沢東部や小手指付近に入植・開拓を行うなど人口は増加しつづけ、1959年(昭和34年)には住宅公団による新所沢団地の入居が開始された。 その後も小手指や新所沢地区を中心に大規模な住宅開発が行われ、2000年には人口33万人を突破している。

1978年(昭和53年)福岡を本拠地とし、経営不振に陥っていたプロ野球パシフィックリーグ『クラウンライターライオンズ』を、国土計画の堤義明が、西武鉄道沿線である所沢市への移転を条件に、全ての債務を肩代わりするなどして買収。狭山丘陵に自前の球場(西武ライオンズ球場(現:グッドウィルドーム)を建設。チーム名を西武ライオンズとした。

1982年(昭和57年)西武ライオンズが創設4年目にしてリーグ初優勝、日本一に輝く。以来2006年(平成18年)までにリーグ優勝15回、日本一8回達成し、80年代のパリーグ黄金時代を築く。

1997年(平成9年)に廃部となったバスケットボールチーム・アンフィニ東京ブロンコスの後継チームを発足。名称を所沢ブロンコスとし活動開始。2005年(平成17年)には埼玉ブロンコスに名称を変更し新潟アルビレックスBBとともにbjリーグを発足した。所沢市民体育館を本拠地としている。

1997年(平成9年)にはテレビ朝日のテレビ報道に端を発するダイオキシン騒動が発生、社会問題となった。 2002年(平成14年)特例市へ移行した。

川越市

川越市(かわごえし)は、関東地方の南部、埼玉県の南西部に位置する都市。旧入間郡。中核市と業務核都市に指定されている。

江戸時代には川越藩の城下町として盛えた都市で、「小江戸」の異名を持つ。戦災を免れた為、歴史的な街並や寺院などが多く残っており、市内の観光名所には年間約500万人もの観光客が訪れている。

埼玉県では第一の城下町ともあって、廃藩置県の時期には、入間県の県庁所在地であった。又、埼玉りそな銀行の前身の一つである八十五銀行の発祥地でもある。

東武東上線・JR川越駅及び、西武新宿線本川越駅を合わせた乗降客数は26万人を超える。川越駅周辺は、埼玉県内では大宮駅周辺に次ぐ第二の繁華街として賑わっている。埼玉県西部を代表する都市である。

新宿・池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部(特に西側)で川越の文字を目にすることはかなり多い。新宿からは西武新宿線の本川越行きと埼京線の川越行きがあり、また池袋では同様に埼京線の川越行き・東武東上線の川越市行き・西武池袋線でも所沢で乗り換えて本川越行きがあり更には駅付近に川越街道も通じる。

荒川の西に位置する。市内にはJR川越線、東武東上線、西武新宿線、関越自動車道が通る。


時の鐘

古い街並の商店

菓子屋横丁

蔵造りの街並(2005年1月)

川越城本丸御殿

喜多院の「五百羅漢」川:荒川、入間川、新河岸川、小畔川、不老川
沼:伊佐沼
都市名の由来
市街地を川が囲む形となっており、川を越えないとたどり着けないことから「河越(川越)」と称されたと言われている。しかしながら古文書等にも伝説として記載されており、はっきりした由来は不明である 。


市勢
面積:109.16km²
人口:333,360人
男性:167,745人
女性:165,615人
世帯数:132,830世帯
人口密度:3,053.87人/km²
(以上、2007年4月1日現在)

商業
川越駅周辺は、埼玉県では大宮に次ぐ第二位の繁華街。

丸広百貨店川越本店
アトレマルヒロ
丸井川越店(撤退)は、丸井系の川越modiとして2007年3月24日にリニューアルオープン
ソフマップ川越店
イトーヨーカドー川越店
PePe(西武系列)
川越マイン(東武系列)
川越ルミネ(JR東日本系列)
ヤオコー(本社)
この他、川越駅から北へ伸びる商店街「クレアモール(川越サンロード商店街と川越新富町商店街の統一名)」は県内でも屈指の集客力を持つ商店街と言われており、地元の若年層や近隣から通学してくる高校生を中心に人通りも多い。

又、埼玉県随一の商都だったこともあって、埼玉りそな銀行などの地元金融機関や三大メガバンクの他にも、八十二銀行(長野県)、足利銀行(栃木県)、群馬銀行・東和銀行(群馬県)などの他県を地盤とする銀行の支店も置かれている。

柏市

柏市(かしわし)は、関東地方の南部、千葉県北西部に位置する商業都市。東京の衛星都市としても知られる。業務核都市指定都市。

利根川を挟んで、茨城県との境に位置する。国道6号と国道16号が交差する交通の要衝で、東葛地域と呼ばれる千葉県北西部を代表する商業都市である。周辺都県を含む商業人口は、230万人を超えている(2001年総務省統計局商業統計表より)。

近年では、ストリートミュージシャンが多く集まる都市として知られており、「千葉県の渋谷」・「プチ渋谷」とも呼ばれている。しかしながらそれゆえに柏駅付近は深夜でも若者が徘徊したり、バイクによるひったくりなどが起きたりとかならずしも治安が良い街とは言い切れなくなってきている。その為、警察や市職員、ボランティア等によるパトロールが行われている。また、スーパー防犯灯も設置された。

市域の大半は下総台地と谷津田から構成され、北端の利根川沿いの地域や、東端の手賀沼に近い地域は低地となっている。海抜が最も低い地点は手賀沼周辺低地で約5m、最も高い地点は市南端(台地部)で約32mである。

川:利根川、利根運河、大堀川、大津川
沼:手賀沼

市北部に十余二工業団地、東部に根戸工業団地、中部に柏三勢工業団地、柏機械金属工業団地があり、根戸工業団地内にはアサヒ飲料柏工場、伊藤ハム東京工場がある。
市南部増尾地区にはニッカウヰスキー柏工場がある。
農業ではカブ、ネギ、ホウレンソウなどの野菜栽培が盛んで、昭和50年(1975年)頃に日本で初めて中国野菜チンゲンサイ、ターサイが栽培された。
柏の葉地区には、東大柏ベンチャープラザ、東葛テクノプラザといった先端産業のためのインキュベーター施設があり、ベンチャー企業の育成が行われている。

柏市郊外は主に宅地化されており、戸建て住宅のほか、マンションも多い。
豊四季台、光ヶ丘、大津ヶ丘には大規模な団地も形成されている。
農地も多く存在し、利根川流域や手賀沼周辺には広大な田園地帯が広がっている。
郊外各所から市内各駅へのアクセスは路線バスにより確保されている。
柏の葉地区は、国の機関、大学(校) 、県立公園、競技場、インキュベーション施設等のほか、商業施設の開発が進んでいる(詳しくは柏の葉を参照)。

Jリーグの柏レイソルと、女子バスケットボール日本リーグ(Wリーグ)のJOMOサンフラワーズが、それぞれ柏を本拠地としている。また、平成18年(2006年)からは柏出身の元プロ野球選手・谷澤健一が主宰者となったクラブチームYBCフェニーズが柏を本拠地として活動している。

越谷市

越谷市(こしがやし)は、埼玉県の南東部に位置する市。日光街道の江戸から数えて3番目に位置する宿場越ヶ谷宿で知られる。特例市、彩の国中核都市、業務核都市に指定されている。市外局番:048(市内全域・草加MA)

旧越ヶ谷町が昭和10年に発足させた一般住民を対象とした日本初の健康保険制度「越ヶ谷順正会」は昭和13年の国民健康保険法(旧法)施行よりも3年早く発足している。このため越谷市は「越ヶ谷順正会」を「国民健康保険の発祥」と称しており、国民健康保険法施行10周年を記念して、昭和23年には「越ヶ谷順正会」を顕彰する「相扶共済の碑」が現在の市役所敷地内に立てられている。

この制度は、昭和初期の世界恐慌に加えて越ヶ谷町が県立高等女学校(現在の越ヶ谷高等学校)を誘致したことなどから町の財政が逼迫したことがきっかけと言われている。町の財政建て直しと滞納税を一掃するために有志が無尽講を設立した。そして病気が貧困の大きな原因となっていることから、その無尽講の利益で設立された。当時、勤労者を対象とした健康保険制度はあったが、農漁業、自営業者を対象とした健康保険制度はまだ無かった。

埼玉県の南東部に位置する。
鉄道は、東武鉄道伊勢崎線が南北に縦断、JR東日本武蔵野線が東西に横断している。
元荒川、中川、綾瀬川、古利根川、新方川(千間堀)、逆川など、多くの河川が流れていることから、「水郷こしがや」と呼ばれる。
市域はほとんどが平地であり、山林、原野はほとんどない。
市街地の中心は新越谷駅・南越谷駅周辺と越谷駅周辺とに分散している。近年、商業の中心は伊勢崎線、武蔵野線の乗換駅である新越谷駅・南越谷駅周辺に移行しつつある。一方、市役所と公民館が駅近くで隣接している越谷駅周辺は行政の中心地となっている。
天然記念物に指定されている「越ヶ谷のシラコバト」は、かつては越谷市付近にのみ生息していたが、近年は生息地が広がっている。

「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で、「こし 」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、「谷」は「低地」の意であると思われる。つまり、「大宮大地の麓にある低地」を指す地名であろう。
 なお、本来の地名は「越ヶ谷」であり、1954年、越ヶ谷町と他の町村が合併して新町制をとった際、本来の「越ヶ谷」と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」となった。したがって、かつて宿場町があった越谷市の中央部は、現在「越谷市越ヶ谷」となっており、それ以外の「こしがや」が付く地名は、町制・市制に伴って出来た地名なので、「南越谷」「北越谷」「東越谷」などのように「ヶ」が入らない。  同様の理由で、「越ヶ谷高等学校」には「ヶ」が入り、「越谷北高等学校」「越谷南高等学校」などには「ヶ」が入らない。

越谷市を舞台としている作品
とっても!ラッキーマン
童謡 『はとぽっぽ』 シラコバトの鳴き声がモチーフとされている。

那覇市

那覇市(なはし、琉球語ナーファ)は、沖縄本島南部の都市で、沖縄県の県庁所在地である。

沖縄県(琉球諸島)の政治・経済の中心都市であり、また、那覇空港や那覇港を擁することから沖縄県の玄関口としての役割も担う。

面積は全道府県庁所在地の中で最も小さく、人口密度は首都圏と近畿圏を除いた地域としては全国で最も高い。また、那覇空港が市域面積の8%以上を占め、自衛隊や在日米軍の施設や那覇港の港湾施設の分も考慮に入れると、実際の都市活動に使用できる面積は限られる。そのため、都市化に従って周辺自治体のベッドタウン化が進み、那覇市を中心市とする那覇都市圏の人口は約75万人(都市雇用圏-2000年)となっている。

市の中心部は国場川(漫湖)右岸の丘陵地に囲まれた平地に広がり、久茂地川などが流れる。周囲の丘陵地はほぼ全て市街化(主に住宅地)され、元々の地形の高低から立体的な都市景観を見せる。

観光面では、市の中心部の国際通り、市西部の高台にある首里地区の首里城(琉球王国の王府)が中心であったが、近年、市北部の在日米軍住宅地の跡地が那覇新都心として開発が進んでおり、2004年12月に世界最大規模の免税店であるDFSギャラリア・沖縄がオープンした。海に面しているが、那覇空港や那覇港などの施設が海岸線のほとんどを占めているため、海水浴場は平成3年に供用開始された波の上ビーチ(人工海浜)のみとなっている。名産品として壺屋焼や泡盛などがある。

沖縄県最大の島、沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。市中央部がほぼ平坦で、周辺部に小高い丘陵地帯が取り巻くように展開し、市内を東から西に国場川や安里川などが流れ、東シナ海に注いでいる。豊見城市との市境にある漫湖はラムサール条約に登録されている。

川:国場川、安里川、安謝川など
湖:漫湖

中心市街地では、戦後スプロール現象によって十分な都市基盤整備がされないまま無秩序な市街化が進んだ為、ほとんどの道路が幅員12m以下であり、慢性的な交通渋滞を起こしている。特に、国際通りやその他幹線道路の機能を補完する道路がほとんど無く、あるいは幅員が狭い区間が多い為、国際通りやその他幹線街路に余計に負担が掛かっている。 また、中心市街地における駐車場の小規模さも課題の一つであり、改善が急がれている。

芸能
安室奈美恵(歌手)
新垣結衣(俳優)
今井絵理子(歌手)
上原彰兼(ロードオブメジャー ドラム)
川平慈英(俳優)
ガレッジセール(お笑いコンビ)
喜友名智子(エフエム那覇渉外担当)
国仲涼子(俳優)
Cocco(歌手)
ジョン・カビラ(タレント)
新城弘明(THE GRANDWAZOO ギター)
平良とみ(俳優)
知念里奈(歌手)
津嘉山正種(俳優)
早坂好恵(タレント)
肥後克広(お笑い芸人、ダチョウ倶楽部)
前田達也(歌手)
OLIVIA(歌手)

市原市

市原市(いちはらし)は、千葉県の市である。県の中央部、千葉市の南に隣接する。Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉のホームタウン(千葉市との広域ホームタウン)。ゴルフ場の数、石油化学プラントの数は全国でもトップを誇る。なお、市原市は上から読んでも市原市、下から読んでも市原市である。

市原市は房総半島西部を流れる養老川の流域を市域としており北は東京湾に面する臨海工業地域、南は房総丘陵に連なる山間部で南北に非常に長い市域を持っている。又、市原市の面積368.20 km2は関東では第9位の面積となる。内房線沿線は住宅地域。その他にも臨海部の工業地帯で働く労働者向けの住宅地域が市の北中部に点在している。中部より南側にはゴルフ場が非常に多く、ゴルフ場銀座と言っても過言ではない。ゴルフ場数は日本一、市の中央部のゴルフ場密度は世界一である。牛久地域以南は完全な農村地帯、養老渓谷周辺は丘陵地帯でシーズンになると多くのハイキング客で賑わう。 また、2004年7月に関東では観測史上2番目の40.2度を観測した。

古代においては市原市の国分寺台から能満にかけての一帯が上総国の中心地域であったと見られる。市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府がどこにあったかは正確には分かっていない。

中世においては千葉氏の勢力下にあったが、千葉氏の勢力が次第に衰えると、里見氏などの新興勢力の伸張を許した。現在の千葉市生実町に館を構えた小弓公方足利義明も、一時期この地に拠っており、その時の御所があったとされる場所は、五所という地名として残っている。

近世の幕藩体制下では五井藩、鶴牧藩(現在の椎津付近)が知られている

1871年7月の廃藩置県では菊間県、鶴牧県、鶴舞県が成立。その後同年11月の府県統合で木更津県に、1873年に新治、印旛県などと合併して千葉県が成立した。現市原市は市原郡全域を市域としているが、1889年の時点で171カ村が確認されている。これが1945年までに八幡町、五井町、姉崎町、牛久町、鶴舞町などの5町16村にまとまり、更に昭和の大合併期である1954年から56年にかけて市原町、五井町、姉崎町、三和町、南総町(牛久、鶴舞地区)、市津村(後に町)、加茂村(高滝、里見地区)の5町2村にまで統合された。1963年南総町と加茂村を除く5町で市原市が誕生。更に1967年に南総町と加茂村も合わせて現在の市原市の形が完成した。

戦後になると東京湾岸の埋め立てが進み市原市は千葉港の一角に組み込まれた。市原市では特に石油産業などの化学工業を主とする企業の進出が多い。これらの工場から発せられる煙によって現在でも光化学スモッグが発生する事がしばしばである。

港湾
千葉港(特定重要港湾)
環境保全対策が進んでいるが、市原市地先海域において、15,000ピコグラムのダイオキシン類が検出されたことや、ダイオキシン類の濃度が250ピコグラム以上の底質の量は、約170万m3と推定されることが発表されており対応が注目されている。国立環境研究所等により汚染原因に対する研究が進んでいる。

平塚市

平塚市(ひらつかし)は、神奈川県の県央南部に位置し、東海道の宿場町として知られる市。特例市に指定されている。

神奈川県のほぼ中央、相模川右岸(西側)に位置し、[1]南は相模湾に面する。相模川から金目川までの間は市域北端部まで平野となっており、南部には市街地が広がる。金目川より西側は大磯丘陵の一部となる丘陵地帯であり、緑も多い。南部は国道1号とJR東海道本線が横断し、相模川沿いに国道129号が縦断する。北部から中西部にかけては、東海道新幹線と小田原厚木道路がやや離れて横断している。

川 - 金目川(花水川)、相模川(馬入川)
山 - 高麗山(湘南平)

湘南地区では初めて市となるなど戦後早くから商工業都市として発展したため、リゾート地域としての湘南のイメージは薄いが、湘南市構想では中心的役割を果たすなど地域における存在感は大きい。道路の整備が進んでおり、早くから国鉄(現:JR)との立体交差を推進しているなど特筆すべき点がある街であり、自動車で通勤・通学する人も多い。都心にもほど近く、住みやすいので定住率が高い。市街地にはビルやマンションなどが立ち並び、ベッドタウンとしての面もあるが、郊外には緑も多い。東海道線を挟んで北側は宿場町が発展した今日の街であるが、南側はどちらかと言うと古くからのお屋敷町といった感がある。

主な産業 - 工業・農業
江戸時代は東海道7番目にあたる宿場町として栄え、広大な平野があることから農業も盛んであった。1887年(明治20年)に東海道本線が開通、周辺地域が湘南と呼ばれ始めてからは、工業も盛んとなり、数々の企業を生み出し、また誘致している。

工業都市としての発展は、相模川近辺を中心に所在する車両・化学関係の工場によるもので、戦時中あまたの軍用機を生み出した日産車体が代表格といえるが、最近になり工場施設の市外移転が発表された。その他、JT、横浜ゴム、キヤノン、古河電工、コマツ電子金属、関西ペイント、三菱樹脂、田中貴金属、JSP、パイロット、住友重機、不二家などの工場がある。

商業では平塚駅にJR系駅ビルのラスカや平塚唯一の百貨店である梅屋が所在している他、近年では市内にある食品が主力のスーパーに加え、オリンピック、ウォルマート傘下の西友、イオン系列のマックスバリュなどの大型SCが進出している。なお過去には十字屋・長崎屋・ダイクマが本社や本店を平塚市に置いていた。また大型家電量販店ケーズデンキ、テックランド(ダイクマ=ヤマダ電機)、ラオックスや国道129号などの沿線にみられる外食チェーンなど店舗なども多い。TRIバンクの提携する平塚信用金庫も本店を置いている。農業協同組合はJA湘南が担っている。

市内を走る路線バスは神奈川中央交通が担っているが、本社は平塚市に所在しており、平塚駅南口にはホテルとして神奈中グループのグランドホテル神奈中平塚がある。

東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線
- 平塚駅 -
湘南ライナー・湘南新宿ラインなどが停車する。
市内に所在するのは平塚駅のみだが、北端市境を越えた位置に小田急小田原線が通っており、北部から東京・横浜方面へ向かうには同線の利用が最短経路となる。東海大学前駅は市境に最も近い。

北部を東海道新幹線が通過し、駅の設置(相模新駅)を望む声がある。藤沢市湘南台駅から相鉄いずみ野線を延伸計画もあるが、免許は保有するものの開業の目処は立っていない。

バス路線
神奈川中央交通・湘南神奈交バス
神奈川中央交通本社
平塚営業所(田村車庫)
平塚営業所八幡操車所(旧営業所)

高速道路・有料道路
小田原厚木道路:- 平塚PA - 平塚IC -
新湘南バイパス(市内区間は未開通)

水戸市

水戸市(みとし)は、関東地方の北東部、茨城県の中部に位置する都市で、同県の県庁所在地である。人口約26万人。旧東茨城郡。国から特例市に指定されている。

水戸徳川家所縁の地として、水戸黄門(徳川光圀)、梅の名園偕楽園で知られ、毎年2月には水戸の梅まつりが、8月には水戸黄門まつりが開催される。明治時代以降は、納豆の生産と消費が盛んになり、水戸納豆として親しまれ、納豆早食い世界大会も開かれている。

水戸都市圏(都市雇用圏)の人口は約66万人(2000年)。水戸市は、隣接市町村との合併で政令指定都市を目指している。

茨城県の中部に位置し、関東平野に属する。市内には那珂川が流れ、那珂川周辺部は低地だがそれ以外は概台地である。又、日本初の水道専用ダムの楮川ダムがある。

市域は常磐線を境に南北に分かれ、水戸駅北口周辺を上市(うわいち)、水戸駅南口周辺を下市(しもいち)という。繁華街は、水戸城跡のある水戸駅北口方面に形成されている。中心部の国道50号は、東京都の銀座と同様に、片道二車線で右側レーンが通行路という構図になっている。

山:朝房山
川:那珂川、藤井川、涸沼川、桜川、逆川
湖:千波湖、楮川ダム、大塚池

中心市街地は、水戸駅周辺南北に位置する。市街地には丸井や京成百貨店、リヴィンのほか、駅ビルEXCELや地下通路などがある。 1993年に閉店した泉町のユニー水戸店、2005年10月に閉店した南町のダイエー水戸店、2007年5月に閉店した同じく南町のサントピアなどと合わせ、シャッターの閉まった店舗が見受けられ、一部商店街の衰退が目立っている。

一方で再開発も行われている。水戸駅南口ではシネマコンプレックスやホテル、マンションなどが建設され、現在も高層マンションなどが複数建設されている。前述の旧ユニー水戸店は隣接の旧田原屋水戸店の跡地と共に、住宅・商店などの複合高層施設の建設が予定され、旧店舗建物の取り壊しが進んでる。

前述の旧ダイエー水戸店は、建物をそのまま利用した「水戸ショッピングセンター(仮称)」が2007年10月にオープン予定。水戸駅南口前の再開発ビルにはヤマダ電機が都市型店舗を2008年末に出店すると発表した。また、水戸駅北口から約1.5kmの距離にあり歓楽街を有する大工町には、水戸駅南口に移転した水戸信用金庫本店の跡地を中心に、ホテル・住宅・老人福祉施設などの複合高層施設が計画中であるが、最近の東京などでの大型再開発の影響で工事の一般競争入札が不調で計画の遅れが確実となっている。現在、建物の取り壊しのみが落札され、取り壊しが行われている。

公園
偕楽園
千波公園
水戸市森林公園
水戸市植物公園
大串貝塚ふれあい公園
くれふしの里古墳公園
かたくりの里公園

映画館
中心市街地の映画館として、シネプレックス水戸(COMBOX310内)、水戸テアトル西友(リヴィン水戸店内)、リードシネマがある。尚、郊外のイオン水戸内原SC内に、TOHOシネマズ水戸内原がある。

府中市

府中市(ふちゅうし)は、東京都のほぼ中央にある都市。多摩地域の一部である。

律令時代には武蔵国の国府が置かれた都市であったため、武蔵国の国府という意味で府中と付いた。 他の「府中」と区別する為に「武蔵府中」とも呼ばれる(例:武蔵府中郵便局、武蔵府中税務署)。江戸時代は甲州街道の宿場町として栄えた。旧北多摩郡。

地理的には東京都のほぼ中央に位置し(伊豆・小笠原諸島を除く)、武蔵野・多摩地域の東部に当たる。東京都区部の新宿から22km西、日本橋からは30km西に位置する。

歴史的には古代より栄え、史実上だけでも大化改新後武蔵国の国府所在地として栄え、古くから関東地方の中心地であった事が分かる。その後、鎌倉時代の要衝地域として、また、江戸時代の参勤交代に於ける主要宿場町として発展する。 戦後も区部以外の主要都市として行政機関、病院等の公共機関が数多く集積する。

交通網としては上記の地理的、歴史的な観点から現在でも東京都区部近郊の交通の要衝として、東西南北(区部、東京郊外、神奈川県及び埼玉県)を結ぶ。これは国府設置以来中心地にある大國魂神社を基点に発達していった事が大いに影響されている。

武蔵野線、南武線、京王線の交差駅を持ち、道路網では東西の区部と郊外とを甲州街道、中央自動車道介してを結び、府中街道、鎌倉街道を介して南北の神奈川県(川崎市・相模原市方面)と埼玉県(所沢市方面)を結ぶ。市内はバス網が充実しており、中央線の各駅から府中市方面に向かって多くの路線が乗り入れている。

生活充実度としては非常に高く、多くの行政機関、病院等が集積し、大企業の研究開発所及び工場等の大規模な施設も多い。平坦地でありながら、多くの緑を有し、広い公園も沢山ある。

市内全域に1万個以上もの集積型の大きな「ゴミ箱=ダストボックス」が配置され美化面からも非常に評価が高く全国に広がっていった。しかし、市外住民が幹線道路沿いのダストボックスにゴミを不法投棄する事件が慢性的に発生し、市の統計としてゴミの減量に失敗した。そのためダストボックス制度は廃止が決まった。

医療面でも市独自に夜間、休日診療環境を用意し、他市に先駆け整備し、育児面では全小中学校への学校給食提供を実施する等、育児世代に高い人気を持つ。加えて防犯意識が強く、不審者情報の共有、連絡が行われている。

高齢者福祉面からも力を注ぎ、市内の各地域文化センターでの入浴設備提供、高齢者見守りネットワーク作りの整備を実施し、11ヶ所の高齢者在宅介護支援センターを拠点として提供している。

特色の1つとして、夜間人口、昼間人口がほぼ同一であり、又、市民の半数以上が市内に通勤・通学している。これは近隣のベッドタウン都市とは違い、職住接近の生活環境で有る事を示している。

これらから市民の満足度が高く、市のアンケートでもほぼ全市民が将来も住み続けたい街として回答している。又、住みたい都市として都下第二位の人気を誇る。(参考:MAJOR7(メジャー7) マンショントレンド研究室調査、住んでみたい街アンケート2006年)

日本記録としては、選挙投票開票時間日本一(1992年市長選挙での33分)を保持し続けている。

多摩川中流左岸の河川段丘に広がり、多摩川対岸に多摩丘陵を望む。市の南辺は多摩川と一致する。市の中央やや南を府中崖線が、北辺に沿って国分寺崖線が、それぞれ東西に走っている。前者の高さは10mから15m、後者は10mから20mである。北東部に標高79mの浅間山(せんげんやま)があり、麓からの高さは30mほどである。 この2本の崖線と浅間山付近を除けば、ほとんどが平坦な土地で可住地面積率は99.7%である。府中崖線の南側を多摩川低地、両崖線に挟まれた部分を武蔵野台地の立川面、国分寺崖線の北を同じく武蔵野面と呼ぶ。なお、崖線をこの地の方言でハケと呼ぶ。府中崖線の南側に沿って府中用水が流れている。市の北東端を、多摩川の支流の一つ野川が流れている。

[編集] 市勢
面積は 29.34km²。 人口は 242,351、男123,518人、女118,833人(2007年3月1日現在(推計人口))。

夜間人口226,647人、昼間人口221,456人(2002年現在)
総世帯数111,870世帯(2007年3月1日)。
うち外国人登録数4,198人

本来、「府中」とは「国府所在地」を意味する地名で、日本各地に存在する。例えば、旧静岡市は幕末まで「府中」や「駿府」と呼ばれていたが、これは「駿河府中」の略称である。

壱岐国と対馬国を含めて68箇所の国府所在地の中で、現在も規模が大きい市街地となっているのは、ここ府中市(武蔵府中)と旧静岡市(駿河府中)、甲府市(甲斐府中)など少数である。

自然環境面では、基本的に平坦地だが、標高79mの浅間山(前記)があり、雑木林で覆われている。5月中旬には、ムサシノキスゲの唯一の自生地として黄色い花が咲く。ここは浅間山公園として整備され、散策し易くなっている。
浅間山を中心に東部には武蔵野の森公園、少し市の中心地側には府中の森公園がある。市の北側方面には武蔵野公園が在り、崖線部分には自然のままの雑木林が古の武蔵野の面影として残っている。
多摩川に接する南側には、府中市郷土の森博物館が市民の憩いの場として存在する。更に西側に進むと田園地帯が残る。
施設面では市の東部に、旧関東村(元陸軍・関東軍の軍用飛行場。戦後は米軍のキャンプ)跡地が調布市、三鷹市に跨がって広がり、近年、跡地利用が始まった。東京外国語大学や調布市域の味の素スタジアムはその一例である。武蔵野の森公園はここに在る。
浅間山を挟み、やや中心近くに航空自衛隊府中基地、航空総隊司令部がある。これも米軍基地としても使われていた所である。司令部のため、現業部門は無い。一部米軍基地の跡地が30年以上手付かずのまま残っている。
北東部には府中運転免許試験場がある。東八道路を挟んで広大な東京都立多磨霊園がある(一部は小金井市にも跨る)。
市の中央部は、府中駅を中心に、南口を出ると直ぐに昔ながらの商店街が広がり、さらに府中駅南口市街地再開発事業計画によって、伊勢丹、くるるといった大型施設も立ち並ぶ商業地域となっている。
中心地より少し西側に移ると、日本製鋼所跡地に出来たインテリジェントパークがあり、日本銀行を筆頭に各種金融機関の事務センターが並ぶ。その直ぐ北側に東芝府中工場があり、更に進むと北部には武蔵野台公園に接して東京都立府中病院など病院が集中している。
市の南端は多摩川とその河川敷であり、運動施設や公園が置かれている。近年まで砂利の採取が盛んであり、西武多摩川線や旧下河原線などは、その搬出のために敷設された鉄道である。多摩川競艇場も採取所の跡地である。
多摩川河川敷周辺は、市民の憩いの場が提供されており、いこいの森、府中市郷土の森博物館、市民健康センター(総合体育館、サッカー場、野球場、庭球場)が広がる。また、サイクリングロードが整備されており自転車愛好家が良く利用する。
企業では市の西部に東芝、日本電気、市の南部にサントリー、東京競馬場、読売新聞、東京多摩郵便局(多摩地区から他地区への集配拠点)。
上記以外は概ね宅地である。大規模な団地としては、市の南東部に住宅公団(現:都市再生機構)車返団地がある。
府中駅南側には、細い道路両脇に小さい商店が密集し、看板、商品、放置自転車で狭くなった戦後の商店街も残っている。

茅ヶ崎市

茅ヶ崎市(ちがさきし)は、神奈川県中南部に位置し、東京都心から約60キロ、相模湾に面した湘南地方の中心に位置する都市である。特例市の一つ。市名は中世以来の郷名による。

相模原台地の丘陵地帯と相模川の河口に形成された砂州地帯で、市内には小出川(こいでがわ)が南西に流れ相模川に注いでいる。戦前から戦後にかけては保養地、別荘地であったが、その後、東海道線の駅もあることが手伝って、東京のベッドタウン化して急速に都市化が進み、現在茅ヶ崎駅の朝夕は通勤客で混雑している。

江戸時代には、東海道五十三次藤沢宿と平塚宿の間の、のどかな農村地帯で、東海道の道中に2ヶ所しかない左富士(道中ではいつも右に見える富士山が左手に見える)の場所として浮世絵の題材としても知られた。現在、国道1号鳥井戸橋で「南湖の左富士」のレリーフを見ることができる。

みちの愛称事業
茅ヶ崎市は「みちの愛称検討委員会」を職員と公募した市民で開き、通称となっている道路の名前を街頭インタビューや公募などの方法で決定して発表している。
平成12年度には国道1号の南側14路線、平成13年度には国道1号と新湘南バイパスの間10路線、平成14年には新湘南バイパス北側の7路線の愛称が発表された。
このような「みちの愛称」を茅ヶ崎の文化とする人がある一方で、旧住民が「東海岸通り」と呼んでいた「県道茅ヶ崎停車場茅ヶ崎線」(行政上の名称)に観光客や新住民が使い始めた芸能人の加山雄三氏にちなむ雄三通りを採用したり、サザンオールスターズの人気にあやかろうとしてサザン通りを採用したりした行政の姿勢を軽薄であるとする批判意見や抵抗感を示す住民もいる。「ラチエン通り」「一中通り」「鉄砲道」などはすでに通称として市民や観光客に広く使われていたものが採用された。

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
烏帽子岩(姥島)
腰掛神社 日本武尊にゆかりのある神社。
浄見寺(大岡忠相の墓所) - 大岡氏の本領は茅ヶ崎・寒川近辺にあった。
宝生寺阿弥陀三尊像 国指定の重要文化財。
龍前院五輪塔
旧相模川橋脚 国指定の史跡。大正12年(1923年)関東大震災と大正13年の地震によって地表に現れ、沼田賴輔(歴史学者)により旧相模川橋脚であるとされた。最近の調査では相模川の本流ではないと想像されている。
鶴嶺八幡宮 源氏が創建した関東最初の氏社。
国木田独歩の碑
平塚らいてうの碑
仮名垣魯文の碑。父親の実家が萩園にあり、魯文も一時期いた。
鉄砲道 幕府の鉄砲場に至る道であっという説がある。近年、東西に開通したので俗に「鉄砲通り」ともいう。かつては行き止まりであったので「道」と称した。
佐々木卯之助の碑。現在の鉄砲道と旧道との分岐点にある。役人だが幕府に内緒で困窮の農民に鉄砲場内での耕作を許して島流しとなった。

レジャー
“チガサキ”ブランドは明るく開放的でちょっと洒落た湘南イメージとして人気があり、夏には海水浴客、また一年通してマリンスポーツを楽しむサーファーや釣客たちが訪れている。
サザンビーチちがさき (旧・茅ヶ崎海水浴場) (ローマ字表記はSouthern BeachではなくSazan Beachだったが、いつの間にかSouthernに改称されていた。)
湘南海岸

観光
茅ヶ崎館 映画監督・小津安二郎縁の旅館。『東京物語』等、小津三部作の執筆が行なわれた。
茅ヶ崎市美術館 洋画家の小山敬三や萬鉄五郎等の作品が多数展示されてる。
開高健記念館 作家・開高健の旧私邸。大正天皇の保養所趾(未使用)。

厚木市

厚木市(あつぎし)は、神奈川県のほぼ中央に位置する市。

第4次首都圏基本計画(1986年決定)では首都圏の業務核都市に位置づけられ、2002年4月1日付けで特例市にも指定されている。 工業・住宅において、東京・横浜の衛星都市として知られる一方、多くの山間部や農業地帯を抱えている。大山方面登山への入口となっている他、市内には温泉も湧いている。また、比較的古い時期から発展した地域であるため、それに肖って組織、企業、施設等に厚木、アツギ、あつぎ、ATSUGI等を冠するものも多いが、そのいくつかは厚木市内に登記されておらず所在地もない。[1]そのせいでしばしば誤解を受けるが結果としてそれが知名度を上げる要因の一つとなっており、これは他の地域にはない特筆すべき点の一つである。一時は、県央の中心都市として繁栄したが、1990年代後半以降、大型店舗や大学の相次ぐ撤退が市内の産業空洞化問題に拍車を掛けている。

厚木市は神奈川県のほぼ中央にあり、東京・横浜からそれぞれ直線距離約60km、30kmに位置している。東京都心までは小田急小田原線の特急ロマンスカーで約45分、急行で約56分(から一時間)、各駅停車で約1時間半。

山中湖を源とする相模川のつくる相模平野の北端に位置し、西の丹沢山地と、そこから南東に開けた相模川西岸の平野部とにまたがる。 海老名市、座間市、相模原市との境界を流れる相模川に、東丹沢山地を源とする中津川・小鮎川が市の北部で合流し、市の南部では玉川が合流している。そのため、河川による侵食地形が複数形成され、市南西部から北東部に向かう間に、台地と侵食盆地が交互にあらわれる。市の北東界では、依知台地が終端から相模川を挟んで向かい側の相模原台地が望める。 相模川は当市付近で中流地形から下流地形に移行し、河口へ向けて沖積平野を形成する。流路に沿って自然堤防が発達しており、厚木町旧市街地や岡田の旧集落がその上に立地している。 本厚木駅周辺はかつては稲作が盛んであり、水田が拡がっていた。市域の急速な整備拡大により水田が埋め立てられ都市開発されたため1970年代以降地盤沈下が深刻な問題になっている。

交通の要衝として、また首都圏に近いことから研究開発、流通およびサービス業などの企業が集積している。県内は都心部に通う者のベッドタウンという位置づけをされる都市が多いが、厚木市は事情が異なり昼間人口の方が夜間人口を1割程度上回っている。しかし近年、大型店舗や大学の相次ぐ撤退で、市内の産業空洞化が問題となっている。2005年には「企業等の誘致に関する条例」を施行し、新たな企業誘致につとめている。

縦横に伸びる幹線道路、東名高速道路など広域的な交通利便性の高さを保つ一方、それが影響しての市中心部の慢性的な交通渋滞、それに伴う公共交通の利便性の低下が課題である。特に人口の規模のわりには鉄道駅が2つしかないためバス路線偏重傾向が見られる。バス路線網は厚木小学校移転後の跡地に建設された厚木バスセンター及び本厚木駅を中心に放射線状に展開している。そのため、環状路線網が整備されていないこと、正午前後と夕方の時間帯に回送・営業便を問わず厚木市及川にあるバス車庫の入出庫便が増加することが渋滞要因の一つになっていること、また、神奈中バスの合理化による発着本数の減少なども課題の一つである。駅周辺道路はR129、R246バイパス、県道上粕屋厚木線(旧R246)など主要幹線道路の影響から朝夕のラッシュ時に激しく混雑する。

なお、厚木バスセンター~厚木アクスト間については、2007年度中に連節バス導入を予定している。これに関連して、2005年度の厚木市の予算案には、ノンステップバス3台とともに連節バス2台分の導入補助として合計4000万円が計上されていた他、2006年8月27日に開催された「あつぎまちづくりフェア2006」では、実際に茅ヶ崎営業所に配置されている連節バス「ツインライナー」が展示され、アンケートも実施された。さらに、2007年2月からは、厚木アクスト周辺の道路設備を連節バスに対応させるための工事も行なわれている。

大和市

大和市(やまとし)は、神奈川県のほぼ中央に位置する市。

大和市は神奈川県のほぼ中央部に位置し、東京都心から40km圏内である。東は横浜市、西は座間市、海老名市、綾瀬市に、南は藤沢市、北は、相模原市、東京都町田市にそれぞれ隣接している。人口約22万人。特例市に指定されている。かつて隣接する座間市、海老名市、綾瀬市との間に県央政令指定都市構想があった。

市の面積は27.06km²、広ぼうは東西3.22Km、南北9.79Kmと南北に細長く、標高は最大90m、最低30mで丘陵起伏がほとんどない都市である。鉄道は中央部を東西に相模鉄道本線、南北に小田急江ノ島線が走るほか、北部には東急田園都市線が乗入れ、狭い市域に8駅がある。このため、市内のどこからも最寄りの駅まで10分前後で行け、更に新宿・渋谷・横浜にはそれぞれ一時間以内に直通出来るという便利さがある。また、道路網も国道246号線や旧国道246号線、国道467号線、旧国道16号線、主要地方道丸子中山線などが東西、南北に走り、交通の便も非常に良い。

電話番号は現在は046(2xx)であるが、以前は0462(xx)であった。

河川
河川: 境川、引地川、目黒川
瀬谷区側に被害が集中することが多いが、毎年大雨・台風が襲来し境川があふれると、ひどい時には床下浸水に遭うことがしばしばある。特に平成3年の時は被害が甚大で鹿島橋を架け替える程であった。

1926年には、現在の相模鉄道(当時は神中鉄道といった)が開通。市内に大和駅、相模大塚駅が設置された。1929年には小田急江ノ島線が開通。市内に中央林間都市駅(現中央林間駅)、南林間都市駅(現南林間駅)、西大和駅(現大和駅)、高座渋谷駅が開設された。

1941年には現在の厚木基地である相模野海軍航空隊ができた。1945年に終戦を迎え、海軍航空隊は米国海軍厚木航空基地となった。

また、大和村は1943年11月3日に大和町に、渋谷村は1944年11月3日に渋谷町にそれぞれ昇格した。

駅周辺及び市内の商業施設など
近年、商業施設では従来、後にダイエーと合併する忠実屋、現在ユザワヤのあるビルには東急ストア、駅前に相高ストアがあったが、現在すべて撤退し、新駅オープンにあわせ駅ビル「プロス」(有隣堂大和店は3階)ができ、小田急線高架下には小田急グループの小田急OXが、駅周辺には相鉄ローゼン(駅からは若干離れているが)、マルエツに加え、イトーヨーカドー(セブン&アイ・ホールディングス)グループの食品スーパー、ヨークマートが、旧イトーヨーカドー跡地にはオリンピックが出店していたが、2007年春に撤退してしまった。跡地にはフィットネス&温泉施設がオープンの予定である。また以前は模型売り場であったユザワヤ地下1階に複数の専門店からなる富士ガーデンが駅前の好立地ということで2006年4月26日にオープンした。イトーヨーカドーとイオンは共同で鶴間駅近くの旧いすゞ車体工場跡地に大型SCオークシティーを出店し、市役所との間にも連絡橋が設置された。競争が激しいスーパーであるが、近頃では各スーパー共に無料でポイントカード持参者にはミネラルウォーターを提供するサービスを行っている。ディスカウントストアとして県内のみならず都内にも出店していた元イトーヨーカドーグループのダイクマが家電量販店最大手のヤマダ電機の傘下になり、テックランド大和店がオープンしたため一時期ダイクマがなくなっていたが、現在は3階がダイクマとなり、2階や屋外にも複数の業種の店舗が出店している。藤沢街道沿いに大和駅の方からヤマダ電機の2階に100円ショップキャンドゥが、そうてつローゼンの2階にはザ・ダイソーが、さらに近くにSHOP99もあり、ちょっとした100円ショップの激戦区と化している。またつきみ野にはイオングループの支援で経営再建がなったサティ(市内唯一の映画館、ワーナー・マイカル・シネマズが入っている)が特色ある店舗運営をしている。大和駅周辺に限って言えば、コンビニエンスストアではファミリーマートがどちらかというと多い。また駅周辺に限ると隣接する瀬谷(横浜市瀬谷区)の方が幾分か物価が安いと思われる。

大和市は工場も比較的に多く、下鶴間には工場ではないが、日本IBMの研究・開発施設、工場では日本ビクターの大和工場と林間工場、東洋製作所の大和本社・工場・研究所、大和駅周辺には物置の稲葉製作所、特装車の極東開発工業、古河電工系の岡野電線、外資系の電子部品メーカー日本モレックス、SMK,東京ガスとリンナイ系のガスター、日本飛行機、コンビニ等向け弁当・サンドイッチ等製造の日本製粉グループのファーストフーズや上和田にはセブンイレブンと関係が深いフジフーズ、代官(桜ヶ丘)にはイタリア風ファミリーレストランのサイゼリヤ神奈川工場、相模大塚にはコージーコーナー相模工場などがある。

その他の商業施設では、最近従来のホテルに加え、東横インなどのホテルもできた。また、高級料亭の山栄、地元で好評な大和北京飯店、近年では蟹料理の甲羅、木曽路(東証1部)などがあり、つきみ野には高級料亭で有名な「横浜うかい亭」(JASDAQ上場)がある。また、ファーストフード関連では大和駅周辺では牛丼の吉野家(25年位前は現在のスーパーオリンピックの近くにあった。現在はオリンピックも撤退してしまった。)、すき家、松屋、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、ミスタードーナッツ、餃子の王将、ペッパーランチなどがある。

上尾市

上尾市(あげおし)は、埼玉県中東部にある市。人口は約22万4000人。江戸時代に中山道の宿場町・上尾宿として始まった。

関東平野の中、埼玉県の中心より少し東にずれた場所にあり、市内に山はない。寛永年間に河道付け替えが行われた荒川の左岸に一部接している。町の大部分は大宮台地にあり、荒川沿いの低地よりわずかに高い。

台地の中を鴨川、芝川が流れる。東では綾瀬川が蓮田市と、支流の原市沼川が平塚付近から伊奈町との境界をなし、北西では荒川支流の江川が藤波付近から桶川市との境界となっている。

宿場町としての「上尾宿」を中心とした旧中山道一帯が江戸時代からにぎわっており、明治に日本鉄道が鉄道を敷いて上尾駅が開業、昭和に国道17号が開通するが、すべて南北に縦断する形で市域を東西に分けている。市街地は上尾駅を中心に広がっている。昭和40年代に4団地(原市団地・尾山台団地・西上尾第一団地・西上尾第二団地)が相次いで建設され、人口が急激に増加した。最近は郊外型大型小売店の進出が著しい。

基幹道路は、JR高崎線とほぼ平行して走る国道17号。交通量が多く、渋滞が多い。現在、迂回路として「上尾道路」の建設工事が進められている。 市中心部は、道路は狭く入り組んでおり、人口密度も高いため、自動車が細い路地を走り抜けるなど、生活環境は良好とは言い難い一面がある。高崎線西側の北部は、昭和50年代から急速に宅地開発され、広い道路を持ち整然と区画された市街地の形成に成功している。

もともと農業が主産業であり、稲作のほか各種野菜の栽培がなされていたが、ベッドタウンとしての宅地開発が進むと同時に企業の進出が相次いだ。市域における農地は減少傾向にあるが、梨・ぶどう・キウイなどのほか、トマト・きゅうり・ほうれんそうなど多様な品目が生産されている。工業では、輸送用機器の製造がさかんであり、日産ディーゼル工業の工場、ブリヂストンサイクルの本社及び工場のほか、アイチ・コーポ-レーションをはじめ自動車部品関連の企業が多数ある。その他、三井金属鉱業の工場・研究所や、市北西部には「上尾領家工業団地」として多数の企業が工場を有している。流通業では、通信販売大手のベルーナが上尾駅東口に本社を構えている。その他、大正製薬が薬草園および総合運動場と称して土地を保有しているが、上尾道路予定地に重なっている。

河川 - 荒川、芝川、鴨川、綾瀬川、原市沼川、江川、上尾中堀川

[編集] 鉄道路線
中心となる駅:上尾駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)
高崎線
上尾駅 - 北上尾駅
埼玉新都市交通
伊奈線(ニューシャトル)
原市駅 - 沼南駅
これ以外にもJR宇都宮線が駅を設置しないものの東大宮駅 - 蓮田駅間に同市を経由する区間が存在する。特に東大宮駅は同市に近く、上尾市の一部の地域は東大宮駅が最寄駅である。上尾市では他に桶川駅、宮原駅、指扇駅、丸山駅等が最寄駅となる地域が存在する。
隣接市町村への連絡
さいたま市:高崎線上野・(湘南新宿ライン)新宿方面行きで宮原駅へ、または埼玉新都市交通伊奈線大宮行きで吉野原駅へ。
桶川市:高崎線高崎方面行きで桶川駅へ。
伊奈町:埼玉新都市交通伊奈線内宿方面行き利用。
都道府県庁(浦和駅)への連絡
高崎線上野方面行きを利用。
(湘南新宿ラインだと大宮駅の次が赤羽駅となる(さいたま新都心駅、浦和駅を通過する)ので注意が必要である)

調布市

鉄道路線
中心となる駅:上尾駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)
高崎線
上尾駅 - 北上尾駅
埼玉新都市交通
伊奈線(ニューシャトル)
原市駅 - 沼南駅
これ以外にもJR宇都宮線が駅を設置しないものの東大宮駅 - 蓮田駅間に同市を経由する区間が存在する。特に東大宮駅は同市に近く、上尾市の一部の地域は東大宮駅が最寄駅である。上尾市では他に桶川駅、宮原駅、指扇駅、丸山駅等が最寄駅となる地域が存在する。
隣接市町村への連絡
さいたま市:高崎線上野・(湘南新宿ライン)新宿方面行きで宮原駅へ、または埼玉新都市交通伊奈線大宮行きで吉野原駅へ。
桶川市:高崎線高崎方面行きで桶川駅へ。
伊奈町:埼玉新都市交通伊奈線内宿方面行き利用。
都道府県庁(浦和駅)への連絡
高崎線上野方面行きを利用。
(湘南新宿ラインだと大宮駅の次が赤羽駅となる(さいたま新都心駅、浦和駅を通過する)ので注意が必要である)

平成19年4月1日現在

人口は214,480人、男:106,752人 女:107,728人 (外国人登録含)
外国人登録3,730人
面積は21.53km²
人口密度は9,961人/km²

河川
多摩川
野川 市を北西から南東へと縦断。両岸はサイクリングロードとして整備、護岸工事も土を多く残す形で工夫され、植物や生き物にも配慮されて市民やすらぎの空間となっている。
仙川 市北東部・緑ヶ丘と仙川町の境を流れ世田谷区へ。
入間川 以前は三鷹市中原から流れていたが暗梁化され、現在はつつじが丘の甲州街道と交差する地点が上流端と表記。入間町の狛江ハイタウン目前で野川へと合流。
根川 染地小付近から多摩川住宅外周を流れ狛江市へ。
府中用水 飛田給小付近で市内地表に現れ、住宅地では暗梁化されながら日活撮影所の前で多摩川へと合流。

調布という名称は昔の税金である租庸調の調(その土地の特産物を納める)で布を納めていたことに由来する。そのため以前は当地の他にも都内に幾つかの「調布」地名があった。田園調布は元は荏原郡調布村(のちの東調布町)であり、小泉八雲の雪女の調布は西多摩郡調布村(現在の青梅市長渕地区)にあった。(南多摩郡にあって現在の八王子市という説もある。)調布と書いて「たづくり」もしくは「てづくり」とも読んでいた(調布市の総合文化施設の名称が「たづくり」なのもそれに由来する)。調布市内には布田(ふだ)、染地(そめち)など布にかかわる地名が存在する。江戸時代までは多摩川で布をさらしていた記録が残っている。 「多摩川にさらすてづくりさらさらに何ぞこの児のここだ愛(かな)しき」という万葉集の歌が布多天神社に残っている。(玉川の項を参照) 金子、神代などははるか昔の渡来人に由来したものであると言われている。(狛江なども)

防犯
調布安全安心メール - 交通・防犯・その他緊急情報を配信。
子どもの家 - 子どもの緊急時に対応
防犯パトロールを市内の事業所と協力して実施
安全安心パトロールを実施
市内全域夜間パトロール - 警備員によるパトロール
調布子ども安全安心パトロール - 市内の学校周辺、通学路を制服警備員がパトロール
調布駅南口パトロール - 調布市安全・安心見廻組屯所を拠点とし、制服警備員が調布駅南口広場周辺をパトロール
不法投棄防止・防犯パトロール隊 - 不法投棄対策、ゴミ置き場の不審火を青色回転灯パトロールカーで警戒

ゴミ処理
本市は「二枚橋衛生組合[3]」に参加し、その施設でゴミ処理を行っている。組合は、府中、小金井、調布市で構成し、3市の境界にある「二枚橋清掃工場」を運営する。近年、施設の老朽化が著しく、2007年3月31日にすべての焼却炉が停止された。2009年までに組合を解散する方針が出されている。その代替えとして、三鷹市と共同で不燃ごみの処理やリサイクル事業を実施してきた「ふじみ衛生組合」を事業主体とした新ごみ処理施設を両市境に建設し、平成25年度稼動を目指した基本計画を策定している。

春日部市

春日部市(かすかべし)は、関東地方の南部、埼玉県東部の都市。旧南埼玉郡・北葛飾郡(旧春日部町は南埼玉郡)。隣接する越谷市とともに彩の国中核都市、業務核都市に指定される。

第二次大戦期までは粕壁と表記された(この頃隣接の現・越谷市も「越ヶ谷」と表記していた)が、当地を起源とする武家・春日部氏にちなんで現在の表記に改められる。

江戸時代には、江戸と日光を結ぶ日光街道粕壁宿の宿場町であった。

埼玉県の東部に位置し、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線と東武野田線が交差する交通の要衝である。

牛島の藤の所在地であり、日本有数の「藤の街」として有名である。藤で知られる都市には、春日部の他には藤枝が代表的である。

市内在住の漫画家臼井儀人原作の漫画で、1992年よりテレビ朝日系で放映されているアニメ「クレヨンしんちゃん」の舞台として有名である。2004年4月6日には、作品の主人公であるしんちゃんこと野原しんのすけと野原家に、特別住民票が交付された。尚、アニメ内では「かすかべ(春日部)」ではなく、「かすがべ(春我部)」と表記されることがあったが、現在は「かすかべ(春日部)」で統一されている。

高度成長以来東京のベッドタウンとして人口増加の一途を辿ってきたが、ここにきて転出超過数が自然増加数でまかないきれなくなり、人口減少期に突入した。隣接する千葉県野田市などとともに、「都心回帰の好例」として不動産系シンクタンクが取り上げることがある。

市域のほとんどは中川低地(東京低地)と呼ばれる低地に位置し平坦である。北東端の宝珠花、東部の南桜井駅付近などに、江戸川によって下総台地から切り離された台地(宝珠花台地、金杉台地)、北西部の内牧や花積に大宮台地が分布する。下総台地と大宮台地という2つの台地が同一自治体内に存在する唯一の例である。台地部分には遺跡が多く所在し、代表的な遺跡として内牧地区には内牧塚内古墳群、粕壁地区には浜川戸遺跡(奈良時代後期から鎌倉時代)、豊春地区には花積貝塚(花積下層式土器の標式遺跡として考古学史上著名な縄文前期の貝塚。さいたま市岩槻区の真福寺貝塚、蓮田市の関山貝塚・黒浜貝塚と共に重要な遺跡群のひとつ。)、宝珠花台地には神明貝塚、金杉台地には米島貝塚などが所在する。特に縄文時代の遺跡は貝塚が多く、縄文海進を検証する好地域である。 また倉常地区は、中川低地内に位置するが、近年、須釜遺跡という弥生時代の遺跡が発見され、弥生時代ごろから人々が生活できる地域であったことが立証されている。 また、大落古利根川沿いの小渕砂丘は、埼玉県の以前の利根川流路沿いに多く存在する河畔砂丘の代表的な物である。市内では、小渕砂丘のほかに浜川戸、藤塚で砂丘が確認されている。地理的に旧春日部市地域、旧庄和町地域は田園地帯とりわけ低地と河川が多くあり埼玉県東部地区で一大の米穀の生産地である。粕壁のの異字同音の由来も江戸時代、春日部市粕壁地区に米問屋が多く点在しそこから訛化して出来たともいわれてる。

川:江戸川、中川(庄内古川)、倉松川、大落古利根川、隼人堀川、古隅田川、新方川
放水路:首都圏外郭放水路

春日部市・北葛飾郡庄和町・杉戸町・南埼玉郡宮代町と2003年4月1日に法定合併協議会を設置し、2005年3月31日に新設合併により新たに「春日部市」となる予定であったが、2004年7月11日、関係各市町で合併の是非を問う住民投票が行われた結果、宮代町のみ反対が上回り、その結果を受けて2004年9月30日に合併協議会は廃止された。

その後春日部市と北葛飾郡庄和町との1市1町で合併協議を進め、2005年(平成17年)10月1日に新設合併により新たに「春日部市」が誕生した。

名勝・旧跡

牛島の藤 国指定の特別天然記念物。
大凧会館
春日部八幡神社
小渕観音
八幡公園(浜川戸遺跡・八木崎遺跡)
花積貝塚
内牧塚内古墳群
内牧公園(縄文期住居跡)
庄和総合公園
祭事
大凧揚げ大会(毎年5月3日、5月5日)
特産品
桐箪笥
麦わら帽子
羽子板
梨(豊水)

日立市

日立市(ひたちし)は、関東地方の北部、茨城県の北部に位置する市。人口約20万人。旧多賀郡。

日立鉱山から発展した鉱工業都市であり、久原房之助が日立鉱山を拠点として以来、日立製作所(日立グループ)の企業城下町となる。他に似たような企業城下町には、豊田市(トヨタ自動車)や新居浜市(別子銅山、住友グループ)などがある。

尚、都市名と企業名の混同を避ける為に、日立市民は日立製作所を日製(にっせい)と呼び、都市名を日立(ひたち)と呼んで区別する。

関東平野が久慈川(日立市と東海村の境界)で北端となるため、東側の太平洋と西側の多賀山地に挟まれ、南北に細長く可住地が伸びている。可住地の多くは、日立製作所及びその関連企業の施設が占めているため、山間地を切り開いて造成した住宅地が多い。

可住地は大半が海岸段丘と扇状地であるため、水の便が悪い所が多い。河川も河口付近まで谷になっているものが多い。昔は、沢の上流からかけどいと呼ばれる水道橋を作って用水を確保していた地域もある。又、扇状地の末端部分では泉が森のように地下水が湧き出し泉となっているところもある。

南北に大きく伸びた海岸線を持つことから、市内には6箇所の海水浴場を持つ。名勝として、玉簾の滝(たまだれのたき)や諏訪梅林(すわばいりん)などがある。市内各地に桜の木が多く見られ、「日本さくら名所100選」にも選ばれている(かみね公園・平和通り)。

市北西部の日立鉱山には1914年に煙害対策として高さ155.7mの大煙突(だいえんとつ)が建てられ、工業都市日立のシンボルとして長く親しまれた。これをモデルにした小説として、新田次郎の「ある街の高い煙突」がある。この大煙突は、1993年2月19日、この日に吹いた強風と老朽化の影響で突如倒壊し、現在は高さ54mとなっている。

総じて、常磐線の駅を目安に各地区が形成されており、大甕(おおみか)・多賀(たが)・助川(すけがわ)・小木津(おぎつ)・十王(じゅうおう)の国道6号沿線と、中里(なかざと)の国道349号沿線に分けられる。中里地区は、同じ国道349号沿線の常陸太田市との関係が深い。

戦後の一時期、県庁所在地の水戸市を人口で上回っていたことがある。しかし近年は日立製作所グループの再編成などによって人口が減少し、十王町との合併にも関わらず20万人を割った。つくば市に抜かれ、現在は県内3位となっている。

日立市は日立製作所の企業城下町として有名である。市の人口のおよそ30%は日立製作所及びグループ会社の社員かその家族である。他の企業城下町では、西の豊田市(トヨタ自動車)と対比される事が多い。市内には、日立製作所およびその系列企業の工場や社宅、社員寮が多数点在する。 東日本でも有数の工業集積地域として発展し、その事業所数はピーク時で1,000を数えたが現在は約700。機械、電機、輸送機に関連する中小企業が日立市のものづくり産業を支えている。 日立地区産業支援センターは平成11年4月にオープンした産業支援機関であり、こうした中小企業の様々な事業活動をサポートしており、その精力的な活動は全国的にも注目されている。

日立鉱山は、現在のジャパンエナジー・日鉱金属の元になっている日本鉱業発祥の地でもある。日立鉱山は1981年に閉山となっているが、鉱石の精錬事業は日鉱金属の工場で現在も続いている。

産業遺産として、セメントの原料である石灰石運搬用の架空索道がある。日立セメント㈱が太平田鉱山で採掘したセメントの原料である石灰石を山根貯鉱場までの山間3.8kmの区間を運搬しているものである。さらに、山根貯鉱場からセメント工場までは、ベルトコンベアが通っており、数沢川の上に架かる線路上を通過し、市役所付近から地下に入り市街地を縦断して工場まで運搬しているものである。現在日本国内で架空索道が運転されているのはここだけの珍しい設備である。

十王地区の伊師浜海岸には、日本で唯一、海鵜(ウミウ)の捕獲が許可されている鵜捕り場が設けられている。

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